第五話 森の長の家_3
玄関から先は素足で入る約束のようだった。
外でも裸足だったフィフジャは、再び濡れた手ぬぐいで足を拭かされてから本宅に上がることになった。
「
くすくすと笑いながら少女が言う。
ちょうどそこに、開いた玄関からするっと進入する、小さめの白い獣があった。
少女はそれを素早く淀みない動きで捕まえて、今しがたフィフジャの足を拭いていた手ぬぐいでその足を拭く。
「NEKO」
『ナア』
声を上げてから、解放されて逃げていく白い獣。この家の住民らしい。
(ああ、あれと同じだと……あれと同じレベルだって言われたのか)
文化のない蛮族のごとき扱い。仕方ない、出会った時点では浮浪者なのだし。裸足で屋外をうろうろしたのだし。
「ネコっていうのか」
入ってきた白いネコと、家の中には別の茶色のネコがいた。フィフジャを見てから、すぐに奥へと走り去っていく。
小さく素早い生き物だ。と思ったら、別の所ではだらしなく寝そべっている灰色の縞のネコもいた。
他ではみたことがない。ネコという呼び名も初めて聞く。
色とりどりで同じ種族だとは思えない。
普通の動物ならほとんど同じ体毛か、オスメスで色が違うかくらいなのだろうに。珍しい生き物だ。
このあたりにだけ生息している動物なのだろう。
そんなものを見ていると、通路の戸の前で少女が中に向かって声をかけた。
「
「
中から、大人の女性の声がする。
それを受けて少女が戸を引いて開けて中に入った。
続いてフィフジャが、その後ろから少年が入った。
「
中には女性がいた。ベッドから体を起こしてフィフジャ達を迎えるその女性は、少年少女たちの母親のようだった。
彼女の瞳が、何かとても懐かしそうにフィフジャを見つめる。
「あ、と……」
言葉はわからない。
言葉が出てこない。
その女性の、儚げな美しさと、とても強い意志を持った瞳に圧倒されて、言葉が出てこない。
(なんて……綺麗な人だ。人……だよな?)
喋ろうにも言葉が通じない。それにしても何か言うべきだろうに、その存在感の薄さと強さという相反する雰囲気に気圧されてしまう。
「
噛み締めるような呟き。
彼女は、ゆっくりとした動作でベッドから立ち上がり、そっと礼をした。
「
挨拶だ。
おそらく挨拶なのだろうが、何を言われているのかわからない。
困惑するフィフジャに笑顔を浮かべて、彼女は自分の胸元をそっと自分の手で差して、
「
「あ、ええと、イダ・メーコ、さん?」
頷く彼女に見とれてから、はっと気を取り戻す。
「ああっと、ええと、俺……じゃなくて、自分は、フィフジャです。フィフジャ・テイトー」
彼女がそうしたように、自分を指し示して名前を告げる。
「フィフジャ」
「FIFUJASAN?」
「フィフジャ……うん、フィフジャ」
「ひふじゃ?」
女性と、少女がフィフジャの名を呼ぶ。伝わっただろう。
「ふぃふじゃ……
「YAMATO!」
何かを言った少年に対して、声量は大きくないが叱責の声を掛ける女性に、少年は何やら謝罪の言葉を返した。
おそらくフィフジャの名前を、聞きなれない妙な名前だとでも言って怒られたのだ。
(それはまあ、お互いに地域が違うから仕方ないことだよな)
違う部族の名前なんて、どこか妙に聞こえるものだ。
フィフジャはこのズァムナ大森林のあるズァムーノ大陸の生まれでもない。奇妙に聞こえて当然だ。
「IDA YAMATO IYASHIOOYASHIR☆§%&**”……」
少年が何かを言うが、早口で長すぎて聞き取れない。
「あーえっと、ちょっと待って……」
まくし立てるように言う少年の頭を、ぺしりと少女が叩く。
そして何事か言い合い、むうと少年が口を尖らせた。
「IDA ASUKA DAYO」
言い合いを切り上げて、少女がフィフジャに向かって自分を指して告げる。
「イダ・アスカ・ダヨ?」
「AA! CHIGAUCHIGAU …… IDA ASUKA」
何か取り直すようなことを言ってから、再び名乗りなおす。
