それではイチャイチャしてみましょう

雪谷探花

1.手をつないだまま帰る

 グラウンドでは野球部が練習に励んでいる。

 俺はその掛け声を聞きながらぼんやりしているだけだ。

 人のいない教室にしばらくいると、不思議な感覚を覚える。

 記憶の中の教室は騒がしかったり、多くの人がいるからだろうか。

 いつもとの違いが非現実感を生み、ほのかな寂しさを生み出す。


「キョウスケ」


 びくりとして入口を見れば、ユリカが悪戯っぽく笑いながら近づいて来ている。


「お待たせしました」


 そう言いながら側に寄り、おもむろに頬を突いてくる。


「驚かせてしまいましたか?」

「ああ、ちょっとぼんやりしてたから」


 楽し気だったのでされるがままにしていると、満足したのか手が引っ込んだ。

 立ち上がり、鞄を持つ。


「じゃ、行こうか」


 頷いたユリカと歩き出す。


「下駄箱で待ち合わせでもよかったんじゃないか?」

「いえいえ、やはり教室での待ち合わせは格別ですから」

「そういうもんか?」

「そういうものです! 教室という、普段みんなと過ごす場が、放課後という人気がなくなっていく状況下ではどこか秘密めいて、しっとりとした空気の情感たっぷりな待ち合わせ場所になるんです! 素敵でしょう!?」

「そうかー」

「反応が薄い! やれやれ……この良さがわからないなんてキョウスケはまだまだ修行が足りませんねえ」


 しょうがない奴め、といった感じで肩をすくめて盛大に鼻で笑ってきたので、鼻をつまんでやった。

 チョップされた。

 そして、妙なことなど何も言っていませんが? みたいなすまし顔を作り楚々として階段を下りていく。

 こうしていると、いかにも育ちのいいお嬢様といった雰囲気なんだがな。

 下駄箱で靴を履き替えると、ユリカがニヤリとした。


「それではイチャイチャしてみましょう」


 俺たちが付き合い始めて結構経った。

 俺としてはこの愉快なかわいい恋人とゆったり末永く過ごせたらと思っていたが、ユリカは殊の外アグレッシブだった。

 関係を深めるにも色々なアプローチがあると熱弁を振るわれた結果、じゃあやってみるかという事になった。

 それが今から始めるイチャイチャ、という名のちょっとした遊びだ。

 その時のユリカは上手いこと説得できたとご満悦だった。

 実際はユリカのお願いなら即座に了承するから、俺としてはテンション高く身振り手振りを交えて語る様を楽しむ時間だったが。

 とにかく、俺たちはイチャイチャをする。


「まずは手をつなぎましょう」


 先程と打って変わって邪気の一切感じられない微笑みで右手を差し出してくる。

 一体何を企んでやがる……。

 俺は喜び勇んで恋人つなぎした。


「今日はこのまま駅までずっと手をつないで行きます」

「いいだろう。望むところだ」


 俺は駅までと言わず家まで送り届けたっていいが。方向逆だけど。


「では、参りましょう」

「ああ」


 歩き始めて、ちらりと顔を覗く。

 視線が交わる。

 ユリカが囁いてきた。


「興奮しますね」


 やめなさいはしたない。


「むふふ」


 その笑い方もやめなさい。


 ユリカは心なしか早足で歩いている。

 ウキウキしてるのが表情からも見て取れる。

 しょうがない奴め。

 俺は走りだしたい気持ちを全力で抑えているから平気だ。

 手も離れてしまうしな。


「ここです」


 着いたところはコンビニだった。

 ユリカは俺の手を引き中に入り、焼きプリンを一つレジに持って行った。

 電子マネーのおかげで手をつないだままでも楽々決済だ。

 スプーンを一つ貰った後、イートインまで連れて来られた。


「ささ、食べさせてください」

「なるほどな。まあ焦るな」


 器はユリカが持っている。

 だからまずは蓋を開ける。

 持ち上げられたままだと力の込め方が難しい、ひっくり返しそうだ。

 テーブルに置く形の方がいいな。よし、開いた。

 次に、個包装されているスプーンを持たせ、破いてスプーンを取り出す。

 これで準備が整った。

 頷き合うと、ユリカが口を開いた。


「いざ!」

「武士か?」


 俺はプリンを掬うと口に含ませてやった。

 閉じられた口からスプーンを引き抜くと、そのままじっと見る。そっと目を逸らされた。

 ふふん。照れたな。

 とはいえ、一口分のプリンはすぐ飲み込まれて消えてしまった。

 もう一口いっとくか?

