1-10.スーリ、ふたたび媚薬を頼まれる
夕食が済むと、ジェイデンは外を見張るために食堂を出ていった。スーリはしばらく悩んでから、アグィネア姫付きの侍女を呼びとめ、姫に取りついでもらうことにした。(そう、駆け落ちとはいえ、彼らはちゃんと護衛も侍女もともなっていたのである)
いちおう浮き世の身分というものからして彼女が訪ねていくのが礼儀だろうと思ったが、姫は自分からスーリを訪ねてきた。スーリとジェイデンが伯爵邸で間借りしている部屋である。近いうちにダルクールに戻る予定なので、荷物のほとんどはまとめており、女性二人の会談としては殺風景な眺めだった。
「わたしはあまり腹芸がわかるほうではないし、政治のことにも興味がありません」
スーリはそう切りだした。「なので、こういう申し出が適切かはわかりませんが、……アグィネア姫。あなたがこの状況を不本意に思っていらっしゃるのなら、手助けしたいと思います」
「手助け?」姫ぎみはそうくり返した。「どういう意味ですか?」
「あなたが、ジョスラン王太子に、その……無理やり連れてこられたのではないかと。もしそうなら、みなに協力してもらってあなたを王都なり、お国なりにお送りします。そういう意味です」
スーリは意を決してそう答えた。ずいぶん考えてからのセリフだったので、固くなってしまった。
「そんなふうに見えたのですね、あなたには」アグィネア姫は、じっとスーリを見つめてそう確認した。
スーリはうなずく。
「王太子のそばにいるあなたは、困惑しているように見えました。それで……、わたしは……わたしも、男性に不本意な目に遭わされたことがあるので」
「それで、援助を申し出てくださったのですね」
「はい」
スーリはなんとなく居心地が悪くなり、テーブルランナーの端の房を無意味にいじったりした。よく考えてから行動したつもりだったが、よけいな申し出だったかもしれないと思いはじめた。レディ・グロリアのように、困っている女性に手を差し伸べたいという気持ちからの行動だったのだが……。
アグィネア姫はずいぶん落ちついているように見えた。すくなくとも、ジョスランのそばにいたときのようにおどおどとはしていなかった。
そして姫ぎみは、しばらく考えた様子を見せてからおもむろに話しはじめた。
「あなたのような美しい友人がわたくしにもいますわ。ほっそりして、うるんだ大きな瞳をして、鼻はボタンのように小さく、唇は夏のサクランボの色」
なにを言われているのかわからず、スーリはけげんな顔になる。姫ぎみは続けた。
「彼女といっしょに歩くとね、わたくしとはまるでちがう世界を歩いているみたいな気分になります。男たちは先をあらそって道を開け、あれこれと小さな贈り物を持ってきて彼女の気をひこうとする。貴婦人たちも彼女を見かけると笑顔で手を振ってくる。使用人たちでさえ、まるで朝一番の光を浴びたような表情になる。世界はやさしさと思いやりに満ちていて、彼女が善なるものを信じるのもわかると思いました」
スーリの反応を見ることなく、姫ぎみはさらに続ける。
「わたくしが見ている世界を教えてあげましょうか? 町を歩いていても、供添えがなければだれも避けてなどくれません。貴族の男たちは通りいっぺんのあいさつをするあいだ、隣の侍女をちらちらと見ています。同年代の姫ぎみたちにとって、わたくしはたんなる壁紙か、自分を引き立てる脇役。おなじ場所を歩いても、世界から向けられる目がちがうのです」
「わたしは……」
スーリは彼女の話を聞いて、言わんとするところはわかったが、どうにも納得がいかなかった。「わたしの母は村でいちばん美しいと言われていましたが、しあわせではありませんでした。男たちにむごたらしく利用され、世界を呪って死にました。あなたが感じる苦しみとはちがうかもしれませんが」
「お母さまにはお母さまなりの苦悩があり、その美貌が重荷になることもあったでしょう。あなたもきっとそうでしょう。そして、あなたたちの不幸は同情され、わたくしの不幸はあざ笑われる。そんなものは不幸ではないと。でも、じっさいに婚約者を奪われたのはどちらですか? 奪ったのはどちら?」
ハシバミの目でひたとスーリを見つめてから、姫ぎみは目をそらしてうつむいた。
「……わたくしは、世界でいちばん不幸になってもいいから、美しく生まれたかった」
スーリはその言葉を聞いて、もう一度彼女の話をふり返ってみた。それから、いちおうは納得できるという結論にいたった。
「自分の視野が狭いということがわかりました」
と、スーリは答えた。「でも、あなたの考えも
「そうね」
姫ぎみもうなずく。「いつもは、ここまで
そこまでうちあけた姫は、立ちあがって部屋のなかを見まわした。
「あなたのうわさを聞きました。ほんとうは、
そして、皮肉っぽくほほえむ。「でも、そんなものは存在しないのでしょうね。だって、あなたには必要なさそうだもの」
「第一に、わたしは薬草医で魔女じゃありません」
スーリはやんわりと説明した。「第二に、王太子殿下はあなたのことがお好きでいらっしゃるようですから、媚薬は必要ないのでは?」
「いえ、殿下ではなく……わたくし自身が使うのです」
アグィネア姫はためらいがちな目をスーリに向けた。「殿下のお気持ちにおこたえできるようにと」
スーリはしばらく考えこんだ。彼女の話をまたふり返り、こういうときレディ・グロリアならどうするだろうかと考えた。
そして、鞍袋に詰めていた薬箱を取り出した。
「では、薬草医のわたしから、お薬をおわけしましょう」
彼女が取りだしたのは飾りけのないビンに入ったハチミツ色の薬だった。手渡すと、姫ぎみはそれを月あかりに透かして眺めた。ハシバミの目が液体の色をうつして黄金に輝いた。その輝きの美しさに気づく男はきっといるとスーリは思うのだが……。
「ただし、あなた自身の心が決まってから、心しずかに一人でお飲みになってください」
「一人で飲むのね?」
「ええ。でも、この旅のあいだにご自分のことをよくふり返ってみられるといいと思います。自分のことばかりじゃなくて、王太子や、あなたのまわりのほかの人たちのことを」
「……薬は効きますか?」姫ぎみはたずねた。
「効きますよ」
スーリはほほえんだ。「その薬を作った魔女は、おろかにも自分で媚薬を飲んでしまい、目の前の男と恋に落ちたと聞きました」
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