伊田家 第三十一話 続く日々_2



 電動丸ノコ用の替え刃に手回しを出来るハンドルをつけて、その下に鉄板を敷いてある道具。

 手でハンドルを回しながらその鉄板に接触させると、かなりの勢いで火花が散る。

 木屑にその火花を浴びせることで簡単に着火できるように、健一たちが自作した道具だ。火打ち石で火をつけるのは難しいだろうと。


 納屋には昔の火鉢があった。冬にはこれを使って暖房にすることになる。

 炭も、試行錯誤しながら作ってみているが、これはまだ不十分だ。燃焼させずに木を燻してみているが、熱しすぎて灰になったり、生っぽかったり。それらしいものは出来た。


 室内で火を使うことになるので、中が煤けたりすることになるがそれはどうにもならない。酸欠にならないように換気も必須だろう。

 暖房として使うのにひとつでは不足するということで、適当な大きさの石を削って同様の物の製作も計画している。


 他にも大きめの岩を、全員で家の裏まで運んできた。上を皿のように削って、他の岩を足場に高い位置に固定した。

 下で火を焚いて、湯を沸かせられるように。樹液で作った栓を抜くと、勾配で家の浴室側に湯が流れていくように樋も用意している。


 冬になれば屋根のソーラー温水器も使えなくなってしまう。その時の為の準備だ。毎日は無理でも、やはり湯船でゆったりとしたい。

 燃料の薪は十分に用意が出来る。今も車庫に集めている。



 少しずつだが確実に、この森で生活することに順応してきた。

 そうした日々の中で、初めて収穫された米。

 種籾にする分は収穫せずにそのまま残しているが、その他は刈り取った。

 重く頭を垂れ、黄金色に実った稲穂は、金色の野原のようだった。


 乾燥機も脱穀機も何もないわけで、自然乾燥と手作業だったが、その手間が余計に収穫のありがたさを教えてくれる。



「精米もちゃんとできないから臭いが気になるかもしれんが」


 炊かれた新米が並んだ食卓で、健一が手を合わせる。

 全員がそれにならった。


「いただきます」


 食卓を囲んで、神妙な面持ちで全員が米を口にする。



「……うん、なんだろう。ちょっと焦げた感じが香ばしいくらいで、美味しいよ」

「芯までふっくらとしてるわね」


 日呼壱と美登里の感想は概ね良好だった。


「もちもちしてる感じかなぁ?」

「乾燥が十分じゃないから水分が多いか」


 芽衣子が食感について言うと、健一が答えを返した。

 源次郎は黙々と食べていたが、やがて頷く。


「上出来だの」


 生来の農家にも合格をもらえる出来栄えだった。

 選択肢がなく自然農法での稲作だったが、十分な収穫があったので、当面の食料は問題なさそうだ。



 食卓には、魚の塩焼きが並べられている。

 夏の終わりに近づくと、湖で今まで見たことのない大きめの魚が取れるようになった。

 でっかいザリガニのような甲殻類もいたので、これも時折食卓に並ぶことがある。伊勢海老ならぬ伊田海老と命名。

 殻がベージュ色で泥臭いかと思われたのだが、意外とそうでもなかった。湖の中心側の湖底は、岩が砕けた砂のような地質だったので、その為なのかもしれない。


 森の木々の中には、黄緑色をした楕円形の果実が成っている。色が少しずつ青っぽい色から黄色に変わっていくので、熟れたら食べられそうだ。

 他にも、木苺の一粒ずつをもっと大きくしたような、紫色の実も成っていた。

 ブドウなのか、ラズベリーなのかよくわからないが、それに近い果物だったので芽衣子が好んで食べる。


 どれも日本で買おうと思ったらやや高級なフルーツで、一人分千円より安くはないのではないかと。そう思えば、食べ放題で無料というのは贅沢かもしれない。

 他にも、すり潰すと辛さを引き立てる種の植物や、山の清流にはわさびも自生していた。


 こんな異世界での生活で、電力が不十分で娯楽は提供されないが、食事は充実している。



「おかわりー」


 元気に芽衣子が茶碗を差し出すと、美登里が笑顔で受け取る。


「おじいちゃん、美味しいね」

「そげだの」


 顔の皺を深くして、源次郎が嬉しそうに応じる。


 物心ついてからずっと農業をしてきた源次郎にとって、良い収穫を分かち合うことは何より喜びだった。

 そのスキルが、こんな異郷の地でも役立っている。


 若者にその気持ちを伝えることは、現代の日本では難しかったかもしれない。

 不便な生活をさせてしまっていることは申し訳ないと思うところもある源次郎だが、食べるのに困ることがないような大地の恵みに感謝していた。



「ほんと、お米は大事、だよね」

「ありがたいことだの」


 春にこの森に来て、季節は夏を過ぎて秋の日差しになりつつある。

 このままなら冬を迎えることになるのだろう。

