第十二章 三




 生温かい風が、死の匂いを運んでくる。


 腐り落ちた肉と吐瀉物。そして鉄臭さ。人間を辞めて飛躍的に敏感になった嗅覚が、戦いの終幕を察知していた。鉛のように重たい身体をどうにか窓際まで近づけて、首を伸ばして地面を見下ろす。透の姿は遠い。黒く広がったコールタールのような液体の側で、うずくまっているのが辛うじてわかった。


 彼の近くに行きたい。そう思う。


 姿がはっきり見えなくても、泣きながら苦悩に沈んでいることがわかるから。ろくに動かないこの身体がもどかしくて、苛立ちさえ感じられる。


「……とおる、くん。なか、ないで」


 桜南は絶え絶えの息のまま、そう言葉をこぼした。ボタボタと何かが、下に落ちていった。血を吐いたのだと気付いて、桜南は歯噛みする。


 苦しい。


 もっと苦しんでいる透に寄り添えないのが苦しい。


 彼はあまりにも重く悲劇的な選択を強いられた。世界の破壊を止めるために、親友を殺して可愛がっていたはずの後輩を斃した。「破壊」の力によってあの化け物は崩壊寸前だったといっても、彼は絶対に言い訳をしない。かならず責任を感じて、苦しみを背負おうとする。自分が手を染めた、自分が殺したんだと頭を抱えてしまう。


「……いそ、がないと」


 きっと、透の心はもう限界だ。表面張力が起こるくらい水を入れたコップのような状態で、これ以上なにかを抱えられる余裕なんかない。いや、もはや限界を超えているだろう。


 人を殺すことに対して、彼は特別に強い想いや考えをもっている。母親を殺された経験が、彼の正義をさらに強硬にしているのだ。


「……」


 いや、殺されたわけではない。


 だからこそ、危ない。


 もし万が一、今の透がその事実に辿り着いたなら、精神が今度こそ崩壊する。なにがきっかけで記憶が元に戻るのかはわからないのだから――。


「……ぐっ」


 桜南は立ち上がろうと足掻いた。窓枠につかまり、震えが止まらない脚に力を込めて、言うことを聞かない身体に活を入れる。立ち上がれ、なんとしても立ち上がれ。ここから飛び降りて彼の側に急げ。


 行け、早く。


 行くんだ。


「――Type-RED、起動」

 

 突然聞こえた女の声に思わず振り返った。だが、背後には誰もいない。目を横にすべらせると、すでに事切れた串刺しにされた充の死体があった。


 その心臓のあたり。そこに、口が咲いていた。


 呆然とする他ない。何が起こったのか、理解が追いつかなかった。透への心配と極度の疲労で桜南の思考は明らかに鈍っていた。通常ならすぐに気づいただろう。それの正体がなんなのか。


「……ご苦労さまでした。おかげで、最後の条件は満たしました」


 こんなことができるのは、一人しかいないのに。


「さよなら、銀城桜南……。いいえ、兄さんを誘惑する害虫」


「……なんで」


「最初からですよ。計画は少し変わりましたが、それだけです。ねえ、知ってますか害虫さん。完璧な計画とは、どういうものなのか」


 その口は……異色香澄は愉快げに語る。天井から轟音が響いて、建物が大きく揺れ出した。尻もちをついて危うく落ちかけた桜南は、反射的に窓枠に掴まって、それでもなお自失していた。なにかが上から迫ってきている。迫りくる危険にさえ鈍感になるほどの驚愕。


 異色香澄が、充を操っている。『狂信』の力で上位者をコントロールはできないはずなのに。だが現に操っている。死体だから? わからない。なぜ? どうやって――。


 いや、重要なのはそこじゃない。


 もし、会敵した当初から充を操っていたとしたならば、彼が死の直前に見せた覚悟の表情も、透と交わしたであろう言葉さえも……全部この女の三文芝居だということになる。


「あはは、答えられませんか。仕方ない。教えてさしあげますよ」


 絶望が轟音と振動を奏でる中、香澄は告げた。


「それはね、失敗を想定していくつもの修正案や代案が編み込まれているもの……どう転んでも必ず目的に辿り着けるもののことを言うんですよ。完璧な計画とね。……ふふ、まったく愚かですね。いつもいつでも、あなたたちは盤上で踊らされている駒にすぎないと気付けないのだから」


