生まれてくるきみへ

芦屋 道庵

生まれてくるきみへ

〝きみのパパとママは、大学時代の同級生だった。

 桜の咲いている入学式の日に出会った〟


 パパの名前はケン。ママの名前はユキ。

 不思議と気が合って二人は友達になった。そして同じサークルに入ることにした。キャンパスには夢いっぱいの新入生や入部を勧誘する上級生が大勢いて、とてもにぎやかだった。

「あ、見て、あれはどうかな」

 ユキは、テニス同好会のポスターを指さした。

 ケンも頷いた。二人は顔を見合わせて笑った。でもその笑いはすぐに消えた。

「お金、かかりそうだね」

 ケンは九州、ユキは東北から上京して下宿暮らし。どちらの実家も裕福というわけでもなく、お金の余裕はあまり無かった。

「バイトもあるし、ちょっと無理かも」

 二人はまた歩き出したけれど、あちこち見て回るうちに、次々に現実を突きつけられた。その分、夢がしぼんでいくようで、寂しい気持ちになった。

「帰ろっか」

「うん」

 駅に向かってトボトボ歩く。

 突然、ユキが言った。

「二人でサークル作っちゃうのはどう?」

「え?」

 ケンが目を丸くする。

「なんのサークル?」

「ふふふ、お料理サークル」

「お、お料理?学校の中でそんなことできるの?」

「そりゃあ、ムリでしょ」

「だよね」


〝出会った頃から、ママはいつもとんでもないことを言って、パパはいつも振り回されていた。それは今でも全然変わっていない〟


「だからさ、私の部屋でやらない?実家からカップ麺をいっぱい送ってくるのよ」

「≪赤いきつね≫とか≪緑のたぬき≫とか?」

「そうそう」

「うーん、俺も好きだな」

「でしょ?いっしょにお餅や野菜とかも送ってくるから、なにか作って二人で食べようよ。お金もかからないし、おしゃべりもできる。ひとりで食べるより、きっと美味しいよ」

「いいんだけどさ」

 ケンはとても困惑していた。

「俺もいちおう男なんだけど」

「知ってるよ」

「部屋に入れていいのか?」

「いいよ、別に」

 ユキはケロリと言った。

「そんなにキケンな人じゃないでしょ?実家の親が言うのよ。早く彼氏を作りなさい。そして、できるだけいっしょにいてもらいなさい。その方が安全だから、って」

「へえ、物わかりのいい親だね。うちの親なんかもう保守的で」

「保守的?」

「そうなんだよ。古くさくて」

「そう言えば、九州の人って男尊女卑だってホント?」

「俺は違うけど」

「ふふ、結婚したら尻に敷かれる九州男児。想像すると、なんか面白い」

「そのぶっ飛んだ発想、どこからくるわけ?」

 うふふ、ユキはケンを見上げた。

「手、つないでいい?」

「う、うん」

 ケンの方がずっと緊張していた。


「うわ、これは凄いな」

「でしょう?」

 ユキの部屋に所狭しと積まれているカップ麺の箱と食料品。どんなに金に困っても餓死だけはなさそうだ。

「うちの畑で取れる野菜を、いっぱい送ってくるの。一人じゃ食べきれないって言ってるのに」

「だから、俺?」

「はい、正解。男の子が豪快に食べるとこ、見てて楽しい」

 なんだかいいな。ケンは思った。東京に来てちょっと凹んでいた。華やかさに憧れて出て来たはずなのに、やっぱり馴染めなかった。それに比べてこの生活感。野菜の匂い。初めて来た部屋なのに、とても懐かしい気がした。

「私、ひとりご飯は寂しかった。でも自炊しなきゃ、やっていけないから」

「そうだな、俺も気取ったメシは苦手だ」

「私たち、食べるの好きそうだから、似た者同士だね」


〝こうして、パパはママに捕まっちゃったんだよ。

 おかしいでしょ?

 でも、ママはパパに出会えて、ほんとにうれしかったんだ〟


「ほら、お餅もあるよ。これを焼いて≪赤いきつね≫にチョイ足しすると、すっごく美味しいんだ。お腹もいっぱいになるし」

 ケンが物珍しそうにしている。

「どうしたの?お餅嫌いだった?」

「いやいや、そうじゃなくて。四角いな、と思って」

「四角いでしょ?お餅は」

「いや、実家の方では丸いんだ」

「へえ、そうなの?食べてみたいな、丸いお餅」

「じゃ、今度送ってもらうよ」

 違うもの同士が出会って新しいものが生まれる。それがとても楽しいと、この時初めて感じた。

 

 二人だけの「サークル活動」は、もう二年近く続いていた。他の友達に、生活感ありすぎると飽きて別れちゃうよ、とか言われる。でもなぜか、ぜんぜん飽きない。

「肉、買ってきたぞ。あとビールも」

 二人とも二十歳を過ぎて大っぴらに酒が飲めるようになった。 

「ありがと。外、寒かった?」

 ユキはキャベツと、玉ねぎと、かぼちゃをザクザク刻んでいた。今日は焼肉だ。ケンが小さい頃から好きだった「塩麹だれ」も用意してある。 

 焼くのはケンの担当だ。

「いいお肉だね。高かったんじゃない?」

「タイムセールで安く買えた」

 得意げなケン。

「ようし、焼けた。食うぞ」

「いただきまーす」

「カンパーイ」

「あんまり飲みすぎないでよ」

「九州の男には、酒ば水と同じたい」

「こんな時だけ九州男児にならないでよ。ほら、お肉焼けてるよ」

「ユキも食いなっせ」

「ううん、いっぱい食べて。ケンの食欲見るの、楽しいもん」

「そうなの?変わってるね。おっと、ビール取って」

「ちょっとペース速すぎ」

 そういうユキも東北の生まれ。酒の強さでは負けていない。二人で愉快に食べて、飲んで、〆は≪緑のたぬき≫だった。こんな時、刻みねぎをちょっと乗せると、その香りがたまらない。

