伊田家 第三十四話 森の日々_1



 石猿の他にも好戦的な獣はいた。

 意外と脅威だったのは大きな牙を持った茶色い大兎だ。牙兎と名付けた。

 雑食なのか、何なのか。ビーバーのように木の幹を咬み削って倒していた。


 伊田家の南側を広範囲に探索していたところ、削られて倒された木々に気がついて、もしかして人間がいるのかと期待をしたのだが、この牙兎だった。


 大きさは、大きい。体重は三〇キロを超え、強靱な後ろ足で跳躍して尖った牙で襲いかかってくる。

 耳はそれほど長いわけではない。跳躍して移動する姿から兎と分類したまでだが。


 倒れた木をどうするのか、日呼壱が観察する限りでは倒したままだった。

 ただ、古い倒木の幹をくりぬいて、奥に縦長の巣を作っているのを見つけた。倒したばかりの木ではなく、しばらく放置して乾燥させてから巣作りをしているのかもしれない。



 そんな牙兎だが、わりと美味しかった。

 日呼壱たちを襲ってくるからには応戦するし、倒したら食べる。


 解体した際に一本の長い前歯が残るのだが、これが非常に硬く鋭い。先端は鋭く、表面はヤスリのようにざらついている。

 木の柄を付けて木工用の彫刻刀として活用している。投げナイフとしても使えるかもしれない。



 他にも一度、大きな猛禽類二羽に襲われた。

 鷲なのか鷹なのかそういう区別はつかないが、羽を広げると四メートル近い大きさの鳥に源次郎と健一が遭遇した。


 実際には連れていた子狼のウォルフが襲われたのだが、源次郎の放った銃声に驚いたのか飛び去っていった。

 二羽の大きな鳥は、茶色と白の羽に少し曲がった首と黄色い鶏冠がついていたとかで、とりあえずデビルコンドルということでデビコンと呼ぶことになっている。


 空を飛ぶ脅威。大きな猛禽類は場合によっては羊なども襲うというから、それより大きいデビコンなら人間でも襲うだろう。

 幸い生息数はそれほど多いわけではないらしく、それ以降は、空を見上げていた芽衣子が一度、あれかもしれないというのを見かけただけだった。



 最大の脅威だったのは、二年目の秋に現れた熊だ。

 なぜか、白熊だった。

 まあ白といってもかなり汚れていたので黄ばんだ白熊だったが、大きさは3mほどの熊。


 さくらたちが気がつき、全員が家に避難した。


 伊田家周辺で木の実を食べたり、時にウシシカを食べたりしているのを十日ほど見守った。

 このままだと、この周辺を縄張りとして居つくかもしれない。幸い伊田家の敷地内に入ってこようとはしなかったが、このままにしておくのは困る。

 全力で討伐することになった。



 初手は源次郎の銃撃。続けて二発。命中した。

 巨大な白熊にそれは致命傷にはならず、いきり立って源次郎に襲い掛かる白熊。


 想定内、罠は仕掛けてある。鋭く尖らせた木の杭をバネ仕掛けにして突き刺した。

 それで足止めにはなったが、数本の杭が突き刺さった状態でもなお、白熊はその闘志を失っていなかった。


 枝を折り、その爪で罠を仕掛けた日呼壱と健一に襲い掛かろうとしたが、今度は反対から芽衣子が手斧を投げつけて背中に突き刺した。

 芽衣子を目標に定めようとした白熊にさくらとマクラが吠え掛かり、木の上から飛び降りたシャルルがその片目を抉った。

 闇雲に暴れる白熊の腕を健一が斧を振るって深く切り裂き、怯んだ隙に日呼壱が脇腹に石槍を突き刺した。


 それでもまだ白熊は生きていた。満身創痍で動きは止まったが。

 最後は、銃弾を込めなおした源次郎が近寄って、顎から脳天を打ち抜いて止めを刺した。



 肉は余り美味しくなかった。独特の臭みがあったり、けっこう固かったりして。

 源次郎が言うには、暴れた後の肉はあまり美味しくないのだとか。血が回っているのだとかなんだとか。

 子猫や子狼にも不評だった肉は、結局焼かれて、残った灰は畑の飼料として撒かれることになった。


 危険で厄介で美味しくない。招かれざる獣だったが、やはり生息数は少ないらしく、それ以降は見ることがなかった。


 一応、ホワイトベアーでワイトベアーと呼ぶことにしたが、次に現れた時にその呼び名を覚えているか誰も自信がない。

 二度と現れないでくれる方がいい。あれがこの森で最後の個体で、絶滅してしまいましたということになっても。



 他にも細々とした発見があったりもしたが、どうやらこの森に蛇のような生き物はいない様子だった。

 トカゲ、蛇のような生き物は、大きいものも小さいものもいない。爬虫類そのものがいないのかもしれない。

 昆虫は、地球のものより二倍程度の大きさまでしか見ていない。蝶が地球の二倍の大きさだとかなり気味が悪いものだったが。


 ダニやノミのようなものは見ていない。最も良かったのは、蚊がいない。

 正確には、人間の血を吸う類の蚊がいない。蚊のような小さな羽虫はいる。食物連鎖の一部として、そういう生き物もいるのだろう。

 森の生態系を観察しながら、日呼壱たちは三年目を迎えていた。



  ◆   ◇   ◆



 その春――三年目の春のこと。日呼壱は二十一歳になっていた。

 すっかりワイルドな生活にもなれ、さくらの子供のうちの二匹、次男のミュラーと長女ハナを連れて森を散策していた。


 十四歳になった芽衣子も一緒だ。

 岩と木で作った投擲できる小さな斧をいくつか持って、一緒に狩りをしている。


 家でおとなしく、危険のないようにしていてほしいと思う日呼壱だったが、それで一度喧嘩になったのだ。

 私だって役に立てる、と。


 実際、芽衣子のサバイバル能力は高く、筋力以外なら日呼壱に負けていない。投擲に関してはむしろ日呼壱よりうまい。

 狩猟に関してはエース級の働きをしてくれているのだ。この少女が。



 皆で交代で狩猟と農作業をしている。美登里は主に家のことや縫い物、あるいは小道具を作ったりしていることが多い。


 何度か狩りにも出たが、美登里は牙兎にいきなり接近戦を挑むような妙なバランス感覚なので、一緒にいてハラハラさせられる。

 牙兎に飛び掛られて仰向けに押し倒された時には、一緒にいた源次郎と日呼壱の心臓が止まるかと思ったのだ。


 当の本人は、飛び掛ってきた勢いを利用して牙兎の喉に手斧を叩き込んでいたので、計算どおりうまく倒せたと言っていたが。

 だが、返り血でべとべとになった服をしかめっ面で洗っていたところを見ると、計算どおりではなかったのだろう。

 そういうわけで誰もが美登里を狩猟に出すのは反対だった。適材適所という言葉がある。



 ウシシカや牙兎を仕留めれば当面の肉には困らない。保存食として乾燥させたりする手間の方が時間を取られるくらいだ。

 さくらやシャルルたちは時折自ら狩りをしてくる。その獲物は、調理してほしいのか源次郎のところに持ってくるのが常だった。


 だから、その狼の唸り声を聞いた時も、知らないうちにさくらが狩りに出ていたのかと勘違いしてしまった。



  ◆   ◇   ◆

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