「……そんな」


「さあ、踊ってください。最後にワルツを」


 あなたたちが殺した、「亜加子ちゃん」と一緒に。


 その言葉を聞いた瞬間、天井が崩壊した。





 

 崩壊する建物の轟音に、透は顔を上げた。


 感情の枯れた瞳から、一筋の苦悩の残滓が零れ落ちる。もうもうと立ち込める砂煙。止まない轟音。地面が微かに震えているせいか、亜加子だった黒い液体が波紋を立て、粘菌のごとく緩やかに動いた。指先にネバネバとした熱いものが触れている。


 赤く染まった世界。すべての建物の壁に、無数の目と人間の手足のようなものが咲いている。これまで視てきた灰色の街とは光景があまりにも変わっていたから、透はすぐに気づけなかった。ただ茫漠と、線路に飛び出そうとする人のような重たい気だるさを抱えたまま、建物の崩壊を見ているだけだった。


 絶望の海を漂う中、ふと目を見開く。


 あそこは――充を殺した場所。


「桜南っ!」


 そうだ。あそこには桜南が残っている。一体何が起こった。あの爆発はなんだ?


 透は走り出そうとした。だが、起き上がれず死の水溜りに身体を投げ打つ結果となってしまった。腐乱した液体が鼻や口の中に飛び散り、耐え難い臭いに噎せてしまった。水が跳ねる。もう一度立ち上がろうとして、倒れた。


 数千匹の蟻が這い回っているかのように脚が痺れて言うことを聞かない。動こうとするたびに、身体の重さが増していく。


「……ぐっ!」


 悪態をつこうとして、透は呻いた。突然貫かれるような激痛に全身が襲われた。


 ――能力の反動。


「が、あああああああああああぁ……!」


 絶叫とともに白目をむいて、火をつけられた人間のごとく暴れ狂う。まるで生きたまま塩酸に漬けられているかのようだ。痛い。殺して欲しい。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――。


 身体から湯気がのぼる。透は口から血を撒き散らしながら、頭を地面に叩きつけ、失いかけた意識を保とうとする。体液でドス黒く身体が汚れたが、透はやめない。歯が砕けるほどに噛み締めた。バキバキと口内から音が響く。荒い息を鼻からこぼし目を血走らせ、血管という血管がはち切れんばかりに全身の筋肉に力を込め、動こうとする。


 桜南が危ない。


 頭にちらついたのは、香澄の邪悪な笑顔。


「……ぐ、があああっ」


 溺れているように手足を動かす。なめくじのような速度でしか前に進めない。動け、身体がバラバラになっても動け。


「さ……な……ぁっ!」


 そのときだった。


 目の前に、炎の壁が広がった。


 身体の動きを止めてしまう。轟々と燃え盛る炎は道路全体に広がり、亜加子たちの戦闘で壊れたガードレールや外灯などを溶かし、建物まで飲み込む勢いを見せた。顔に当たる熱は凄まじく、亜加子の液体が蒸発したせいか硫黄のような臭いが漂い、もはや毒ガスに等しい。


 激しく咳き込みながら、透は目を見開く。熱された空気と光で角膜が刺すように痛んだが、瞬きさえできなかった。


 後ろから、水の跳ねる音がした。


「二日ぶりだね、正義のヒーロー」


「……お前は」


「ああ、僕だよ。その節はお世話になりました」


 平坦で感情のこもっていない声。最悪な人物の顔を頭に浮かべながら、透は振り返る。


 そこにいたのは、漆黒の瞳をもった青年。無造作に伸びた髪と全身を包む黒い服。顔の肉が半分膨張し、ホラーゲームに出てくる中途半端に人外化した化け物のようになっている。


 間違いない。


「……不条理」


 彼は無表情のまま親指を立てた。正解と言わんばかりに。


「なんで、お前がここに……。俺が倒したんじゃなかったのか……?」


「あー、そうか。君はあのとき『殺意』に支配されて意識が曖昧だったし、オオカミちゃんも気絶していたから知らなくても無理ないよね。僕は、君に殺されそうになったけど殺されていなかった。そうなる前に自爆しただけだから。……知らないだろうから教えてあげよう」


