伊田家 第四十話 葬儀と祝儀と_2
日呼壱は庭で月を眺めていた。
綺麗な月夜だ。銀色の月が黄月の左下辺りで輝いている。
寒いときに星が見えやすいのも地球と同じだ。満天の星空で、きっと源次郎の魂もその星のどこかに導かれていったのだと信じたくなった。
庭先、敷地に向かう坂道の手前に椅子を置いて、源次郎が生前にそうしていたように座る。
「爺ちゃん……もっと、いろいろ教えてほしかったよ」
空を見上げていても、涙が溢れてくる。
鼻をすすって袖元で目を擦った。
寒いが、あまり気にならない。体の中心にぽっかりと穴が開いた感じで、感覚が鈍くなったようにも思う。
「風邪引くよ」
後ろから声を掛けられたが気配には気づいていた。芽衣子だ。
「うん」
返事はするが、それ以上の動きはない。
言ったほうも、とりあえず声を掛けただけで、日呼壱の行動を責めているわけではない。
隣にきて、そっと日呼壱の頭に手を乗せる。
「寂しいね」
「……うん」
短いやり取り。
それだけでお互いの気持ちは伝わる。
故人を悼む、というのはこういうことなのだろう。
芽衣子は石垣の上に腰を掛けて、そのまま背中を大地に合わせると大きく腕を上げた。目元の涙を拭うついでに。
そのまましばらく無言で夜空を眺める。
「メイちゃんこそ、風邪引くよ」
どれくらい時間が経ったのか、日呼壱から声をかけた。
「うん。じゃあ、あっためて」
「……そういう冗談は、よくない」
一瞬何を言われたのかを反芻してから、溜め息混じりに答える。
どこでそういうセリフを覚えたのだろうか。日呼壱の所持している漫画の中にも、そんなニュアンスの場面はあったかもしれないが。
「冗談とかじゃ……ううん、違うかな。ええっと」
すくっと芽衣子が立ち上がり、日呼壱の正面に立った。
月明かりの下で、その表情はとても優しげで、綺麗だ。
「間違えた、やり直し」
「……」
「日呼ちゃん、結婚しよ」
直球だった。
そういえばそうだ。いつも芽衣子は直球勝負だ。
さっきみたいな変化球というかトリックプレーは彼女の本分ではない。
らしくないことをしたのは、やはり源次郎の死で平常心ではなかったからなのだろう。
「――って、そうじゃなくて。何を言い出すんだよ、メイちゃん」
「あれ? 日呼ちゃんは私じゃ不満だった?」
「そうでもなくて、いやそれはぜんぜん違うんだけど、じゃなくって。メイちゃん何を言ってるのかわかってる?」
きょとんとして聞き返す芽衣子だったが、それは演技だったようで、どもって言い募る日呼壱にだんだんと笑みが浮かんでくる。
「ああ、もう……大人をからかうんじゃないって」
「ごめんごめん。だけど、日呼ちゃんも。私を子ども扱いしないで」
むっとした顔を作る芽衣子に、その顔があまりに近くて、椅子に座ったままの日呼壱は顔をやや下に背けながらごめんと謝った。
許す、と言った芽衣子の表情はまた笑顔で、近づけていた顔を離すと、真剣な表情に変わった。
「日呼ちゃん、私と結婚しよう」
「……」
ふざけているわけでも、からかっているわけでもない。
日呼壱は困った。
「ああ、ええと……いや、もちろん嬉しいんだけどね」
「なに?」
煮え切らない日呼壱の返答に、芽衣子の声音は冷たい。この冬空よりも。
「フェアじゃあないって、思うんだ」
芽衣子の迫力が怖くて、日呼壱は立ち上がった。
少しだけ芽衣子が体を引いて、日呼壱が立ち上がるスペースを作る。が、視線は外さない。
獲物を狙っているときのハンターの目だ。優秀なハンターとしての実績もある。
「メイちゃんは、すごく可愛いし綺麗だ」
「そうだよね」
「あぁ……うん、その自信もすごいよ。本当に素敵な女の子だ」
微塵の疑いもなく頷く芽衣子に気圧されつつ、いつも考えていた言い訳を続ける。
「俺なんかよりもっと、相応しい相手がいるんじゃないかって」
「どこに?」
「ええっと……それはまあ、日本になら」
「いない」
ばっさりと、日呼壱の逃げ道などハンターとしては先に読んでいるよとばかりに、即断で塞いでいく。
「日本のどこにいるの?」
帰れないから、という理由ではなく、もっと具体的に逃げ道を潰す。
「探せば、その……」
「探したらいるの? いきなり知らない大森林に放り出されて、自分を見失わずに、小さな女の子を放り出したり自分勝手なことをしたりせずに、家族と支えあって、森の獣と戦って生き抜いてくれるような年の近い男の子がいるの?」
「いる……かも……」
「一度も会ったことないよ、そんな人」
それはそうだろう。そんな状況にならなければ、人間の本性などわからない。