 いや、ちょっと食べたい。

 俺は甘いものには目がないんだ。


「一口くれ」


 プリンにスプーンを伸ばす。


「あっ、ダメですよ」


 ユリカは器をテーブルに置くと、スプーンを取り上げてきた。

 ルール違反だったか。

 代わりに器を持つ。


「よっと、あら? ……あらよっと」


 なんとか掬い上げられた一さじは、利き手ではない左で持たれているせいで不安定だ。

 なので、俺から迎えるようにしてスプーンを口に入れた。

 つるっとした口当たりで、舌で転がすと砕けて味が広がっていく。


「うん、うまい」

「でしょう? こうして食べると美味しさ百億万倍ですね!」

「そんなに」


 小学生みたいな倍数使いやがって。

 でも、そうだな。俺はこれから先プリンを食べる時、今日を思い出すだろう。

 そして一口プリンを食べれば、思い出が加わった美味しさを感じる事になる。

 こうした再確認で俺はプリンが好物になっていくだろう。

 いやもうすでに好物になった。

 でも百億万倍は盛りすぎだと思う。


「もう一口くれ」

「はい喜んで!」

「威勢がいいねえ」

 

 それから何口か毎に交代を繰り返して、プリンもなくなった。


「それじゃあ、行きましょうか!」


 とびきりの笑顔でグッとサムズアップしながらユリカが言った。

 満喫したようだ。


「元気百億万倍って感じだな」

「ふふふ、なんですか急に。小学生じゃないんですから」

「こいつめ」


 指で頬を挟んでぴよぴよ口にしてやった。

 外に出て歩き出せば、ユリカの歩く速さは先ほどよりはゆっくりになった。

 大体いつも通りぐらいだろうか。

 このまま駅まで余韻に浸りながらのんびり歩くのもいい。

 そう思っていた矢先、握っている手にギュッと力が込められた。

 何かと思って見ても素知らぬ顔だ。

 とりあえず握り返してみる。

 程なくして力が抜かれたのでそれに合わせてみる。

 少し後にまたギュッと。

 合わせると同じようにしばらくして脱力。

 規則性があるな。

 秒数だろうか? いや、それにしてはキリが良くない。

 繰り返す。

 握って、緩めて、握って、緩めて。

 ああ、そうか。歩数か。

 三歩毎に切り替えだ。

 三歩歩いて力を入れて、三歩歩いて力を抜く。

 繰り返す。

 タイミングはピッタリだ。

 ちらりと見れば嬉しそうにこちらを見ている。

 おっと。

 軽く体当たりされた。

 どうやら正解らしい。

 駅まで続けた。


「もはやこれまで」

「武士なの?」


 ユリカは名残惜しそうに、しかしおどけて手を離す。

 空気がひんやりと手のひらを撫でた。

 それが寂しさを湧き上がらせる。

 だけどまあ、今日はこれで終わりじゃない。


「じゃ、また夜に」

「はい、また夜に」


 帰宅して、食事して、課題を終えて、寝支度を調える。

 準備ができたと連絡して、机に真新しいノートを置く。

 ネットニュースをぼんやり眺めていると、ユリカからのビデオ通話が着信した。


「こんばんは」

「こんばんは。では、イチャイチャ反省会を始めます」

「あいよ」


 イチャイチャしっぱなしはよくない、しっかりと振り返ってさらなるイチャイチャを目指すべき、というのがユリカの意見だった。

 まあ、そんなにお堅いものでもなく、軽くまとめて最後に採点というのが大まかな流れになる予定だ。


「今日のタイトルはどうする?」

「そうですね……。『手をつないだまま帰る』でいいと思います」

「わかった」


 ノートの上の余白に言われた通りに書き込む。


「今日は楽しかったですね」

「ああ、楽しかった」


 楽しかったと、いや、めちゃくちゃ楽しかったと書き込む。


「範囲は、学校から駅の改札前までだな」

「はい」

「まずはコンビニに着くまでか、少し早足気味だったな」

「あ、バレてましたか」

「まあな、それぐらいはな」

「白状します。興奮してたせいですね」

「興奮かあ……。興奮は減点対象か?」

「いえいえいえいえ、それは悪いことではないのではないでしょうか。良いことではないですか? 何と言ってもイチャイチャですからね、イチャイチャ。むしろこれは加点せざるを得ませんよ。そうでしょう?」

