第十六章 二





 

「痛みトは、生への執着そのモのダ」


 ケタケタと笑いながら、七雲なぐもは言った。


「痛みとハ、死に近づク喜びであル」


 怪物の姿となった「不条理ムルソー」は、血の塊を吐き出して、膝をついた。


「痛みとハ……あア、痛みトは愛だ。そう思ワんかあ黒木ィ」


 自分の腹に突き刺さった槍を底に沈んだスープの具材を掘り起こすように掻き回し、妖しげな異形の女体をくねらせて、七雲は恍惚の呻きをあげた。両目に花が咲いた不気味な顔は熱に浮かされたように赤く、口からは血が滴り落ちてゆく。


 それに同調するように、「不条理」も血を吐き続けた。井戸水をくみとるポンプのような勢いで、何度も何度も赤い塊を吹き出して腹をおさえる。突き刺さった剣は金色に輝き、彼の身体を侵し続けていた。


「……ガハッ」


 断続的に走り続ける鋭い痛みに、「不条理」の能面が微かに歪んだ。


 痛覚遮断が働いていない。いや、おそらく七雲の権能によって強制的に解除されているのだ。七雲が感じた苦痛を強制的に相手へ変換する能力――。この剣が、媒介になっているのか。権能を封じるだけではないのか。


「……悪趣味、ナ、力だ……ナ」


「ハハハハ、悪趣味ナもノか! 痛みとイう喜びを教えルことガできル、神の祝福ダ!」


「神とハ、ね……ドコの神社でも祀ってクれナいよアンタなんカ」


「俺ハ唯一神ダア! 八百万の神ナどではないイイイイイイイイイイイィ」


 ――やばいねこいつ。


 「不条理」は率直に、無感情にそう思う。こんな頭のおかしいやつに殺された青少年たちが可哀想だ、と心にもなく思った。痛い。どうすれば、この状況を覆せるか? 痛い。攻撃したら、おそらくはそのダメージも自分に返ってくる。痛い。うかつな攻撃は死を招く。痛い。痛い。痛い。


 なら、やることは一つ。


 やつが、痛みを感じる前に死ねばいい。


「……いタいな」


 「不条理」の背中にある日輪が廻る。ガタンと音を立てて動いたそれは、彼の力を「火災」から「落雷」へと変える。


 「不条理」の権能。――不条理の体現。


 それは、彼が不条理に感じたものを再現する力。その多くは彼の中にいる気まぐれな「不条理の殺意」が、「不条理」の感じたインスピレーションを、それこそ気まぐれに採用して生まれる力である。日輪を回すことで、使える能力を変更することができる。


 もし、七雲の権能を封じる力が「火災」の力のみに働いているなら、他の能力を使うことができるはずだ。


 そして、その予測は外れていなかった。


 「不条理」の身体から、紫電が迸る。


 真っ直ぐに見据えたのは七雲の頭部。神速で走り、頭を砕く。痛みを感じる間もなく脳みそを叩き潰し、即死させる。


 ただ、それだけのこと――。


 「不条理」の身体が消えた。七雲の悪趣味な空間に雷が走り抜ける。音さえも置き去りにするほどの速度で肉薄した「不条理」は、鎌を振り下ろした瞬間――眼球に走り抜けた激痛に思わず目をつむった。


「バァカ」


 七雲の声。鋭い痛みが走り続ける目を、「不条理」は無理やり見開いた。鎌の狙いは逸れ、七雲の肩口に突き刺さっていた。フィードバックした肩口の激痛に「不条理」はうめく。


 七雲の目の花が、引き千切られていた。


 赤い涙を流しながら、七雲が笑う。


「あア、いイ痛みだァ……」


「……がっ」


「どれドれ、感電ノ痛みモ一緒に味わオうかぁ!」


 七雲が、電撃を纏う「不条理」に触れた――。


 瞬間、激痛。全身をバラバラにするような激しい痛みの束が、一斉に「不条理」へと襲いかかった。関節という関節が屈曲し、指が勝手に閉じて拳を握り込む。「不条理」は抱きしめてきた七雲とともに激しく踊り狂った。


「アヒャヒャひゃひゃひゃヒャ!」


 七雲が、焼かれながら嗤う。


 世界は赤く黒く赤い。痛すぎて感覚がおかしくなったのか。頭の内側がスパークを続け、ぐつぐつと煮込まれるトマトみたいに、脳みそがぐずぐずに溶けているんじゃないか。ああ、痛みは極まると痛みじゃなくなるんだね。狂った頭で、そう考えたよ。おじいちゃん、感情がなくても痛いって涙出るんだ。


 ――なんでおじいちゃんが出てきた?


「ギャハハはハハハ! 感情がないハずなノに泣いてルぞ、黒木! 嬉しサを理解デきたかぁ? 痛みはお前に感情ヲ教えテくれル、最良のスパイスだト思っていたゾ! アヒャヒャひゃひゃ」


「……っ、ァ」 


 声が、出ない。身体が絶えず熱を放ち、針を刺されるような激痛が折り返し折り返し、止むことを知らない。震える身体を起こそうともがく。だが、産まれたての子鹿よりも動きは鈍い。


