伊田家 第三十話 続く日々_1



「あははっ、良かった……本当に良かったよぉ」


 芽衣子の明るい声が納屋に響く。


「すごいね、生きてるって……すごい」


 目じりに涙さえ浮かべながら、興奮したような笑顔。

 感動と、喜びと、驚き。

 そんな感情をどう伝えていいのか戸惑う少女に、どんな言葉をかければいいのかわからない。ただ自分の胸に浮かんだ言葉を返すだけ。



「ああ、すごいね。本当に、なんだか言葉にならない」


 言葉にしてみて初めて、日呼壱も芽衣子と同じ状態なのだと自覚した。

 言葉が出てこない。

 語彙がなくなって、ただ感嘆の言葉だけが口に上る。


「はぁぁ~、息するの忘れてた。あははっ」


 言われてみれば日呼壱もそうなのだ。

 安堵と共に深呼吸。そんな二人をよそに、源次郎はマクラの頭を撫で、美登里はさくらの背中をさすっている。


 そのさくらは、生まれたばかりの我が子を舌で舐めて綺麗にしていた。


「えらかったね、さくら」


 芽衣子が褒めると、さくらは小さく鼻を鳴らした。



  ◆   ◇   ◆



 出産。

 季節は秋に近づき、伊田新田の稲穂が徐々に大きくなってきた頃に、さくらは納屋で三匹の子狼を産んだ。

 出産直後で健康状態もよくわからないが、とりあえず犬の形をした桃色の肌が目立つ生き物だ。毛が生えていない動物の赤ちゃんはこんな感じなのか。


 父親は、マクラなのだろう。

 異郷の犬と狼だが繁殖は可能だったようだ。日本でも過去には犬と狼の交雑種がいたと聞くし、秋田犬などは狼と遺伝的に近いのだとか。


(叔父さんが言ってたみたいに、やっぱり何か、遺伝子の初期プログラムを作った神様みたいなのがいるのかもしれない)


 この宇宙に、同系統の生命体を進化させるような、そういう意図を持った超文明の存在がある可能性。

 そういう話を寛太が言っていたことを思い出す。


(叔父さん……)


 戻らなかった彼のことを口には出せない。



 泣きじゃくる芽衣子を思い出す。

 一週間経っても帰らない父親。二週間経っても、一ヶ月が過ぎても。

 芽衣子は気丈に振舞おうとしていたが、ふとしたはずみで涙が止まらなくなってしまう時もあった。


 どうにか芽衣子を元気にしてあげたい。

 夏になり、あの湖が泳いでも問題ないか、日呼壱と健一で少しもぐってみたところ、危険な生き物は見当たらなかった。

 なぜ伊田家にあるのかわからない芽衣子のサイズの水着を用意して、湖で遊ぶ日を作った。


 その日はその湖畔で小さなキャンプファイヤーもしてみたのだが、これがまずかった。


 ――パパ、ここが見つけられるかな?


 芽衣子は泣いてはいなかった。

 だが、聞いていた日呼壱が号泣してしまった。

 キャンプファイヤーを見つけた寛太が帰ってくるのではないか、と。


 儚い希望だとわかっていながら呟いた芽衣子の前で、日呼壱は堪えることが出来なくて、大泣きした。

 それまで芽衣子には、きっと無事だからと根拠のない慰めを言っていたくせに、その希望があまりに切なくて。

 結局、全員で泣いてしまった。



 その芽衣子が、本当に心から嬉しそうに、楽しそうに、さくらの出産に立ち会っている。


(さくらには助けられてばかりだな)


 この森で出会った日から、さくらは日呼壱たちを助けてくれていた。


 お腹が大きくなりかけたのに気がついたのは美登里だった。

 犬や猫の妊娠は、人間ほど大きく目立たない。それでも気がついた美登里の観察眼を褒めるべきだろう。


 おそらく身篭ったということで、さくらは納屋に部屋を用意された。

 森の木で枠を作り、納屋にしまいこまれていた古い布団を敷いて、そこで安静にするようにと言われたさくらは少し困った様子だった。


 森での生活にも慣れてきて、さくらの助力がなくてもウシシカを狩ったり、畑での野菜の収穫などもある。

 一度だけ、石猿の群れが近隣に現れたことがあったが、健一と源次郎で二匹を仕留めると、残りはどこかへ散っていった。

 今回の群れには大きなボスのような個体は見当たらなかった。はぐれた群れだったのだろうか。



「さくら、よくやった。頑張ったな」


 日呼壱もさくらに声を掛けて、子犬の毛づくろいをするさくらの邪魔にならない程度に首を撫でる。


「自分でちゃんと産むように出来とるもんじゃ、生き物ちゅうもんは」


 源次郎は過去にも犬や牛の出産にも立ち会ったことがあるという。

 マクラも、知り合いの猟師のところで生まれたのだと言っていた。

 そうは言っても心配だったのだろう。すっかり家族の一員となったさくらの一大事が無事に終わり、マクラを撫でる手が少しせわしない。



「あっ、シャルルやめなさい」


 美登里の脇からするっと木枠の中に入り込む銀色の猫に、やや慌てて声を掛ける。

 出産直後の赤子に触れようとすると、母親は攻撃的になるかもしれない。

 そう思ったのだが、さくらは気にしないのか、子犬を舌で毛づくろいするシャルルを容認していた。

 前から共同生活をしていたような二匹だ。それなりの信頼関係があるのかもしれない。


(猫の舌はザラっとしていて痛いかもしれないけど……そこは優しめに舐めているのかな)


 日呼壱の心配も不要のようで、子犬たちは気持ち良さそうにされるがままになっている。

 シャルルも、新しい命の誕生を歓迎しているのだろう。


 秋の収穫を前に、伊田家には新しい家族が増えたのだった。



  ◆   ◇   ◆ 

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