 もう、おなかが膨れて動くのもしんどい。カーペットの上に、並んで横になる。手をつないで天井を見上げた。

「なんか、眠くなっちゃった」

「うん……」


 ユキが目覚めると、カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。

(あったかい……。気持ちいい)

 ふと気づくと、ケンの顔が目の前にある。

「え?」

 ケンと抱き合っている。明け方寒くなったので、どちらからともなく接近したらしい。一瞬うろたえたが、良く見るとただ抱き合っているだけで、それ以外は何もしていない。

「なんだかなあ……。ケン、私はただの湯たんぽ?」

 ケンの寝顔に愚痴をこぼす。でも思わず吹き出して、目を覚ましたケンと大笑いした。


 四年生になる前、ケンとユキは友達から恋人になった。友達時代の「味」はたださわやかで心地よかったが、恋人になるとちょっと違う。甘味の中にも苦味だったり、辛味だったり、涙の塩味が混じったり、小骨が喉に刺さったり……。それでも、お互いの実家に行き、家族に紹介されて距離を縮めていた。


 九州では、ライトアップされた大きな城を見に行った。地震で崩れてしまっても、また蘇る力強さに感動した。ケンの実家では、弟と妹が興味津々でユキに話しかけてきた。九州の新鮮な魚や≪だご汁≫や≪いきなり団子≫は、とても美味しかった。ケンの家族の優しさに触れ、ユキの心は温かくなった。


 東北の、雪の降る駅前広場でケンはハチ公の像を見つけた。

「ハチ公って渋谷駅にいたんだよね?」

「故郷はこの町なの」

「へえ、そうなんだ」

 夕飯は、舞茸と鶏肉がたっぷり入った鍋料理だった。ケンが見たことのない、竹輪のような具が乗っている。

「≪きりたんぽ≫だよ。つぶしたご飯を杉の細い棒の周りに塗り付けて焼くの」

「へえ、だしとよく合っていて美味しいね」

「そう?うちの親、きっと喜ぶ。≪きりたんぽ≫はお父さんが焼いたみたい」

「そういえば、いつも食べてる野菜たち、ここからやって来るんだね」


 楽しかった大学生活も終わりが近づいていた。ケンとユキは就職活動で苦戦していた。何度面接を受けても内定が貰えない。さすがに疲れてきて、会話も少なくなった。 

 そんな時、ケンに第一志望の会社から連絡があった。辞退者が出たらしい。もう一度面接を受けて、今度こそ内定になった。

 ユキは、もちろんうれしかった。でも置いていかれるような寂しさも感じた。

 ユキの就職が決まらないまま、卒業が迫ってきた。式の前の日、二人はユキの部屋で日本酒を飲んだ。肴は九州の辛子れんこんだ。

「うまいでしょ」

「うん、お酒によく合う。大人の味だね……」

「おい、どうしたユキ」

 ケンは、ユキが涙ぐんでいるのに気付いた。

「ケン、四年間いっしょにご飯を食べてくれてホントにありがとう。楽しかったよ。でも、今日で終わりにしよう。私、地元に帰るね。なんかもう辛くて。仕事も無くて、ケンに迷惑かけそうだし」

「話はそれだけ?」

 ユキはゆっくりと抱き寄せられた。

「俺が初めてこの部屋に来た時のこと覚えてる?」

「うん」

「≪赤いきつね≫に乗った白い餅、ユキのほっぺたみたいだと思った」

「ぷくーって、膨れてたってこと?」

「違うって。とにかく俺は、あの頃からずっとユキが好きだった」

「うそ……」

「ウソついてどうするんだよ。俺はユキの手を放さない。絶対に放さない。親たちも、弟も妹も、ユキは次、いつ来るかってうるさいんだよ。この先どんなことがあっても、俺と、俺の家族がユキを守る。だから、結婚しよう」

 ズルいよ、ケン。いつの間にそんなに大人になってたの?

「仕事は一生ものだろ?やりたいことをゆっくり探せばいいさ」

 ユキは泣いた。声を上げて泣いた。就活の辛さ。別れを決心した時の悲しさ。二人で過ごしたかけがえのない四年間。そして、あきらめかけた未来。次から次から思いが溢れ、その一つ一つをケンが受け止めた。


〝その夜、予感がした。とても素敵な予感だった。

 しばらくして病院で検査を受けたら、やっぱりそれは当っていた。

 そう、あのプロポーズの日、きみはパパとママのところに来てくれたんだ。

 パパはもう大喜び。九州や東北の親たちもおめでとうと言ってくれた。

 でもママはつわりになって、しばらく何も食べられなかった。パパは、とっても優しく世話をしてくれた。

 安定期になって、やっと食欲が出て来た。今日はパパが帰ってきたら、久しぶりに二人で≪緑のたぬき≫を食べるんだよ。

 きみが生まれてきたら、やっぱり≪赤いきつね≫や≪緑のたぬき≫が好きになるのかな?

 そうだといいな。いっぱい食べて、いっぱい話をしようね。

 きみが大好きなひとに出会う、その日まで〟




 

 

 

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生まれてくるきみへ 芦屋 道庵 @kirorokiroro

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