第3話

「サナはさ、どうして俺の動画を見てくれたの?」


 人気ひとけのないところに連れ込まれた時には『埋める気かな』と覚悟を決めたものだけれど、どうにもその話をしたくて、私は教室からはるかに遠い体育館の陰に連れ込まれたようだった。


 いや、あの……


 実は私……女子なんですよ。


 五年ぶりに話した女子の腕引っ張って人気のないところに連れ込むとか、訴えるのが私で訴えられるのがお前じゃなければ勝訴だぞ。


 私が私でよかったな。


 まあ私の方はよくないけど。


 だって困るに決まってる。

 まさか『家族を人質にとられたカオナシがやってるとしか思えない、実況という言葉の解釈に一石を投じる静音放送を見てると、私と同じ位階にいるこの世のゴミの存在を感じて安心するから』なんて、素直に言えるわけがない。


 どうしてあのクリーチャーの中身がこれなんだ。


 私に話しかけたいなら、皮膚を緑色にして、六本目の指を生やしてからにしろ。

 あと背中には強風にあおられてるみたいに小刻みに震動する謎のコブもつけとけよ!


 あれほんと存在が謎なんだよな。なんのパーツなんだろ。腕? 腕はすでに二本あるしな……翼にしては翼を描こうという気合いが感じられないし……


 ……目の前にいる男が作者なんだよね。


 ……聞けば答えがわかるんだよね。


「……あの、あれ、なんなの、かなーって……?」


「あれ?」


「えっと…………アバター?」


「ああ、エルフのこと?」


「エルフ!? あれが!?」


「あ、うん。なんか全身が緑色になって、どうしても直らなくて……でもほら、耳とかわかるだろ? なんか強風にあおられてるみたいに小刻みに動くんだけど……」


 謎がすべて解けてしまった。


 私がコブだと思っていた謎のパーツは耳だった。


「……そっか。サナは、アバターがなにかわからなくて見てたのか」


「いや、その要素じゃそんなに継続視聴しないよ……」


「じゃあ、俺の配信になにか楽しいところが?」


「なんのための配信なの?」


 つい、聞いてしまった。


 だって謎が多すぎる。


 あのクソ動画がサイトのサーバーを汚しているのは、せめて本人が自分の動画を最高に面白いと思っているからかと思っていた。

 でも、配信者本人は自分の動画をつまらないと認めている。


 誰かに刺すためではなく、自分に刺すためでもない創作物。

 その存在理由はなんなのか。

 あいつはなんのために産まれなければならなかったのか━━


 気になってしまうのは、仕方ないと思う。


 この『つい、うっかり』みたいな質問はなんだか予想外に深いところを抉るものだったようで、しばらく黙り込んでしまった。


 顔を伏せても顔がいい。まつ毛が長い。顎が細い。顔が小さいせいで首が太く見える。体はがっしりしてる。たぶんサッカーをやめてからも運動はしてるんだと思う。


 ……緊張してきた。


 っていうかこいつ、距離感がバグってるんだよ。


 近いんだ、位置が。


 こんな広々とした人気のない空間で、なにも隣り合って座る必要ないじゃん。

 こんなところクラスの女子に見られてみろ。全員前髪伸ばし始めるぞ。いいのか、お前の性癖がメカクレになるんだぞ。冷静になれ。私が冷静じゃいられないわ。


「『自分の本当の価値』ってなんなんだろうなって思ってさ」


「急にどうした? 青春か?」


「……サナは変わってなくて……いいよな、やっぱ」


 なぜだろう、すごく見下された気がする。


 というか存在が私を見下してる。なんだその物憂げな顔は。整った顔面の野郎が寂しげに笑ったら女子全員が『どうしたの?』って聞くとか思ってるなら大間違いだぞ。


「どうしたの?」


 私は聞くけど。


「……サッカーやめたじゃん。でもさ、やってたころは、けっこう、『すごい』って言われてたんだよ。足も速かったし、ボールさばきもわりと練習してたから……」


 初手で使える自慢話何個ぐらいあるんだろうな、こいつ。


「それでさ、俺がいたら勝てるとか、俺がいなきゃ勝てないとか、そういうこと言われてて……でも、俺、ケガしたじゃん」


 知ってるけど、さも『知ってて当然』みたいな調子で言われるの、意味もなく腹立つな。

 私たち、五年間会話もなかったよね? もしかしてお前自分のこと日本代表のメンバーだとか思ってる? 報道されてないよ、お前のケガ。


 まあ知ってるのでなにも言わないけど、なんなんだろう、この敗北感。


「俺が試合に出られなくって、でも……勝ったんだよね、試合。あ、いや! もちろん仲間が勝ってくれたことは嬉しいよ? でもさ、なんか……寂しかったんだよ。っていうか、恥ずかしかった。俺がいなきゃ負けるだろうなーなんて、無意識にでも思ってたことがすごく失礼で……顔を合わせられなくなったんだ」