 後頭部を掻きむしりながら、不条理は肩をすくめてこう言った。


「殺意はね、できないんだよ。残念だったね 。そのおかげで僕は命拾いして、倒したと思っていた敵キャラが再び現れるっていう少年漫画の王道展開を演じることになったわけさ。いい不条理だよな。君らにとっては最悪かもしれないけど」


「……」


「絶句してるね。ははは、無理もないか。聖母様は僕という駒を盤外に置いておいて、状況を見極めながら投入するタイミングを計っていたようだね。恐ろしいかぎりだよ。状況が変わったからって最強の手駒をあっさりと切って、次の計画を発動させるなんてさ」


「……」


「ここでパワハラ聖母様から一言」


 「不条理」が掌をかざすと、中心から横に切れ目が走り抜け、口が開いた。


「うふふ、兄さん。お久しぶりです」


 その声は、間違いなく香澄のものだった。


「てめぇ……」


「もう、そんな怖い顔をしないでくださいよ。もう少しで私と再開できるんですから、もっと喜んでくれればいいのに……」


「ふざけるな……。てめえのせいで、俺は充と亜加子を」


「殺しちゃいましたね。でもそれは仕方のないことです」


 透は言葉を失った。


 ――仕方ないだと?


「だって、必要なことでしたから。正直、亜加子ちゃんが成功しようと失敗しようとどちらでも良かったんですよ。亜加子ちゃんは実力的に九割方私の要求に応えてくれる力を持っていましたが、何が起こるかわかりませんからね。事実、銀城桜南が所在不明だった『絶望』の力を隠し持っていましたし。まあ、私に挑んできた時点でそうなんじゃないかとは思っていましたが」


 香澄は、くつくつと笑いながら続けた。


「それに、亜加子ちゃんの権能と力は私にとっても決して都合のよいものではありませんでした。あの娘の中に居た『殺意』は過保護でしてね、協力をする代わりに亜加子ちゃんの望みを叶えるという誓約を取り付けさせられたんですよ。あの力は絶対ですからね。それを破れば、私も例外なく死ぬことになる。それに、そんな誓約なくても彼女は私より強いですし、非常に鬱陶しかったんです」


 まあ、だからこそ懐柔したんですけど。


 香澄はそう言って、一呼吸置くと再び口を開いた。「長い一言だねぇ」という「不条理」の皮肉を黙殺しつつ。


「だからね、不確定要素や種々の事情を鑑みて計画を変更することにしたのです。そちらの方が私と兄さんにとっても有意義だとも判断したので。私の読み通り銀城桜南が『絶望』の殺意を隠していたなら、まず間違いなく追い詰められて使うだろうと踏んでいました。うふふ、その通りになってよかったです。おかげで、一石三鳥にも四鳥にもなりました。鬱陶しかった『法』の殺意も消せて、逆に手駒も増えて、「絶望」の力も使わせることができて、澄空を目覚めさせる最後の条件も満たせました。それに、なによりも兄さんを取り戻せたのが大きい。……終わってみると自分でも笑ってしまうくらい、私だけが得をする形になりましたよ」


「……けんな」


「ん? なにか言いましたか?」


「ふざけんなって言ったんだよ、クソアマァ! 亜加子はお前の友達じゃねえか! それを状況が変わって鬱陶しくなったから駒みたいに使い捨てただと!? てめえ、友達をなんだと思ってやがる!」


「……」


「……それに、充がどんな思いで……どんな思いで、亜加子を俺に託したと……。充も亜加子も、てめえが駒みたいに扱っていい相手じゃねえんだよ! よくも俺の親友と後輩を苦しめて利用しやがったな! 絶対に」


「許さないですか」


 冷たく、それでいて有無を言わせない口調だった。光のない香澄の赤い瞳が視えた気がした。一瞬怯みかけたが、透の怒りはトラウマを優に超えていた。


「当たり前だろうが! てめぇだけは、絶対に許さねえ!」


「それでいいですよ、別に。私たち以外の人間を消すためなら、勝つためなら、どんな手でも使います。たとえ兄さんに恨まれてもね……。うふふ、それさえ成せれば私たちは永遠に生きられる。今は恨まれていても、何万年何十万年かけて兄さんの意識を変えればいいだけですから」


