第三話 森のわが家へ
3-1.春の窓にきみを見つける
ロサヴェレからもどってまる二日間、ジェイデンはスーリのもとへ行けなかった。
王都に幽閉されているフィリップ伯のかわりに、領主の代理(正確には領主代理ジョスランの代理)としてやるべき仕事が
先のことも考えている。ジェイデン自身は、伯の長子に領主の座をわたしたかったが、これは慣例を考えると難しいだろう。先日、魔女ザカリーにも問われたが、彼自身が大公として当地を譲り受ける算段もはかりには乗せている。それは、父に対する
ここでは、ジェイデンがまじめに領地運営をおこなっているという話である。
家臣たちも各軍の長もフィリップのもとで長年はたらいてきた忠臣で、主君が
それでもオスカーがあいだに入ってくれたし、冬のあいだにずいぶん時間をかけたので、すこしずつではあるが彼らとの仕事もうまくいくようになってきた。
ジェイデン自身は、領主の仕事が嫌いではない。領地の経営はひとつの大きな生きものの世話をしているようで頭の使いがいがあるし、いろいろな立場の人間に会うのも刺激的でおもしろい。でもいまは正直なところ、領主代理としての仕事より、スーリのいるあの森の家で過ごしたい。ほっそりと白いあの立ち姿を眺めたり、いっしょに食事を楽しんだり、膝のうえに抱いて親密にささやきあったり、そして夜には……。
だが現実に引き戻され、甘い妄想はその先には進まなかった。
彼がいるのは、イドニ城の客室のひとつを執務用に改装したばかりの部屋。机の上には彼の確認を待つ書類の山があった。
なぜ自分はこんなところにいて、膝のうえにスーリがいないのか。象牙色の髪に鼻先をうずめて匂いを嗅ぐこともできないし、かまわれすぎた猫のようなイヤそうな顔を見ることもできない。ああ、こんな仕事引き受けるんじゃなかった。兄さんの尻ぬぐいなんかせず、放っておけばよかったんだ。どうせ、兄の評判は落陽のごとく低下する一方なのである。でも、そうするとまた父がおれにかまいはじめるし……。
「お顔が百面相になっておりますぞ、ご領主どの」
オスカーが視界に入ってきて、そう冷やかした。「さては、愛しの婚約者どののことを考えていたな?」
「後半はもっと雑多なことを考えてたよ」
ジェイデンはうつろな目で親友を見た。
「会えないのがつらいなら、
オスカーはなにごともないようにそう言ったが、ジェイデンは首を横にふる。
「おまえはスーリを知らないからそういうことが言えるんだよ」
「そうか?」
「ああ。ロサヴェレに連れていかれたときだって、ずっと森に帰りたがっていたんだから。家に閉じこもってるだけじゃなく、そもそも寝台から出てきていない可能性すらある」
他人とかかわりすぎてしおしおに疲れたスーリの様子を思いだしてジェイデンはまたきゅんとした。かわいそうとかわいいが同時にわきあがってくる。
「そりゃまた重度のひきこもりだな」
「いいんだ。彼女のペースでおれとつきあってくれれば。結婚だって承諾してくれたし」
「そのひきこもり魔女と、無事結婚できればの話だがなぁ」
「なにが起こっても、彼女とのことはだれにも邪魔させないぞ」
ジェイデンが机にかじりつく勢いなのがおかしかったのだろう、オスカーは笑った。
「おまえは昔から人あたりはいいけど、妙に頑固だよな」
そして肩を軽くたたく。「まあ、あまり根を詰めるなよ」
「そうだな」
オスカーの言葉に触発され、ジェイデンは立ちあがって首をまわした。ぼきぼきと骨が鳴る音がする。やれやれ、こうも書類仕事ばかりだと身体がなまりそうだ。
庭が恋しくなり、ふと窓ぎわに立つ。ほこほこしたミモザの房が目にまぶしい。と、眺めおろしたさきに人影を見つけてあっと声をあげた。
「スーリ」
「ンン?」
オスカーも窓辺によって来る。「あ、ほんとだ。めずらしいな、ひとりで城に来るなんて」
♢♦♢
「だって目が覚めたら、あなたの字で書き置きがあったんですもの」
騎士に案内されて入ってきたスーリが、理由を問われての第一声である。
「『まだ城から離れられそうにない。こっちに来て、いっしょに食事を取らないか』って」
「そうだけど、出てこれるとは思っていなかったから。うれしいよ」
ジェイデンはとろけるような笑みを浮かべて彼女に近づき、しっかりと腕に囲った。
「ああ、目の前にきみがいるなんてしあわせだ。しあわせすぎて怖いくらいだ。なにか、よくないことの前触れだったりしないかな。嵐、不作、大魔導士の急な来訪など」
「どうしてそんな発想になるのか、わからないわね。わたしだってたまには外に出るのよ。無理やり連れだされないでもね」
スーリは不機嫌そうに返した。それから部屋のなかをしみじみと見まわして、
「イドニ城に来るのは不思議な感じだわ」と言った。
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