伊田家 第六話 始まりの日_6



 とりあえず、さしあたっての作業を終えて庭に戻るとバーベキューセットが出ていた。

 主として野菜が焼ける匂いが風に乗って漂う。


「コンロは使えなかったわ」


 電気コンロは使用出来なかったらしい。



「停電時の出力は一〇〇ボルト一五〇〇ワットまでだから二〇〇ボルト機器は使えない。電気が送られてるのは冷蔵庫と井戸ポンプと、非常用コンセントくらいだ」


 電気工具メーカーの健一は、太陽光設置に反対したものの説明は聞いて理解している。井戸水ポンプは健一の勤め先の関連会社の製品だったりもする。

 ふーん、と美登里は理解している様子ではない生返事を返していた。



 太陽光設備を強引に設置した源次郎はそんな会話に自分は関係ないという様子で、バーベキューの網で焼けたタマネギを食べていた。


「ほふ、このタマネギは甘いの。どこで買ってきたんじゃ?」

「いやですよ、お爺さん。うちの畑でしょう」


 からからと笑う義父と嫁。血液はさらさらだろう。



「ほら、芽衣子ちゃん。お肉食べなさい」


 美登里が焼けた肉を芽衣子の皿に乗せる。


「ありがとう、おばさん」

「いいのよ、育ち盛りなんだからいっぱい食べてね。お肉は……次に買いに行けるのがいつになるかわからないし」


 今ある食材がなくなったらどうしようか。

 なんとなく全員の視線が、表の椅子に立てかけられた猟銃に向かう。


 狩猟生活。

 必要であれば、そういうことだろう。



「猪ならわしが捌いてやるがの」


 頼りになる猟師もいる。


「おじいちゃんの狩り、私も見てみたい」

「獲物になりそうな生き物がいたら考えてみるか。あとは、川でもあれば釣りしてみるかな」


 芽衣子の方も気を遣ったのか笑顔を見せ、健一もそれを否定せずに頷いた。今の状況であれもダメこれもダメとは言っていられない。



「日本に帰れれば問題ないんだけどなぁ」

「……」


 寛太本人にとっては、何の気もない呟きだったのだと思う。


 早く日本に帰りたいと、この一同の中で最も強く思っていたのが、尾畑寛太だったから。

 それゆえのぼやき。

 ごく自然な、本当に当たり前の言葉だった。



「……」


 少し遅くなった昼食の席に、重い沈黙が流れる。

 責めているのではない。

 ただ、そう言葉にすることで、それが叶わないような気がして。それぞれが何となく口にしなかった言葉。



 ――日本に帰れたら。


 ごく当然の希望の言葉が、逆に今の現実を強く認識させる。

 帰ることができるのか、と。


 その方法にあまりにも見当がつかない。思い当たる手段がない。

 またあの雷が鳴れば帰れるというのか。



 雷――というのも正しくない。

 皆が聞いた轟音を雷とは言っているが、その時に稲光はなかった。


 数秒間に渡って大気を震わす轟音と震動。それに身をすくめて、ようやくおさまったかと思ったらこの状況。

 家ごとまるで見知らぬ土地に送り込むなどというのは、雷というありふれた現象とは違う。天変地異でさえない、神の悪戯のようなもの。




「ああ、帰りたいよな。すまん寛太」


 今回のこの事態は、とりあえず見える範囲では伊田家だけの出来事だ。

 たまたま来訪していた寛太と芽衣子を巻き込んでしまったような気持ちで、健一は言葉少なく謝った。


「あ、いや、そうじゃなくってさ。ほら、もしかしたら他の家とかうちの家とかも、この森のどこかに来ちゃってるかもしれないし。ああ、ここだけとは限らない話だろ」


 先ほどの希望とは全く逆のことを並べる寛太に、芽衣子がその背中の裾を掴む。



「あ……ごめん。ごめんな、芽衣子。連也とママが心配してないかと思って」


 尾畑連也おばたれんやは芽衣子の弟になる。

 まだ一歳の連也は、当然のことだが母親にべったりだ。

 母親はそんな連也にかかりきりでもあり、その育児によるフラストレーションも溜まる。


 お勉強よりも活発な活動が好きな芽衣子の子供ながらの失敗に対して、過敏な反応を返すこともしばしばあった。

 それもあり、ここ最近はどちらかというとパパ寄りな姿勢になっていた芽衣子だ。



「ママ、怒ってるかな?」

「心配してるだろう。大丈夫、パパがちゃんと説明するから」


 こんな状況をどう説明するのか。日本で帰りを待つ妻を納得させられる自信は全くないだろうが、とりあえず寛太は笑ってみせた。



「よし。美登里さん、俺にも肉を下さい。元気をつけて帰り道を探してみよう。案外、近くから帰れるかもしれない」

「そうね、一瞬で来たわけだから帰ろうと思ったらすぐかもしれないわね」


 寛太の空元気に美登里も応じて、とりあえず重苦しくなった食事の席の空気を払う。




 日呼壱は、何となく理解していた。

 ここから帰ることは容易なことではないと。少なくとも人間の力でどうにかなりそうではない。

 そんな日呼壱の様子に、健一も美登里もそれを察してその方向で思考していた。


 伊田家一家はここに揃っている。

 一族郎党というわけではないが、少なくとも家族は全員が揃ってこの未曾有の災難に立ち会っている。


 それに対して、尾畑家は引き裂かれた状態だ。

 妻と一歳のわが子を残してきた夫。

 母親とはぐれた小学六年生の女の子。


 日呼壱の思う最優先は、生存すること。

 寛太が最優先に考えるのは、帰還すること。

 同じ状況に置かれていても、それぞれ違う。



「俺たちも早く日本に帰りたいよ。こんな時は消防士の叔父さんが一番頼りだ」

「おいおい日呼ちゃん、消防士の職務にこんな事態はないはずだぞ」

「いや、ここで一番体力があるのは寛太だ。頼りにしてるぞ」


 健一も寛太の背中を叩きながら、その皿に肉を乗せた。


「健ちゃんまで……ああ、大丈夫。何としても帰る方法を探すよ」



 後から思えば、この時の昼食会がそれぞれの運命を決めたのかもしれなかった。

 そんなことは知らずに、一同はこの異常な状況での初めての食事を摂るのだった。



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