「ああ……」


 思春期のアレ・・だ。


 死ぬほど覚えがある。というか、死にたくなるぐらい忘れられない。

 でも、私のアレ・・は中学二年生じゃなかった。

 小学校のころ。こいつの姉貴分みたいにふるまっていた時が、私にとってアレ・・の時期だ。


「でさ、色々あって、動画配信を始めた」


「いや話ヘタクソか。そこを一番知りたいんだよ私は。……あっ」


「サナはいいよな、変わってない」


 ……話してるうちに、イケメン様の前だからっておどおどするのも疲れてきた。

 そうだな、人気がない場所っていうシチュエーションは互いにとってイーブンなんだよな。

 しかも向こうは私に対して油断しきってるし、いざとなれば背後から襲撃して……凶器が箸しかないな……首絞め……届かない……


 もういいや。


「『変わってない』って、なに? 馬鹿にしてんの?」


「そうじゃなくって。……そうじゃないんだよ本当に。サナの言葉は本当に『本音』って感じがして、すごく、いいなって思うんだ」


「私は嘘をつくのがヘタクソなだけだから」


「……それがいいんだよ。なんかさ……みんな、細かい嘘をたくさんつくじゃん。それを本気にして調子に乗って傷つくこと、多いじゃないか」


「本気にしなきゃいい」


「そりゃそうなんだけどさ。俺は……そういうの、うまくないんだ。すぐ調子に乗るし。だから、本音が知りたかったんだ。俺のこの姿を知らない、クラスも違う、俺に遠慮もなにもない、誰かの言葉がほしかった。だから、知られたくないんだよ、クラスの連中には」


「……つまり、あの奇怪なクリーチャーアバターで意識朦朧としたカオナシみたいな実況をしてるのも、『他人のコメントが欲しいから』……ってこと?」


「まあ、いや、本音で話してほしくて……でも、それはたしかに、コメントが欲しいってことなのかな」


「は。なんだそれ。死ね」


「ええ? そんな悪いことかな……?」


 こいつがあんまりにも、小学生だった時みたいに気弱そうな顔をするからだろう。

 私はドロドロと腹の底に凝るような怒りを抑えきれなかった。


「馬鹿にすんなよ。私がなんのためにあのクソ動画を見てたと思ってるの?」


「アバターが気になったから……じゃないなら、なんなんだろう。本当に面白いかって言われると、自分でも全然面白くないと思うし……」


「面白くないから見てんだよ!」


「ええ……!?」


「私は! ……私は、あのクソみたいな構成の! 人を模して作られた動物が人間のものじゃない声帯を必死に震わせてるみたいなうめき声しか流れない! うまくもヘタクソでもない! 見るべきところがなんにもない! 向上のあとさえ見られない! あの見るたびに時間をダストシュートしてる感じがよくて見てるんだよ! だって━━あんな動画を堂々とアップするやつなんて、絶対にリアルもうまくいってないから! 私は、私は……自分より『下』が見たくてあの動画を見てたの! わかる!?」


「ごめん、わかんない」


「だろうね! そのさあ、私と同じか私より下のやつが配信してるようにしか思えない動画のさあ! 中の人が『これ』!? しかも『遠慮のないコメントがほしかったから』やってる!? なんだそれ! リアルがうまくいってるやつの舐めプじゃねーか!」


「さっきから全然わからないんだけど、怒ってるんだよな? ごめん、なんか奢るよ」


「うるせぇ! 綺麗な目で私を見るな! もっと濁った目をしろ!」


「えぇ……」


「私が好きなのは! 全身緑色で! うごめく謎のコブが生えてて! 指の数が七か六かわかんなくて! 目がハナクソみたいで! 口に布を噛ませられてるみたいなくぐもった声しか出ない! あのクリーチャーなの! お前みたいな顔がよくて清潔でクラスでみんなの中心にいるようなやつはお呼びじゃねーんだよ!」