「どや顔しやがって」

「んーふふ」


 ユリカが興奮してたので加点、と書いてみる。


「字面がヤバい」

「そうですね……。いえ、これでいいんです! 率直に、ありのままを書きましょう!」

「いや、俺はいいけどさ、無理はするなよ?」

「大丈夫ですー……」

「大丈夫さが欠片もないなあ」

「……いえいえ、こうしておくことで、キョウスケも気持ちを正直に書かなければならなくなるんです。致し方ない犠牲というものですよ……。ふふふ」

「……今度興奮したらだめルールのを作って大幅減点してやる」

「いいですね! やってみたいです!」

「落ち着け。罰ゲーム付きにするぞ」

「そんな……。罰ゲームは多めでお願いします……」

「そっちかよ」


 これはとりあえず付箋に書いておこう。


「次行くか。次は、プリンの食べさせ合いだな。こういうのにも名前つけてくのか?」

「いいですね、そうしましょう。では……、『深まる絆 ~プリン? あら、どーも~』ということで」

「プリンの食べさせ合い、と」

「あれれ? もしもし? おかしいですね、翻訳機能の不具合でしょうか……」

「使ってないだろそんな機能」

「それにしても、中々高めのイチャイチャ度を実現できましたね」

「知らん尺度が出てきたな」

「172ぐらいありました」

「それ俺の身長じゃない?」

「そういうキョウスケはどうでした?」

「うーん、14ぐらい」

「低すぎません!? あっ、身長差ですか」

「後、そうだな……、プリンが好物になった」

「そうですか! ふふふふふ! やった甲斐がありましたね!」

「ああ、楽しかったのは間違いない。ユリカのおかげだな」

「うんうん、流石私ですねー。実はですね、あれは地獄と極楽の食事風景のお話から着想を得たんです」

「なにそれ」

「三尺三寸箸という説話があるんです。長いお箸を、地獄では自分で食べるために使おうとして碌に食べられず、飢えて殺伐としてしまっていました。逆に極楽では仲良く食べさせ合って満腹で幸福に過ごしています。というお話なんです」

「ああ、聞いたことあるな。なるほど……。じゃあ今度やろうと思ってたアツアツおでんはやめたほうがいいか」

「キョウスケ? 幸せな時間をコテコテコントに変えようとするのはやめてくださいね?」

「わかったわかった」

「ネタ振りじゃないですからね? イチャイチャ最優先ですよ?」

「なら仕方ないな」


 イチャイチャ最優先と書き、アンダーラインを引いて強調しておいた


「では次ですねー。『シンクロにぎにぎ』です」

「先手を打ってきたな……」


 シンクロにぎにぎと書いておく


「これも何か由来があるのか?」

「いえ、思い付きです。ですがとても楽しいひと時でした。ちゃんと意図を読み取って貰えるというのはとても嬉しいですね」

「そうだな。まあ俺も正解できた時は嬉しかったかな」

「通じ合ってるって実感できますからね」

「こういうのも色々やってみるか」

「いいですね、そうしましょう。いついかなる挑戦もお受けしますよ……!」

「そうか……。なら精々覚悟しておくんだな」

「あ、怖いのとかはダメですよ?」

「知ってる」


 振り返りとしてはこんな所だろうか。


「では最後に、今回の評価はいかがでしょう? 素直な気持ちをお願いします」

「ああ。……じゃあ星五つ。満点だ」

「おおー」

「まあ楽しかったし、ユリカも楽しそうだったからな」

「ふふふ、ありがとうございます」

「で、そっちは?」

「そうですね……、星、四つです!」

「うん? 不満点があったのか」

「いえいえ、私もとても楽しかったのですが……」

「うん」

「もう少し、一緒に居たかったなと」

「……そうか。なら俺は星一つになるな」

「あ、それなら私は星マイナス五つです!」

「張り合うな張り合うな。……ま、じゃあ眠くなるまで少し話すか」

「はい! そうしましょう! 流石キョウスケ、我が意を得たりですよ!」

「じゃあ、さっさとまとめちまおう」

「そうですね。では、星は百個に修正です」

「増やしすぎだろ」

「大丈夫ですよ、こんな時のために用意しておいたのがこの判子です! はい、このようにほいほいほい」

「はいはい」

「ほいほいほいっと、あれ? 何回押しましたっけ」

「知らんわ」

「ほほいほい」

「眠くなってきた」

「あっ、ダメです! 気をしっかり持ってください! ほら、私を見て元気になってください!」

「あー眠気が増したわ」

「なんでですかー!」


 明日も学校だけど、ちょっと寝不足でもまあ平気だろう。

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それではイチャイチャしてみましょう 雪谷探花 @tyukitani

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