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 三年間の長きに渡り、『神を愛した男』、『神が愛した男』、『神の愛した男』をご愛読くださり、真にありがとうございました。

 本作の執筆にあたり、忙しい中、専門知識を授けてくださった全ての方々に感謝いたしますと共に、読者の方々にわたくしはお詫びをしなければなりません。


 本「愛したシリーズ」には、令和の時代には相応しくない表現、思想が中心となっております。これにより深く傷ついた方、また不快な思いをされた方に、陳謝いたします。


 それら全てを押しのけてでも、伝えたかったことが伝わっていれば僥倖です。ですが未熟者故、伝わらなかった方の為に、一つ一つ、解説を入れておくことも、また、責任かと考えます。


 一作目、『神を愛した男』の主人公は、セックスワーカーです。これは瞻仰せんぎょうが望む望まずと関係なく、ただそのようになっただけの、ごく普通のセックスワーカーです。現代ではサービス業、風俗業と呼ばれ、立派な一つの職業ですが、聖書の時代においては、どのような理由であっても、セックスワーカーは認められていませんでした。また、当時婦女暴行という犯罪も、殆どありませんでした。何故なら、女性が強姦されたとしても、女性に人権がない為、犯罪として成立し得ないからです。また、犯罪が成立したとしても、それは女性が被害者にはなりませんでした。被害者は、女性の持ち主、つまり、父親か夫となりました。

 それ程までに女性の地位が低かった時代に、男に生まれながら、女のような身体を持つ主人公瞻仰せんぎょうの数奇な運命は、『神に奪われた人』を慰めるに足る内容に成り得たでしょうか。もしなっていて、本編をお読みになり、心に感じ入るものがあったのなら、私は報われるでしょう。


 二作目『神が愛した男』の主人公恩啓おんけいは、恵まれた環境に生まれた上に、特殊性癖を会得し育ちます。その生き方は、まさに自分勝手、エゴの塊で、徹頭徹尾、クズに描いています。彼のモデルになった聖人の名を戴いている方には、申し訳ない配役でございました。

 勿論、これには理由があります。それは、『ひこばえが如何に異質な存在だったか』ということを表現する為です。前作では『セックスワーカーなら仕方ない』『美少年だから仕方がない』と言った、ある種娯楽・文学のお約束というものを、この作品で破壊しなければなりませんでした。つまり、加害者は法政家ではなく民衆であるということです。自分勝手に生きてはいけない、と、私達は教わります。教科書でも、躾でも、勿論教会でもそのように教えます。

 しかし、それらに一体何の意味があることでしょうか。

『貴方』が批判しているその人は、本当に、貴方に批判されるだけの人間ですか?

『貴方』が攻撃しているその人は、本当に、貴方に攻撃されるだけの人間ですか?

 ―――『貴方』は、『誰』に言っていますか?

 物語の最後、自分勝手に生きていたはずの恩啓おんけいの、酷い疎外感、劣等感が露になります。もし、その箇所をお読みになり、ハッと心に気付くものがあったのなら、私は報われるでしょう。


 三作目『神の愛した男』では、障がい者について扱われています。きびすのモチーフになった聖人が、障がい者であったという証拠、神学は、本編執筆現在、確認出来ておりません。

 ですが、示唆する表現はあります。それは、『棘』です。

 どんなに救って欲しいと願っても、救って貰えない願いがあります。

 どんなに助けて欲しいと祈っても、助けて貰えない現実があります。

 それらのことを、聖書は『棘』と表現します。そして多くのキリスト教徒達は、『祈りが足りない』『試練』『耐えろ』『祈っています』と言います。優しくしてくれる人は、神の共同体にはいません。いいえ、いるのかも知れません。しかし、そのような、本当に出会いたい人であればあるほど、神は貴方から、『その人』を隠されます。

 本作は、そのように、『神に裏切られた』と感じたことのある人、そして、決して適わない願いである、『完治しない人』に向けて書かれました。

 その中で、古代から現代にまで連綿と続く、優生論的考え、前作・前々作を踏まえた差別表現が強く誇張されました。書いている本人が、吐き気を催し、執筆が止まったこともありました。読者の皆様におかれましては、わたくしよりも強いショックや不快感を持った方も居られたでしょう。物語の着地地点に、逆に激しい嫌悪を持たれた方もいたはずです。わたくしは敢えて、そのように書きました。一部の人には必ず反感を持たれるように書きました。いずれにしても、不快に思う方がいることは想定して、その方々えお傷付ける前提で書かれています。

 それらは、腐教家としてではなく、一当事者として、筆を執りました。ですから、この最終章には、著者が二人いる、と言っても過言ではありません。

 末尾になりますが、この三年間、当作品とわたくしを支えてくれた全ての人々、神の恵みに感謝し、御礼申し上げます。

 これからも、『聖書で傷付けられた人を救う』という大層な目標を掲げ、邁進し、研鑽していく所存です。

 そしていつか、『貴方』が、聖書で殴られそうになったとき、拙作を通して語られた、神の本当の精神を思い出していただけたなら、わたくしはその瞬間ときこそ、『あの人の為に数十年、キリスト教によって苦しんで来た』と、胸を張って、神の国に還ることが出来るでしょう。

 だからといって、『貴方』まで、わたくしと同じ所に来る必要は無いのです。

 『貴方』の平穏に、拙作が関わることが出来たなら、望外の喜びです。










二〇二一年十一月某日 『神を呪う女』より


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神の愛した男 PAULA0125 @paula0125

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