「でも、俺はサナが好きだよ。そうやって本音をぶつけてくれる、見た目地味だけど性格わりときつくて、ぐいぐい俺を引っ張ってくれるサナのこと……」


「それはお前の思い出にしかいない私だよ!」


 嫌なことを思い出した。


 私という存在は実のところ、昔から今とそんなに変わらない存在だった。


 卑屈でおどおどしてて、性格がねじれてて攻撃的で、自分より強いやつが苦手で、自分より弱そうなやつを見て安心する性格。


 こいつの前でだけ、私は姉貴分だった。


 だって、昔のこいつは本当に弱々しくて、泣き虫で、それから━━私以外に友達がいなかったから。


 でも、サッカーを始めたあたりから、私以外と過ごす時間が増えて、なにより、『地位』を手に入れてしまった。


 顔がよかった。運動神経がよかった。勉強もできた。だから当たり前のように評価された。


 私はあっというまに背も伸び悩んだし、勉強、というか努力全般が嫌いだし、社交性も終わってる。


 私は、私の所属する場所以外にコミュニティを持ってそうなやつが苦手だ。


 だって、私の目の届かないところで、どれだけ私にひどいことを言っているか、わかったもんじゃないから。


 顔のいい連中はいつもコミュニティを複数持ってて、どのコミュニティでもその中心にいて、人を扇動する力を持っている。


 あいつらが『そうだ』と言えば、そうじゃないことだって、『そう』されてしまう。


 私は、社会という力を自由に振るえる連中が嫌いだ。

 だって、怖いから。


「……懐いてくるなよ。私とお前は、住む世界が違うんだ。私が下で、お前が上なんだ」


「…………ごめん、サナ。今話されたこと、一個もわからない」


「いいよ。どうせお前にはわからないよ。いいからもう、私とかかわるのやめろよ。お前と一緒にいるとクラスの女子に問い詰められるんだ」


「なんで?」


「お前の顔がいいからだよ! おモテになる自覚ないのか!?」


「サナだってかわいいと思うけど」


「その『かわいい』、子供に向けるやつじゃん!」


「なあ、うっかり口が滑ったせいで聞き流されたけど……俺、やっぱ、サナのこと好きだよ。そうやってきついこと言ってくれるの」


「マゾ属性やめろ! 私は、お前のことなんか嫌いだ!」


「え? だってサナもさっき、俺のこと好きだって言っただろ?」


「私が好きって言ったのは、あの、存在するだけで人から石を投げられそうなアバター! お前ではない!」


「でも、俺があれだよ」


「その綺麗な指先を奇妙な触手にして出直せ!」


「でも」


「『でも』じゃない! …………リアルのお前に興味はないよ。かかわりたくもない。っていうか、あの配信者の中身がこれとか知りたくなかった。私は、私より弱くて醜いやつを鑑賞するのが好きなんだ。お前だってやだろ? こんなねじくれた性格のやつ」


「でも」


 ちょっとこっちをうかがうように上目遣いするのなんだ。魅了攻撃か?


 ……ああ、私が『でもじゃない』って言ったからか。なんでそんなに私に怯えるんだ。子犬かよ。


「……でもさ、サナ。サナは……優しいんだよ」


「はああああああああ?」


「自分では気付いてないのかもな。サナは、一人ぼっちの俺を放っておかなかったじゃないか」


「それは、お前が私にとって都合のいい弱者だったから!」


「そうやって悪者ぶる」


「素だよ! お前の見てる私は、幻!」


「サナが好きな俺だって、幻じゃないか。じゃあ、俺たちは、互いの幻に片想いしてるってことだな」


 爽やかに笑うな。その整った顔を地面に叩きつけるぞ。

 まあそんな腕力はないんだけども。


 ……知りたくなかった。


 あれの中身がこれだなんて、知りたくなかった。


 これが私に片想いしてるだなんて知りたくなかった。


 なにもかもが━━いまさらだ。


 こいつの好きな『姉貴分の私』は妄想だし。

 私の好きな『社会的地位がゴミクズのクリーチャー配信者』はイケメン様のお遊びだし。


 私たちの『好き』はとっくに手遅れで、好きだと口にした瞬間には終わってる。

 こんな幻想の押し付け合いなんてお互いにとって迷惑だろうに、イケメン様は退いてくれない。


「サナ、これからはまたこんなふうに、話したりできるといいな。その……クラスの女子には俺から言うから」


「頭の中春爛漫か? そんなことされたら逆に終わるぞ?」


「じゃあ、こっそりでもいいから。……お願いだよ。サナに本音ぶつけられると、なんていうか……癒されるんだ」


 イケメン様、どうしようもないマゾだ。


 じっと黙ってこっちを見るな。強風にあおられてるみたいにビクビク震えるようになってから出直せ。


 でもなー……


 ほんとさあ……


「……わかった、わかったから子犬みたいな顔をやめろ。たまになら話してやるから」


「ほんと!? じゃあ、今晩メッセージ送る」


「なんで私のアカウント知ってんの? クラスの誰にも教えてないんだけど。家族しか知らないよ」


「おばさんが教えてくれた」


 あの母は今晩までに詰める。

 娘のアカウントを勝手に他人に教えるな。


 ……奇妙なことになってしまった。


 私たちは互いの頭にしかない幻想を求めながら空回りし続ける宿命らしい。


 まあ、どうせ、近いうちにこの関係は終わってくれるだろう。


 だって、お前が好きな私はお前の頭の中にしかいないし。

 私が好きなお前は、電子の中にしかいないんだから。


 ……終わってくれるよね、きっと。

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好きな君はここにいない 稲荷竜 @Ryu_Inari

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