伊田家 第二話 始まりの日_2



「あぁ、うん、確かにこういうの・・・・・は父さんより俺の方が詳しいよ」


 ひとしきり驚いてから、日呼壱はわざとらしく咳払いして頷いてみせる。

 庭には、轟音が響いた時に在宅していた全員が揃っていた。


 日呼壱からみて、祖父の源次郎。父親の健一、母親の美登里。父の従兄弟である尾畑寛太とその娘の芽衣子。

 それぞれが不安を抱えつつも、一番年少の芽衣子を心配させないよう表情は平静を保とうとしている。



「最近のゲームやアニメ、漫画なんかの定番の異世界転生……いや転移ってやつなんだと……思う。地球じゃなければ」


 周辺を見渡して、日呼壱は全員にそう告げた。

 その横では、犬小屋から連れられてきた飼い犬のマクラ(五歳雄)が芽衣子に撫でられている。

 先ほどまでは突然の雷鳴に驚いたらしく、小屋の奥に引きこもっていた。



「異世界……地球じゃないのかしら?」

「母さん、俺はあんな木の実は見たことがない。胡桃くるみ……みたいに見えるけど。世界中を探したらあるのかもしれないけどさ」

「わしも知らんのぉ」


 周辺の木々の中に、バレーボールほどの胡桃のような実が生っているものがあった。



「胡桃の実は、あの茶色い状態で木に成っているわけじゃないぞ。硬い殻になってるのは種の部分のはずだが……」


 健一も眺めて首を振る。今そこに見えるのは殻の状態の胡桃のような状態で成っている木の実。やはり胡桃ではないことは間違いなさそうだ。

 食べられるのだろうか、という疑問もある。そういう確認は後回しでいいとして。



「こんな地形。頂上がかすれて見えない山脈も、少なくとも日本の地理には当てはまらない気がする」

「気候は日本と変わらない……少し暖かいような気もするが、日本でこんな巨木の大森林は屋久島みたいな場所くらいだろうな」


 健一も、少なくとも日本のどこかだとは思えなかった。



「つまり、あれか。異世界……転移というのは、漂泊学校とかそういう」

「健ちゃん古いなぁ。あれだよ、レアアースとか不可思議遊戯とか」


 健一のたとえを聞いた寛太が苦笑しながら他の例を挙げる。


「なにそれ?」

「メイちゃん、アニメ衛星チャンネルでゼロモンベンチャー見てただろ。ああいうの」


 親世代の二人の例えがわからなかった芽衣子に、日呼壱が補足する。


「ゼロモンは子供だけだったよ」

「今回は、家ごと……かな」



 例えが古いといわれた健一はしかめっつらで、


「まあ、爺さんには難しいかもしれないが……」

「わかっちょおわい。あげだ、自衛官が戦国時代に行ったりする映画とか、あぎゃんことだが」


 年寄り扱いするな、と鼻をならして答える源次郎。おそらくその映画の主演は、日呼壱が知っている役者とは違うのだろう。


「そうだね、爺ちゃん。ああいう感じで、家ごとどこか別の世界……別の時代なのか、そういうのに来ちゃったんじゃないかと」



 とりあえずこの異常事態について、それぞれが何となく映画やら漫画やらの状況との相似点を見つけて、ある程度の納得をする。


 世代は違っても、多少なり娯楽映画やら漫画やらに触れる機会はあったのだ。

 現状をそういった事例に照らし合わせて、少しでも理解しようと努める。

 冷静に。芽衣子を不安にさせないようにという理由と、住み慣れた家という拠点にいることも多少は落ち着く助けになっているのだろう。



「どうしたら帰れるのかしら?」


 どこかのんびりした様子の美登里。

 もともと都会での暮らしより田舎に行きたいと言うような女性だった。この状況も受け入れてしまうのかもしれない。



「どう、かね。それもだけど、まずは安全を確認した方がいいんじゃないかなと」


 異世界転移のゲームや小説では、転移した先で戦闘という展開は定番。生きる上で戦いは必須だ。

 帰還方法も考えたいが、それ以前に身の安全が最優先に挙げられる。



「日呼壱の言うとおりだ。芽衣子ちゃんもいるし、この森に危険な生き物がいるかもしれない」

「わしの猟銃が役に立つかのぅ」


 源次郎は狩猟免許を持っていて、年に何度かは猪の駆除などで活躍することがあった。晩秋ごろの猪の肉は脂がのって美味だったりもする。

 健一が都会でその話をしたら物珍しがられたものだが、山間部の田舎ではそれほど珍しくはない。


「あれは、そうだな。爺さんしか使えないから」


 猟銃の管理は日本では非常に厳しい。不用意に持ち出すことも、第三者に触れさせることもいけない。

 健一も日呼壱も、過去に興味本位で触ろうとしてこっぴどく叱られた経験があった。



「とりあえず、俺と日呼壱で少し周辺を見回ってこようと思う。爺さんと寛太は、ここで警戒しててもらえるか? こういう状況だから銃も用意しておいてくれ」

「行くなら長靴と軍手と、何か……なたとかを持っていった方がいいでしょ」


