2-8.たまには貸しをつくろうか
雷はばりばりと轟音を立てて舞台をなぎはらった。あわてて身を引いた暗殺者の身体に、炎の輪が巻きつく。
「なんだこれは?!」
細身の男は炎を焼き切ろうと無駄な努力をしながら吠えた。「瞬間移動に、雷に、炎の魔法だと? ひとりの魔導士が、これほどの魔法を同時にあつかうことは不可能なはず……」
と、そこで正解に思いいたったらしかった。「<
「ルルーさま」
アグィネアは、ほっと息をついた。大魔導士の魔法をはじめて目前にしておどろいたが、王太子に傷を負わせずにすんだ
「やあ、助かった。やはり準備というものはしておくものだね」
ジョスランはなにごとも起こっていないように快活にそう言った。背後に立つ騎士が、これもケガなどなかったかのように鎧のすきまから革袋を取り出し、うやうやしく王子に差しだす。なかからは、本人が口にしたとおりの共用金貨が。
「はい、一回分のお
白い指が金貨をつかみ、青年の手に握らせた。
「魔術の建設的発展へのご協力、ありがとうございますぅ」
美貌の大魔導士ルラシュクは、にこやかに金貨を受けとった。空中で羽ペンがくるくると舞い、紙片に優雅な数字をきざんだ。「はいこれ、領収書ですぅ。じゃっ、僕はこれで~」
出てきたときとおなじように鮮やかに、ルルーはふっと姿を消した。
「殿下……ルルーさまをお雇いになったんですの?」
アグィネアはようやく尋ねた。
「うん。時給プラス、一回ごとにお手当つきでね。目が飛び出るほど高価だが、さすがに大魔導士、すばやいねえ」
「じゃあ、賊に襲われることも最初から……?」
「ああ。キリアンに言われて、ある程度予想はしていたよ。そうでないと、こんなところまでぶらぶらやってくる意味がないからね」
そしておきまりの笑みを浮かべる。「もちろん、あなたと楽しい時間を過ごすことが第一の目的だよ」
「キリアン殿下に……」
アグィネアの脳裏に、兄弟で打ち合わせをしている姿がよみがえってきた。あのとき、ジョスランはすでにこの事態について推測を聞いていたということになる。
「そこまでわかっていたのだとしたら、殿下はいま――」
なにを、と言おうとした姫の耳を、暗殺者たちの怒号がやぶった。
「魔導士を連れてくるとは、
「退却しろ!」
悪漢たちは舞台のそでにある入り口をめざして退却をはじめた。が、おどろいたことに、その入り口からはべつの男たちがわらわらと沸いて出てきたのである。
革製の簡易鎧姿だったので、最初は男たちの素性がわからなかった。
「入り口を
リーダー格の男のその声、その姿で、アグィネアはようやく彼らの正体がわかった。キリアンと部下の騎士たちだ。
「皇配キリアン! やはりきさまの謀りごとか」
水牛のごとき巨体が、キリアンの目の前に立ちふさがった。身体じゅうに入れ墨めいた模様が描かれた大男は、さきほどまで舞台にいたはず。やはり、内部にも協力者がいたのだ。それとも、そもそもこの興行自体が、仕組まれたものだったのか。
大男は舞台上のポールをぼきりと折って武器にし、キリアンに殴りかかった。剣で受けたキリアンを、柱のような脚が蹴りあげる。キリアンはたたらを踏んで背後に下がった。ぶつかった背後のポールが重みでみしっと鳴る。そのあいだにも大男は舞台の端にまわりこんで、手品用の巨大な棺をもちあげ、キリアンに向かって放り投げた。
空中を舞う棺のなかに、女性の姿が! 手品のためになかにひそんでいたのだろう。
棺をよけるかまえだったキリアンだが、なかに人がいるのを目視すると、落ちてくる棺のなかにそのまま頭ごと突っこんだ。
バキバキと音を立てて木製の棺がこわれ、あたりに破片をまきちらしながら崩壊した。そのなかから、片手で頭をかばい、もう片方の腕に女性をキャッチしたキリアンが出てくる。手品もかくやという働きぶりに、騎士たちからどよめきが上がった。
「あっぱれキリアン殿下!」
「さすが殿下! 頭が岩のようです!」
「攻城兵器のごとき上腕二頭筋!」
「背中にシーダル山脈が生えてますよ!」
やんややんやとはやしたてる、キリアンに劣らぬ筋肉騎士たち。
「やあ、牛どうしの戦いって感じだね。さすがディディエ
ジョスランは気楽に戦いを鑑賞している。アグィネアも、もはや皇配キリアンの勝利を疑っていなかった。なにせ、あやうくなれば大魔導士を呼べばいいのである(有料で)。これほど容易なことがあるだろうか? おまけに、魔法の助けを借りずとも魔人のように強いし。
身体から蒸気をふきあげながら敵と組みあうキリアンには、女性もののドレスに身をつつんでもじもじと恥じらっていたあのいじらしさは破片もなかった。
ふたりの予想どおり、じきにその場は制圧された。悪漢たちは騎士に連行されていく。
ジョスランが弟に近づき、身体についた木片をはらってやった。
「私が来るという情報を、あちこちに流したね?」
「ええ、ずいぶん急ぎました」
犬のように頭を振って破片を落としながら、キリアンが答える。
「王太子がドーミアで殺害されたとなれば、アムセンとドーミアのあいだに戦争が起き、皇室の権威はおおいに揺るがされるでしょう。そうなってほしい一派に、二三、心あたりがあったものですから」
そして「ディディエには怒られたけどね」と苦笑した。
「まったくだよ。この私をおとりに使おうなんて、どうやったら出てくる発想なんだ?」
「すみません。ほんとうなら僕がやりたかったんだけど、この見た目だから、やつらには警戒されてるみたいで。その点、兄さんは目立つし、ほら」
「腕力もなさそうだから、抵抗されなさそうだって?」
ジョスランはわざとらしくため息をついた。「おまえもあくどくなったものだね」
「これも陛下の安全のおんためだよ」
「まさか、ゼッピエラ陛下もご承知のうえなのか?」
「うん。悪いとは思ったけど、こっちのほうが兄さんたちにとっても逆に安全なんだよ。こうやってことが起これば、宮殿の警備ももっと強化できる名目が立つし、やつらも兄さんたちを狙いづらくなったはず」
と、肩鎧の下でむきむきした肩を器用にすくめる。「まあ、膿出しが目的だから、兄さんがおとりっていうのは合ってるよ」
「ふーむ」
ジョスランはきゃしゃなあごに手を当てた。「まあ、たまには弟に貸しをつくるのも悪くないかもしれないね」
「あっ兄上ぇ~、血が出てきました。痛い」
「額がすこし切れてるよ。はやく城に戻って手当してもらわねばね」
ふたりは急に、八歳と十歳の男児のようなことを言いはじめた。
「いきなり棺を投げてくるんだから。ほんとうに怖かった。どうしてあんな意味のわからないことをするんだろう?」
「悪漢というのはそういうものだよ」
まだあっけにとられているアグィネアの手を、ジョスランがそっと取った。「せっかくの興行がだいなしになってしまって、すまなかったね。この埋め合わせはキリアンにさせよう。……さ、城に戻ろうか」
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