 ぞっとした。


 生理的な嫌悪感が虫のように背中を駆け上がってくる。人間の思考回路ではない。嫌というほどにわかってはいたが、この妹はもはや到底理解できない境地に到っている。


「いいでしょう、教えてあげますよ」


「……」


「私が茶川さんに植え付けた『殺意』は、上位者の中でも特別に弱いものでした。父様から奪った『狂信』の力でも操れる程度にね――」


 見開いた目から血が溢れた。


 それはつまり――。


「私が操っていたのです。あなたに殺させるために」


 身体が勝手に動いた。


 疲労とか痛みとか限界とか、そんなもの全て忘却してしまうほどに、圧倒的な怒りで全身が燃え上がった。狂気じみた咆哮が、激しく鼓動する心臓から飛び出しているように思えた。駆ける。変身。敵意外のすべてが視界から消える。


 放たれた拳は、空を切った。


「おいおい、僕は関係ないよ」


 攻撃をかわした「不条理」が冷静に告げたが、透の意識にはまるで届かない。香澄への憎しみですべてが染まっていた。


「があああっ!」


 鋭い蹴りが空間を引き割いた。距離を取りながら肉を膨張させる「不条理」を、透は追撃する。変身によって生じた一瞬の隙、「不条理」の足が止まったその瞬間に前蹴りを叩き込んだ。筋肉と骨が軋む音。「不条理」が吹き飛んだ。道路を何度も転がり、ガラスを割りながら建物の中へと消えていく。家具を破砕する音が響いた。


「……はあ……はぁ」


 肩で息をしながら、透は息をついた。本来ならブラックナイトの形を保つことも困難なはずだが、怒りと憎しみが彼を駆り立て、奮い立たせていた。身体が、筋肉が壊れかけているのか。何もしていないのに、揺れる古い吊り橋のように軋み続けている。


「……完全にトばっちりジャん。聞いテいた話と違うんでスけド」


 建物の中から、「不条理」が歩いてきた。抑揚のない声。化け物の姿。日輪を模した輪を背負う、炎に包まれた黒く大きな体躯。龍の顔をした太い尾。そして、無数の瞳――。それが一斉に、壊れかけの透を睨んだ。


「……まあデも、立っているのガやっとって感じだネ。驚愕に値すルよ。あの『法』と戦ってさんざん能力ヲ使ったはズなのに、まだ動けるんだかラ。これガ感情の力ってやつカい? やハり、感情トは素晴らしいモのなんダな」


「……ぐっ」 


 透は壊れかけた身体をさらに酷使する。再び肉体を膨張させ、さらなる力を引き出した。現れたのは銀の騎士。淡い光を放つ無数の羽根が、空間を祝福する。


「あレが『救済』かぁ。変身ヒーローもノの最終形態って感じがスるね、いかにモ」


「……」


「さテ、サービス残業ヲさっさと終わらせヨウかな」


 透は構える。


 「不条理」の背中の日輪が回る。身体に纏わりついていた炎が霧散し、冷たい不気味さが黒いオーラのように立ち昇って視えた。これまでとは、明らかに何かが違う。「不条理」が、掌から現出させた鎌を斜めにかざした。


 二人は睨み合う。


 張り詰めた空気の中、ひらひらと舞う羽が落ちた瞬間、透は視た。


 一秒先の未来のビジョン。「不条理」が全身に雷を纏い、凄まじい速度で突っ込んでくる。右から袈裟懸けに振り下ろされる鎌が、透の肩口を引き裂く――。


 その瞬間、「不条理」が動いた。彼の全身から電流が走り抜け、姿が消える。透は訪れる未来を自分の望む姿に変化させようとして――。


 鎌に左肺を貫かれた。


「――」


 口から血を吹き出しながら、透は驚愕に目を白黒させる。


 馬鹿な。なぜ。未来を変えて、真っ直ぐに突っ込んでくる「不条理」の顔面を拳で砕いたはずだ。だのに変わらなかった。いや、変わっている。たしかに拳を振るった。だがその一撃は空を切り、懐に入り込んだ「不条理」によって刺された。


