アンサーソング

【幸田至】


 昼夜問わず眠るようになってから、日にちの感覚もなくなってきた。最後に喋ったのもずいぶん前で、たしか俺を心配する果に対して放った「まあ、寝る子は育つから……」という謎の言葉だったように思う。今はそれが最期の言葉にならないよう祈るばかりだ。

 自分のモニターをぼんやりと見つめている。心拍が乱れているようだった。確かに呼吸はしづらかったが、そう特別に苦しいとは思わない。俺はナースコールを押さなかった。そのうち看護師さんが来て、異変に気付くだろう。少し騒がしくなる。それまでは、静かに眠っていようと思った。


 数分後、案の定というか看護師さんが来て俺の名前を呼んだ。医者も連れてきたらしい。俺の肩を掴んでいる。


「幸田さん、聞こえますか? 息吐いてください。吸ってるだけじゃダメです、吐いて、吸って」


 今さらに気付いた。呼吸の仕方がわからない。苦しいはずだ、息を吐けない。


「聞こえますか、幸田さん!」


 幸田さん!


 聞こえるはずもない声が聞こえた気がした。一度も聞いたことのないはずの声が。


 遠くで、『家族に連絡して、早く』と誰かが怒鳴る声がする。果は今、仕事中だろうか。いいよ、と言おうとして口を開いた。いいよ、あいつにこれ以上負担をかけなくて。


 幸田さん、これ見てください。


 あの子が何か指さしている。俺はそれをぼうっと見ていた。

 そうか、君はまた強くなったんだね。俺には追い付けないほどに。羽ばたく小鳥を見ているようだ。どこまで飛んでいくのか、この目で見守りたかったのだけど。

 なぜこんなにもあの子を求めたのか、俺にもわからない。あの子が俺を肯定してくれたからなのか、俺にはない未来をそこに見出したからなのか。

 いや、そうじゃないだろう。俺はあの子が目の前に現れて、手ぶりだけで必死に何か伝えようとしているのを見た瞬間からあの子のことが好きだった。理由もなくその表情や目の真剣さに惹かれていた。


 あの手紙を、彼女は見るだろうか。どう思うのだろうか。


 欲を言えば、と俺は目の前の小さくて強い女の子に微笑みかける。

 俺の言ったことが少しでも君の人生に、役立てばいいと思う。君の頭の片隅に、俺の存在があったらと思う。そうだな……君がより良い恋をするまで、君の恋人が俺であったらとも、思う。これは本当に、欲張りだとはわかっているけれど。


 さようなら、俺の最後の恋人。


 彼女は思いきり破顔して、見てください幸田さん、とまた指さした。


 私もやっと見つけたんです。綺麗でしょう?


 俺は彼女の指さしたものを見て、ふっと笑う。

 空だった。見間違うはずもない。それは、二人で病院の屋上から見たあの夏の空だった。


 においも、温度も、色も。それから彼女の声も――――


「ほんとだ、きれいだね」


 夢でもいいと思えた。決してたどり着けないと思っていた場所が、そこにはあったのだから。

 色々なことがあったけれど、今思い出せば散々ふざけ倒して楽しんだだけの人生だった。考えれば考えるほど可笑しくて、笑いながら目を閉じる。


 見えているよ、優那ちゃん。ありがとう。

 いつかまた出会えた時には、君が見つけた綺麗なものを、指折りかぞえて教えてほしいと思う。

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煙草の香りが消えてくような、風船ガムが割れるような。 hibana @hibana

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