 腹に刺さった剣を、踏まれた。ズンと身体が沈み込み、地面に縫い付けられる。


「これで動ケないナァ、黒木ぃ!」


「……」


「殺意ヲ弄ルのは、面白いナ。……私ノ恋人たチと違って頑丈ダからナあ。イジりがいが有る」


 「不条理」の全身の目が、七雲を睨んだ。


「ンん? 魚ヲ与えてやレたかと思ったが、なんだそノ目は? 伽藍堂ノままじゃナいか」


「……イヤ。キモい……ナって、思って」


 血を吐きながら、「不条理」は掠れた声で言った。


「ア?」


「君ノ……変身後の、デザインセンス、終わっテ……るヨ。ホモのくセに……女みたいナ身体って……気色わル」


 言い終わる前に、首を落とされた。七雲がどこかから出した剣で、引き裂いたのだ。


 ごろりと、「不条理」の首が転がる。停電したように突然意識が真っ黒く染まり、やがて赤く掠れた天井がみえた。霞がかったように思考が働かなくなり、耳鳴りがずっとうるさかった。


 首が持ち上げられる。


 七雲の臭い息が、意識の混濁した「不条理」の鼻先にかかった。


「……言いたイことハ、それだけかナ?」


 沈黙した「不条理」にそう言うと、七雲は首を掴んだまま歩き出した。向かったのは部屋の奥。そこにはあらゆる拷問器具が集積されている。


 椅子に座らされた七雲の愛人たちの間を通る。薔薇の刺さった目はただ天井を見るのみで、腐りかけた性器を挿し込まれた口から、「不条理」の末路を案じる声は聴こえない。


「サアて、黒木よ。こうなっタら終いだナぁ。お前の首を掲ゲて、コレからずうっト甚振ってやル」


「……」


「ははハはハは、オ前はどこにモいかナいデくれよ? ココだ。こコにずっといるんだ。俺と一生愛シあって、ともに生きてイこウじゃないカ」


 虚ろな眼差しの「不条理」からは、答えがない。七雲は彼の頰に口づけを落として、その頬を舐めた。「……きたない」と、微かな抗議が上がる。だが、七雲は無視して舐め続けた。ざらつく舌を這わせ、鼻先をなめ、眼球をくすぐり、そして恍惚とした笑みを浮かべる。


 そのとき、七雲の背後でガコンと無機質な音が響いた。


「……?」


 振り返る。音がしたのは「不条理」の肉体からだった。日輪が回ったのだ。だが、地面に剣ごと縫い付けられた身体はぴくりとも動かない。当たり前だ。首を切り落とされているのだから。


 だが、七雲は知らない。「不条理」と透の初めての戦闘で、首だけにされた透が超再生を発動させ、首のない肉体で「不条理」を攻撃したことを。そして、あのとき殺されかけた「不条理」は当然そのことを知っていた。


 能力を、発動させたのだ。「落雷」の能力は、「人災」へと変わり――。


 「不条理」は


「ハ?」


 首だけになっていたはずの「不条理」が一瞬で再生し、唖然とする七雲の顔面に拳を突き刺した。どうして、と思う間もない。首の骨が砕け、ビキビキという音が反響する。顔の真正面にめり込んだ拳が振り抜かれた瞬間、血飛沫が噴水のごとく噴き上がり、七雲の身体が宙を舞った。


 拷問器具を撒き散らしながら、壁に突き刺さった七雲が、醜い悲鳴を上げながらのたうち回った。首が折れている。潰れた顔面。鼻が明後日の方向にねじ曲がって、血が滝のごとく流れていた。


「……フム、これハいいネ。まサか、アのヒーローきどりの力を使えルようにナルなんて、思いもしナかったヨ。彼が、それだケ僕の中デ理不尽な存在ダッたっていうわけダ」


「あ、アアアア……痛い、イタイィィ」


「ん? 痛みとハ、喜びなんジャなかったっケ? そのワりにはピーピーうるサいね」


 「不条理」は、自分の首を傾けてコキッと音を鳴らした。七雲の受けたダメージがこちらに返ってこないのは、やはりあの能力を封じる剣が、権能の媒介になっていたからだろう。剣は、残骸となった前の身体に突き刺さったままだ。再生した「不条理」に影響を及ぼさない。


 もだえ苦しむ七雲に近づいて、「不条理」は苦悩の梨のごとく開いた頭部を踏みつけた。


「相性最悪ダね。君ノ力と超再生は……。イヤぁ、異色透と戦っておいテよかっタよ」


「……ひ、ヒィ!」


「次ハ油断しナいよ。もう、剣で刺されルことハない。アレで刺されなキャ、意味なイんでショ? つマり、チェックメイトってやつダ」


「や、やめテくれぇ!」


「……なんデ?」


 「不条理」は首を傾ける。


 やめるわけないだろう。何を言っているのか?


「あ、アンなに愛しあっタ仲じゃないカ! それナのに、私を殺すのカ黒木!」


「当然ダろ。君もそのツもりだっタ」


「わ、私ハそんなコとするツもりはなかっタ! 君と一生コこで愛ヲ育んでイくつもりデ――」


「そんなの、殺すのト一緒ダ」


 「不条理」は七雲の言葉を遮って淡々と告げる。


「だから、死のうカ。さよなら」


「や、やめっ」


「あ、そうだ」


 「不条理」は手を叩いて、名案を思いついたとばかりにこう言った。


「いただこウ。せっかくなラ君の力も」


「……ハ?」


「君の記憶ナんて覗きたクないけど仕方なイ。ねえ、知ってル? 聖母さまかラ教えテもらったんダけど、権能ヲ奪う方法ガあるんダ」


 びくり、と七雲の身体が跳ねた。恐怖に引きつった悲鳴を上げる。七雲は己の末路を理解したのだ。逃げようと必死に身体を動かそうとした七雲をもう一度強く踏みつけて、「不条理」は淡々と告げた。


 伽藍堂の冷たい瞳で、見下ろしながら。


「――いたダきます」













 

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