不便で過酷な自然環境の中で、協力して、協調して生きていくことが出来ないかもしれない。
自制心がなくて、巻き込まれた女の子の気持ちを無視して無理やり欲望に従わせようとするかもしれない。
もっとうまく、日呼壱よりずっと良い結果を出してくれる人だっているかもしれないが。
「日呼ちゃんは、そんないるかどうかもわからない男の子がいるかもしれないから、私から目を逸らすの?」
「……違うよ」
「じゃあ何なの? 私、そんなにだめかな……」
芽衣子の目に迷いが浮かぶ。
さっきは、自分は魅力的だと疑う様子もなかったのに、日呼壱の曖昧な態度が芽衣子に迷いを抱かせる。
(俺は、バカだな)
「違うんだよ、メイちゃん。俺は……多分、日本にいたら、メイちゃんくらいに可愛い女の子になんて相手にしてもらえないから。ずるをしている気がするんだ」
「……」
「こんな状況で、生きるために精一杯で、そんな中でメイちゃんと結婚してこんな可愛いお嫁さんを手に入れるなんて、ずるい気がするんだ」
「……日呼ちゃん、バカ」
「そうだよ、本当に……」
バカだと思う。そんな言い訳考えていないで、美味しいところをもっていけばいいのに。
芽衣子の方から持ちかけてくれた話だ。何も罪悪感を抱くことなんてない。
寛太だって認めてくれるだろう。芽衣子の意思なのだから。それに乗っかってしまう方が賢い生き方だろうに。
「うん……わかった。でも日呼ちゃん、ね」
ニヒルな苦笑いを浮かべる日呼壱に、芽衣子の容赦はなかった。
「……歯ぁ、食いしばりなさい!」
ストレートではなく、斜め下から突き上げるアッパー気味のフック――スマッシュだった。
「ぼばぁっ!?」
容赦がない一撃。
石猿……ボスでも一発で仕留められるのではないかというくらいの容赦のない一撃だった。
椅子をなぎ倒して地面に倒れる日呼壱を、月下で仁王立ちした芽衣子が見下ろす。
「何よそれ。私が、この私が、どうしようもなくって、仕方なく、選択の余地なく日呼ちゃんの奥さんになるしかないからそうするって、そういうの?」
「め、メイちゃん?」
「この芽衣子さんを舐めないでよね」
腕を組み、ふんと鼻を鳴らして日呼壱を見下ろす芽衣子。
「私は、どうしても嫌なら一人で……ウォルフたち連れて出て行くわよ。本当にイヤだったら、意地でも従わないわ」
そうだろう。本気で嫌なことだったら芽衣子は違う道を進むのだ。
それくらいしっかりした子だ。日呼壱だって知っている。
「私は、自分の意思で選んで、自分で望んだ生き方をするの。誰でも……神様でも、私の意思を捻じ曲げさせてあげないんだから」
「メイちゃん……」
「自分で選べるよ。日呼ちゃんと結婚するかどうか。したいかどうか、私は自分で選べるんだよ」
見くびらないで、と。
子供扱いしないで、と言っていたのだ。
日呼壱が思うよりもずっと、芽衣子は真剣に自分自身のことを考えて、自らの意思で話していることをわかってほしいと。
「だから、日呼ちゃん……日呼壱。芽衣子と結婚しよう」
三度目のプロポーズ。
一度目とも二度目とも違い、どこか悲壮感というか、切迫な色の声だった。
「……日呼ちゃんが、嫌じゃなかったら……だけど……」
消え入りそうな声。こんな声を聞くのは、たぶん寛太を失った頃以来になる。
ああ、と日呼壱は唸った。
どれだけ自分は愚かなのだろう。年下の女の子に、ここまで説明されるまで気づかないなんて。
(俺が、メイちゃんに望まれているなんて……そんな都合のいいことがあるはずがないって)
思っていた。思い込んでいたし、決め付けていた。
だから最初から、これは芽衣子の望みではなくて、状況に流されただけの出来事なのだと。
その勝手な決め付けが、芽衣子を不安にさせて、こんなに張り詰めた表情をさせてしまった。
「ふ……」
「ふ?」
日呼壱の口から漏れた音を、芽衣子が鸚鵡に返す。
日呼壱は、殴られ顎をさすりながら立ち上がり、苦笑を浮かべて続けた。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
姿勢を正して、深く礼をする。そして、すっと手を差し出す。
「こちらこそ……って、あれ? おかしいな、逆じゃない?」
差し出された手を握り返して、芽衣子が自分の想像していた展開と違うことに疑問を呈する。
「メイちゃんが……芽衣子が、カッコ良すぎなんだよ」
日呼壱が格好をつけても到底かなわないくらいに。
惚れてしまうほどにカッコいい芽衣子に苦笑するしかない。
「ん、そっかぁ。日呼ちゃんももっと頑張ってね」
ぐいっと日呼壱の手を引っ張った勢いで口付けを交わす芽衣子。