 変わっているのだ。透が望む未来とは別の形に。


「残念でシた」


 冷たく言うと、「不条理」は鎌を捻った。焼けんばかりの激痛が走り抜け、透は口から大量の血を撒き散らした。赤黒く汚れる「不条理」は無表情のままだった。背後の日輪が回る。


 その瞬間、透は内側から凍りついた。


「……っ」


 何が起こったのかわからない。指の一本さえ動かせず、息もできなかった。肺が、心臓が、凍りついてしまったせいか。意識が赤黒く染まる。視界が回っていた。


 倒れた。いや、頭だけが地面に落とされた。全身の感覚を突然切り離された感覚がある。視界がぼんやりと光を取り戻す。「不条理」の顔が目の前にあった。頭を持ち上げられている。


「……ばか、な」


 「不条理」の額に、赤い瞳がある。香澄の目だ。


「『救済』の権能はたしかに強大なものです。普通ならまず誰も貴方には勝てないでしょう……。ですが、対策を講じていればそう怖いものでもない。いいですか兄さん。貴方もわかっているでしょうが、貴方と私の感覚は繋がっているのです。『狂信』のもう一つの権能によってね」


「……」


「身体の一部を与えたものと感覚を共有できるという力。与えたものの量が多ければ多いほど、より強く繋がることができる。覚えていますか? 私は兄さんのお世話をしたとき、たくさん料理を食べさせてあげましたよね? あれ、私の肉なんです」


 けたけたと香澄は笑う。頭しかないのに、全身が凍りついたような錯覚を覚える。監禁されているとき、何の肉かもわからない肉を大量に食わされていた……あれは全部……。


 全部、香澄の肉。


「……うワァ」


 抑揚のない声で「不条理」が引いていた。


 あまりの戦慄と生理的な嫌悪に、透の歯が勝手に音を立てた。凍らされたときの冷気のせいではないのは明白だった。恐ろしい。狂気に際限がなさすぎる。


 香澄の目が、ゆっくりと上を向く。まるで陶酔でもしているかのように、そこには愉悦の気配が漂っていた。


「……だからね、兄さんが視ているもの感じるものははっきりと視えるんです。兄さんが予知した未来も、兄さんが変えようとした未来も。私にはわかるんですよ。『未来変化』の弱点も……ね」


 香澄は小さく笑うと続けた。


「あの力はまず未来を視て、それから確定させた未来の姿を望むものに変更するという二段階のプロセスを経ています。そこで、私はこう考えました。『変更する前に確定したはずの未来と別のものにしてしまえば、能力自体破綻するのではないか?』と。あくまで、自分の中で確定した未来を変えるという能力ですから。兄さんが予知し確定したものと別の結果にすり替えれば、変化もできなくなると。ふふ……当たりでした」


「……くそ、が」


「私の視たものは『不条理』にも視えますからね。後の先を取る形で、貴方の能力を封殺することは難しくない」


 ――あなたじゃ私には勝てませんよ。


 閉口する他なかった。


 透は改めて思い知る。自分が相手にしているのは、悪魔の発想と頭脳を持った稀代の天才なのだと――。

 

「……あ……うぅ」


 心にひびの入る音がした。もはや、超回復をする余力すら残っていない。先程までの怒りと憎悪に支えられた最後の気力は、消し飛んでいた。


 香澄が「もう少しですね」と不穏な笑いを零した。


「……ああ、そうそう。話は変わりますが、兄さんが忘れている大切な事実を教えてあげましょう。母様のことです」


「……かあ、さん?」


「ええ。同時に、あなたがどうして上位者になれたのかという話でもあります。人間が上位者に覚醒する条件は二つありますが、そのうちの一つはね……人を殺した経験を持っていることなんです」


「……は?」


「私が言わんとしていること、わかりませんか? 相変わらず鈍いですね」


 香澄は、小さく告げた。


 最悪な事実を――。


「兄さんが殺したんですよ。母様をね」





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