2-10.媚薬のゆくえ

「これからどうするつもりかって?」

 尋ねられたジョスランは笑顔のまま答えた。「もちろん、王都に戻るつもりだよ」


「王都にですか?」

 アグィネアは顔をしかめた。「立てなくてもよい波風を立て、ご自分の評判をぞんぶんに落としておいて、そのうわさも冷めやらないうちに戻る? 殿下の深謀遠慮しんぼうえんりょには感嘆いたしますわ。敵に塩を送るという奇策でしょうか? これでまた、ジェイデン王子のほうに得点が加算されますでしょうね」


 旅のあいだに地が出てきて、素の皮肉っぽさが隠せなくなってきた。が、ジョスランはその毒舌をうれしそうに聞いている。

「私のことを心配してくれるのかい? あなたの愛情ぶかさには嬉しいおどろきを感じるよ」

「そうではなく……いえ、けっこうです。わたくしは愛情ぶかい性格、そういうことで」

 アグィネアはげんなりしたが、すくなくとも緊張したり不快ではないことに気がついておかしかった。思うさま皮肉を言えるというのは、あんがい心地よいものかもしれない。


 ジョスランはにこにこと続ける。

「王都に戻るというのはね、そろそろ母が追ってくるころあいだろうからと思って。今ごろさぞ怒り狂って、イノシシのごとく一直線にここまでやってきているだろうからね。行き違いになったら、母はさぞ悔しかろう。ふふふ」

「あきれた方ですね……。王妃殿下のお怒りには、リグヴァルト王でさえおそれると伝え聞きますが」

「私だけは昔から、母が怖くないんだよ。母親似と言われてきたせいかもしれないね」


 この男は、まったく……。

のわたくしから忠告いたしますが、殿下はいずれ、周囲の者に足もとをすくわれますよ。殿下には人心じんしん機微きびがおわかりにならないようですが、あなたにふりまわされた者たちは、その機会を狙っているはずです」


「ジェイデンにも似たようなことを言われたよ」

 王太子はうっすらと笑った。「だけどこれが素の私なんだ。それに、まあ、つなわたりが好きなのかもしれないね。危険なことに首をつっこんで、ものごとが悪化していくのを見るのがたまらなく好きなんだ」


「改善する気はおありでない、ということなんでしょうね」

 アグィネアはため息をついた。どちらかといえば冷徹な性格だと自負しているが、この王子のあぶなっかしさには目を離せないものがある。文字どおりの綱わたりから、いつ落ちないかとはらはらしてしまう。こんなことでは、胸騒ぎを恋と錯覚するような事態になってしまうかもしれない。まったく不本意なことに……いえ、そうかしら?


 姫ぎみは熟慮のすえ、椅子から立ちあがって部屋のすみにわたっていった。カバンのなかからこぎれいなボトルを取りだし、ふたりの前に置いた。


「それはなにかな?」

「スーリ殿にわけていただいた……薬草酒です。お飲みになりますか?」

「いいのかい?」

「ほんとうは、ひとりで飲むように言われていました。でも、いいでしょう。どうせ中身は栄養剤かなにかです」

「ふうん?」

 ジョスランはビンを手にもってためつすがめつしてから、彼女が立ちあがろうとするのを制して自分でグラスを持ってきた。


「では、いただこうか」

「おぎしましょう」

 アグィネアが瓶から中身をそそぐと、シュワーッという盛大な音をたてて、黄金色の液体があふれでた。

「きゃっ」

「おっと」

 思わず瓶を取りおとしそうになるアグィネアの手を、ジョスランが支えた。


「薬草酒が泡に!」

「ははは」

 声をあげてジョスランは笑った。「びっくりしたかい?」


「お、おどろきました……」

 アグィネアはまだ目を白黒させている。「殿下のしわざですか?」


 ジョスランはまだくっくっと笑っていたが、うなずいてみせる。

「なぜこんなことを……」

「私は手品が好きなんだ。みながおどろくところを見たいんだよ」


 この男は、まったく……。

 何度目になるかわからないが、アグィネアは内心で王子をののしった。してやられてばかりというのが、またおもしろくもない。

「それなら、わたくしからもおどろきの情報をお伝えしましょうか」

 思わず、そう口に出していた。


「なんだい?」

「わたくしは最初から、あなたがたお三方のうち、王になる男と結婚するようにと申しつかってきました。もちろん国益のためです。

 邪魔になるような存在があれば、コラールからの間者がその者を消すことになっていましたから、ジェイデン殿下が王位にご興味がなかったのはスーリ殿にとって僥倖ぎょうこうでしたね」

 アグィネアはひと息おいてから続けた。「あなたがたに関する情報も、すでに祖国に伝達しております。……わたくしは王妃候補でもありますが、間者でもあるのです」


「おやまあ」ジョスランは夏の青空のような目をまんまるに見ひらいた。

「かわいい人よ、その知らせはなかなかのおどろきだねえ」


「しかし、それを私にうちあけてよかったのかい?」

「よくはありませんが、なんだかばからしくなってしまって」

 アグィネアはため息をついた。「自分本位に軽挙にふるまっておられるので、まさかあんなはかりごとをなさっているとは想像していませんでした。自分の観察眼には自信を持っていたのですが、してやられたと思いました」

「軽率なふるまいはやめろと、弟たちによく苦言されているんだけどねえ」


「祖国への愛は変わりませんが……。わたくしが任務を放りだして平凡な幸福を享受きょうじゅしても、両親は許してくれると思うのです。『おまえの幸福も大事だ』と、そう言って送り出してくれたのですから」


「よいご両親だね」ジョスランはうなずいた。


「では、この媚薬びやくを飲みますか? うわさの白魔女どのの謹製きんせいですが」


「いただくとしよう」

 ジョスランは顔の前にグラスをかかげた。「私には必要ないものだが、あなたが飲むところを見たいからね」

「おかしな方ですね。女性の好みも変わっているし」

「そうかな? 三兄弟のなかでは、いちばん良い女性をえらんだと思うが」

「それが変わっていると申しあげているのです」


 ふたりは媚薬と名づけられた甘い薬草酒をわけあい、楽しんだ。


 そののち、王都に戻ったふたりは盛大な結婚式をあげ、幸福な結婚生活を送ったが、それはまた別の物語である。


【第二話 終わり】

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