 木の枝を落とす鉈や、過去に焚き風呂の薪を作っていた斧なども納屋にはいくらか準備がある。美登里がそれらを取りに行く。



「マクラも連れて行くの?」


 黒い毛並みの犬の首を抱えて日呼壱に尋ねる芽衣子は、いくらか不安そうな様子だった。


「あーいや。マクラはそうだな。今はメイちゃんと一緒にいてもらったほうがいいかな」


 マクラは、ベルジアングローネンダールという牧羊犬の血を引く、大き目の雑種の犬だ。

 黒い毛並みの、純血種と異なる短毛のシェパードのような犬で、源次郎の狩猟仲間のところで生まれたのをもらってきた。


 命名は美登里だ。真っ黒だけど、クロでは安直だから真っ暗、マクラ。

 愛犬に未知の森を素足で歩かせるのには不安がある。

 それに今は、一番年少の芽衣子の傍に置いておく方が良さそうだった。



「そういえばシロの姿を見てないな」


 シロは、その名の通り白い猫だ。基本室内飼いなので屋外には脱走した時しか出てこないが、窓辺にも見当たらない。

 家のどこかで寝ているのだろう。飼い猫は暢気なものだ。

 シロの命名は健一だ。その一年後にクロでは安直という妻の意見を、彼はどう捉えたのだろうか。



「マクラのおうちの裏に猫ちゃんたちいたよ」

「裏って?」

「ああ、そうだったか」


 心当たりのない日呼壱に、健一が声を上げた。


「野良猫が納屋の方で子猫生んでたんだけど、こんなところまでついてきちゃったんだな」


 春先に猫が繁殖するのは珍しいことではない。

 それが、こんなタイミングに重なって一緒に転移してきてしまったようだ。



「それはまあ仕方ない。もともと野良だし、何とかするんじゃ……いや、外来種の持ち込みとかになっちゃうのかな」


 自然豊かな島などで、人間が持ち込んだ外来種で従来の生態系を壊してしまうという話を思い出す。

 この場合、伊田家の人々自体が外来種ということにもなるが。



「どうしようもないんじゃない。って子猫じゃ生きていけるかもわからないけど。俺、ちょっと見てくる」


 寛太は、軽い感じで納屋の方に向かっていった。

 その背中を見送る小学生女子。


「パパ、家だと猫飼えないから」

「叔母さんがダメって言うんだっけ?」


 厳密には寛太やその妻である由香利は、日呼壱からみて叔父叔母ではない。慣習でそう呼んでいるだけで。



(この状況で娘を置いて子猫を見に行ってしまう父親というのもどうかと……いや、おじさんも混乱しているんだろうな、これじゃ)


 などと思いながらも、日呼壱も子猫に興味がないではない。

 こんな森で死なせるのも可哀相だから、必要なら後で保護したいと考えている。


 納屋に向かった寛太と入れ違いで美登里が戻ってくる。その手には、田んぼに入る時の腰までのゴム長靴と軍手、鉈が一本あった。


 オーバーオールのような胴付き長靴。

 農家なのでこういった道具はわりと何でも出てくるところが、とりあえずこの状況では役立つ。



「えぇ、母さん。長靴ってそれ……」

「蛇とか毒蜘蛛とかいるかもしれないでしょ。ほら、芽衣子ちゃんの前だからってカッコつけてないで履きなさい」

「いや別にメイちゃんの前とか……」


 ちらり、と芽衣子を見る日呼壱。

 本人の前では言えないが、日呼壱はロリコンではないと自負している。


「つべこべ言わないで履きなさい。大蛇とかいたらどうするの」


 健一は黙って、渡された胴付き長靴を履いている。妻の意向にはノーは言わない。日本人だから。



「う、蛇か……」


 日呼壱は、農家の子供だが蛇は苦手だ。

 足元がよく見えない森の中なら、確かに皮膚の露出は少ない方がいい。大蛇がいたらあまり関係ないような気もするが。


 渋々渡された長靴を履き、軍手を嵌める。首周りも虫刺され防止の為にタオルを巻いて帽子を被る。



「日呼ちゃん、探検隊みたい」

「ありがと、メイちゃん」


 まさに秘境探検隊なわけだが、芽衣子の賞賛の言葉に日呼壱の気持ちは幾分か楽になった。


(異世界探検とかってまあ、嫌いじゃないし。っていうか男だったらちょっとは憧れるだろ)


 ゲームや漫画などのサブカルチャーで育った世代としては、一度となく夢見るシチュエーションだ。

 装備は理想とは違うわけだが。


 ジャージ、胴付き長靴、軍手、野球帽。



「あれ、鉈は?」


 現時点での最強装備が見当たらない。


「父さんが持つ。よし、行くぞ」

「気をつけてね、お父さん」


 テンションがあがっているのか、いつもと少し様子の違う健一の背中に美登里が声をかける。


「あれ、息子には?」

「しっかりね、日呼」

「……なんか違くない?」

「気をつけてね、日呼ちゃん」



 小学六年生の声援を背中に受けて、日呼壱は歩きなれた敷地から道路への下りを降りて、見知らぬ大地に踏み出していった。



  ◆   ◇   ◆


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