 日本の四季とほぼ同じような推移を辿っているので、冬の期間もおよそ九十日程度ではないだろうかと予想しているが、これはまだわからない。


 何も説明をしてくれるものがないのだから、まだ手探りで生きていくしかない。



「ああ、そういえば、やっぱり一日三分くらい時計がズレてるみたいだよ」


 一日の時間が、三分ほど短い。

 少しずつ日中と夜間の時間が、家の時計とズレていくのを計算していた日呼壱が言った。



「一年の周期もわからんからな。とりあえずあの日時計で、影の長さだとかを地道に見ていくしかないな」


 田んぼの近くに杭を立てて、その周囲に円を描いた。

 石を並べて、影が一番短かくなったところや、一番長くなったところに印をしている。


 一年が何日なのか、一日が何分なのか。そんなことさえわからない世界だが、食卓に笑顔があれば大した問題ではないように思えた。



  ◆   ◇   ◆



「この上から踏んでいいの?」


 農作業や狩猟の合間などに樽やタライを作ってきた。

 木材を隙間なくぐような技術はないので、大木の幹をくりぬいた太鼓樽と呼ばれるような樽の形。


 木材によってはヤニが多く使えない材料もあったが、妙に良質なものもある。

 空気に触れてしばらくすると固まる樹液を利用すれば、もっと違う木工も出来るかもしれない。


 だが、今はこれでよかった。蓋も樽の大きさに合わせて作ってある。

 中には、収穫しすぎた謎ベリーの実が詰め込まれていた。



「ああ、芽衣子ちゃんに手伝ってほしいんだ」


 ショートパンツで生足の芽衣子に健一が依頼する。


「うん、しょっと」


 踏み台から樽の中に足を突っ込む芽衣子。

 踏み潰したら搾りかすは簡単に捨てられるように布袋に包んである。


「そのまま踏み潰してみてくれるかい?」

「うん、やってみる。うんしょっはっふっ」


 右左と足踏みをする芽衣子に目を細めて、健一はその場から離れた。



 収穫が終わった田んぼは水が入っていない。湧き水は南北に分けた水路に流れている。

 乾いた田を鋤(すき)や鍬(くわ)で日呼壱が耕している。来年の稲の為に土を起こして、蓮華草の種を撒いているところだ。

 蓮華は秋に種まきをして、翌春に花を咲かす。それは稲の肥料となるので、土地が痩せないようにやるのだが。



 一休みして、芽衣子が一生懸命ふみふみしている姿を眺める日呼壱。


「葡萄酒……っていうのか、まあ果実酒なのか。出来るの?」

「さあな、出来たらいいなというところだが」


 材料は森でいくらでも採ってこれる。食べきれるような量でもない。

 ものの試しでやってみるだけだ。


「知っているか、日呼壱」

「?」


 一緒に、芽衣子の姿を眺めながら、


「昔の欧州ではな。ああやって葡萄を踏むのは、嫁入り前の娘だという話だ」

「ああ、なんかそんな風な話は聞いたことがあるけど」

「だが実際には、農家の中年おっさんとかが踏み潰していたらしい。割と重労働だからな」

「知りたくない話だよ、それは」


 顔をしかめる日呼壱に苦笑する健一。

 世の中には知らない方がいいこともある。


「ああ、今時はもう足で踏んで作るような手間はかけずに機械でやってるらしいから安心しろ」


 それを飲む機会もなさそうだけど、とは口にはしなかった。

 健一は、特別に酒好きではなかったが、手に入らないと思うと地球で飲んでいた酒のことを懐かしく思った。

 出来れば、息子と一緒に飲む機会があればいいのに、と。



「父さんが思うにな。おそらく最初に誰かが売り文句で、うちの葡萄酒は穢れない娘が踏んで作ったと宣伝したんじゃないかと。そう思うんだ」

「なるほど、そうかも」

「それを聞いた他の売り手も、うちのも生娘が踏んで作った。この地方の葡萄酒は処女が踏んで作る慣わしだ、と増えていったんじゃないかと」


 それでそういう伝統なのか風説なのかが形成されたのではないかと。

 健一は自分なりの所感を言って、ふっと笑った。


「どうせならそういうことにした方が、美味しく飲めるじゃないか」


 日呼壱は、樽に生足を突っ込んで一生懸命に動かしている芽衣子を見て、頷く。

 健康的な小麦色の足が、日差しの中で紫の果汁に塗れて輝いていた。



「ああ、その欧州人の気持ちは、わかるよ」


 酒とは別の価値を感じながら、もう一度頷く。


「わかるよ」


 父と息子は、初めて本音で会話が出来たような、とても穏やかな心境でその光景を眺めていた。



 後で健一は、鼻の下を伸ばしていたことを美登里に見咎められて、出来たワインを飲む度に責められるのだった。変態、変態、と。



  ◆   ◇   ◆

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