「イダ・アスカ?」
にっこりと頷く少女。それに続けて、
「IDA YAMATO」
「イダ・ヤマト」
にっと笑って親指を立ててみせる少年。間違っていないということなのだと判断する。
イダ、というのは家名なのだろう。
「ええと……メーコ、アスカ、ヤマト?」
名乗られた順番に再度確認すると、それぞれ頷いた。
メーコは、立っているのがつらいのか、ベッドに腰を下ろす。
病気なのだろうか。
「フィフジャ・テイトー……フィフ、フィフ」
自分を指差して愛称を連呼する。そんな風に呼ぶ相手は過去に一人だけだったけれど。呼びやすければそれでいい。
「フィフ?」
「そう、フィフって呼んでくれたらいい」
どうやら伝わったようで安心する。
どんな相手でも、知性のある者同士ならコミュニケーションをとることは不可能ではないのだ。
メーコはやはり病らしく、ベッドに背を持たれかけてフィフジャと話をした。
話と言っても、何かしらお互いのことを喋ってみるのだが、伝わっているのかどうかはわからない。
フィフジャがわかったことは、ここには三人しかいないということ。
周囲には誰もいない。集落などない。
アスカが持ってきた絵本――こんな上質紙の絵本なんてものはフィフジャは初めて目にしたが――それを使って質問をされる。
――市場で人々が集まる絵。町の大通りの絵。城や軍隊の様子。
どこかにあるのか、と。
フィフジャは、自分が通ってきたはずのずっと北の方角――森で迷っていたにしろ町の南に大森林があるのだから――を指差して、市場や村、町があると頷く。
それを聞いた時、メーコの目から涙が溢れ出してしまい、フィフジャは困ってしまった。
なぜ泣くのだろうか。
この世界に、自分たちだけしかいないとでも思っていたのか?
他の人間は滅びたとか。
理由はわからなかったが、悲しくて泣いたわけではなさそうだった。
他にも、見たこともない硬貨や、緻密な絵の描かれた札なども見せられた。
貨幣や何かのことなのだろう。
フィフジャは、自分の荷物は既に失っていて何も持っていなかったが、貨幣で物を交換するということは可能だと伝えてみた。
だが、彼らが持っている硬貨はどこでも見たことがない。
やはり古代に滅んだといわれている超魔導文明の最後の生き残り、というのが真実味を帯びてきた。
(いや、それにしては……魔術を使っているような形跡はない。この家には、魔術の道具があるみたいなのに)
魔術のような気配のする物品はある。
だが、彼ら自身には魔術を行使している様子がない。
ちぐはぐな存在だ。なぜこうなったのか説明がつかないまま、結果だけがあるような。
(これは……もしかして、これが目的で、送り込まれたのか?)
フィフジャがこの大森林に来た理由。
依頼者から、この森の探索で目に見える成果を持ち帰るという要望。
地図を作って森の状況を確認するというのが当面の第一目的だったのだが、それにしては送り込まれる規模が大きかったように思う。
一流の探検家を十人単位となると、下手な兵士を百人集めるより金がかかるはずだ。それでは済まないくらいか。
もしかして計画を立てた誰かは、このイダ一族の存在を知っていたのではないかと。
(どうやって……考えても仕方ない)
どういう目的があったのか、ただの偶然なのか、答えを得るにしても帰ることができなければ何もできない。
メーコたちからは他にも色々な質問、疑問を投げかけられたが、わからないこともあったし、質問の意味がわからないこともあった。
そうして話していて、助けられた理由に合点がいく。
彼らは、この森の外の情報がなかったのだ。
だから外からの来訪者であるフィフジャを助けてくれたのだと。
理由がわかれば、神秘的なだけに思えた彼らのことも、普通の人間なのだと安心するのだった。
◆ ◇ ◆
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