彼女のハンターとしての優秀さは、相手に為すすべを与えなかった。
こうして日呼壱は、芽衣子に完全にノックアウトされたという夜だった。
源次郎も、たぶん住ヱも、この満天の星空のどこかで見守って、祝福してくれているだろう。
孫を殴り倒して結婚を申し込んだ、頼もしい嫁のことを。
◆ ◇ ◆
爆笑だった。
実父の葬儀を終えた翌朝だというのに、健一は腹を抱えて笑っていた。
美登里もくすくすと笑いを抑えきれずにいる。
「恥ずかしーなぁ、もう」
頬を朱に染めて照れる芽衣子と、殴られた頬が赤く腫れている日呼壱。
何があったのかと朝食の段階で聞かれて、事の顛末を話したわけだが。
「結婚することになったって言って、何で殴られてんだってほんと、日呼壱おかしいひいぃい」
「まさか女の子にKOされちゃうなんてねぇ。でもそれでOKもらえるなんて、芽衣子ちゃんすごいわね」
「るっさいなぁ。だから話したくなかったんだよ」
憮然とする日呼壱に遠慮も容赦もなく笑い転げる父親。昨日は源次郎の死を悼むちょっとカッコいい男の背中みたいだったのに、見る影もない。
それも仕方ない。前夜のことを思い出したら、ロマンティックさよりも滑稽さが際立つ。
かっこ悪さでは他に類を見ないレベルではないだろうか。少なくともこの森では一番だ。認めよう日呼壱こそがナンバーワンだ。
「私だって、日呼ちゃんが言い訳せずに素直にOKしてたら別にあそこまで思い切り叩かなかったんだけど」
「ちょっと待て。それだとどういう展開でも強弱関係なく殴られてたことになるんだけど」
「やだなぁ、殴るなんて物騒な感じじゃなくて叩いただけ。痴話喧嘩? みたいな感じの展開にも少しは憧れがあって」
「いや意味わかんないからね」
確かに少年漫画などでは、好きあってる同士が暴力的な痴話喧嘩を繰り広げる展開はよくあるけれど。
そこでふと、日呼壱は悪い予感を覚えた。
(メイちゃんは、日本で思春期を過ごしていないから……案外、ああいう漫画が男女関係の当たり前だと勘違いしているとか)
「ちなみにどうしてもごねるようだったら、気絶させてから添い寝して、後でおばさんにエッチなことされたって言いつける計画もあったりして」
「選択肢がなかったの俺じゃん!」
「まあ幸いだったよね」
芽衣子の笑顔が怖い。
本気ではないとは思うが。思うが。
たぶん、本気だったのだ。この顔は。
(……いや、幸いだったんだよ。きっと)
出来れば痛みは少ない方がいい。結果が同じなのであれば、きっと。
選択肢があったにしろ何にしても、芽衣子を妻に迎えるということについて日呼壱に不満などない。
むしろ、幼馴染の年下の美少女に好かれて結婚するなんて、日本で聞いたら殺意の怨念を送りたくなるリア充野郎だ。
一緒に過ごしてきた六年間で、その内面にも存分に魅せられている。明るく前向きで働き者の芽衣子のことが大好きだ。
「芽衣子ちゃん、違うわよ」
「え?」
「おばさんじゃないわ」
確かに皺のない肌で若々しいが、何を言い出すのだろうと日呼壱が茶々を入れる。
「いや、もう五十も過ぎたおばさん……」
ゴッ!
昨夜とは逆に、脳天から叩きつける一撃だった。チョッビングライトだ。
指の関節を立ててインパクトの打撃面を小さく、より痛みを感じさせるようにしている辺りに本気度を感じる。
脳天を押さえてうずくまる日呼壱を見て、また健一が床をばんばんと叩きながら笑っていた。
「お、かあ……さん?」
「ええ、よろしくね。芽衣子ちゃん」
戸惑いながら、恥ずかしそうに口にした芽衣子に、にっこりと笑いかける。
えへへ、と照れ笑いを浮かべる芽衣子だが、日呼壱とすればそういう照れたしぐさを自分のほうに向けてくれたらもっと嬉しいのにと思うところだ。
「んっ、んン」
ふと、先ほどまで床を転がっていた健一が立ち上がり、神妙な顔をしている。
「俺のこともな。お、お父さんと、呼んでくれてもいいんだぞ」
「……」
沈黙。
日呼壱のバカなところは父親譲りかしら。という視線が美登里と芽衣子の間に交わされる。
「さあ、早く食べてしまって片付けるわよ」
「はぁいお義母さん」
すっかり母娘として意気投合している二人に、父と長男は目を合わせて軽く肩を竦めた。
それからふと、健一が拳を突き出して日呼壱に向ける。
「……」
無言で、日呼壱はその拳に軽く自分の拳を当てた。
――よくやった、頑張れよ。
――さんきゅ。
言葉にはならなかったが、こんな時は割と誤解なく通じるもののようだった。
◆ ◇ ◆
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