2-7.共用金貨3枚ぶんの男

 明るい屋外から一歩なかに入ると、暗さに目が慣れるまでに時間がかかった。


 外から見ても巨大な天幕だと思ったが、なかはさらに広く、中央の舞台をかこむようにすり鉢状に座席が並んでいた。


「こちらにおいで」

 ジョスランに手をひかれ、アグィネアは注意しいしい座席のあいだを進んでいく。その手はさらりと乾いていて意外に固く、ほっそりしていてもやはり男性の手だと思う。


「座席は決まっているんですの?」

「値段で場所が分かれている。よく見える席は金持ちが買う用だね」

「なるほど。椅子を買うのですか。その発想はありませんでした」

 ふり返ってみれば、かりにも一国の姫ぎみであるアグィネア、興行などというものに出かけて鑑賞するのははじめてのことである。

「椅子を買うのではないよ、かわいい人だ」

 ジョスランは笑った。「『席を買う』というのは、興行こうぎょうのあいだ、その座席に座って興行を見る権利を買うという意味だ」

「まあ……そうでしたか」

 ふだんは物知りでとおっているので、アグィネアは自分が世間しらずに思えて、すこし恥ずかしかった。


 じき、開演の時間となった。

 楽隊が神秘的な音楽をかなで、なにがはじまるのだろうといやおうなしに期待させられる。舞台がぱっと明るくなった。芸人たちが松明たいまつを持ってり歩く。

 最初は、顔見せのような歌や女性たちのダンス。そして、演目はしだいにより派手なものとなっていく。

 舞台の上では馬が走りまわり、その上で派手な衣装の子どもや大人が曲芸をしている。人間を的にしたナイフ投げ。巨体の男は、くるくると回していた短剣を取り落とした。客席からどっと笑い声があがる。ぱあんと大きな音がして、天幕の上すれすれまで花火があがる。現実のものか、魔導士のまやかしなのだろうか。


「ほら、ひげの男が美女をまっぷたつにしようとしている」

 ジョスランがささやいた。

「怖いわ。女性はどうなってしまうのですか?」


「手品にはみな、タネがあるのだよ」

 青年は意味ありげにつぶやいた。うす暗がりでもきらめく金髪に、淡い水色の目にどきりとする。アグィネアはあわてて目を舞台にもどした。


 舞台はすすみ、男が剣をふりあげた。女性の胴体めがけて、一直線にふり下ろす。アグィネアが声にならない悲鳴をあげようとしたところで、舞台が暗転した。


「ああ……あの女性はどうなってしまったのでしょう」

 はらはらしながらつぶやくと、ジョスランが「おかしいな」と言う。


「一番の見せ場のはずなのに、明かりを落とすなんて。ふつうならもっとよく見えるように松明を近づける場面のはずだ」


「え?」アグィネアがふり向くあいだにも、舞台上の明かりがまた暗くなり、さらに座席のあいだにある明かりまでもが落とされた。

 なにかおかしい、そう思ったときには遅かった。


 ひゅっ、と風を切るような音がして、顔に冷たい空気を感じた。これは――剣!


 アグィネアは幅ひろの腕輪を籠手こてがわりに顔をかばい、さっと腰を落としてその場にかがみこんだ。王族として身につけている、最低限の護身術である。剣は高く盛った彼女の髪を斬ったらしく、落ち葉のように数筋が空を舞った。


「ジョス! 腰を低く――」

 声をかけながら、すでに王太子が自分とおなじようにかがみこんでいるのを目視した。

(暗殺者! ――殿下を狙ってきたんだわ)

 

 そのあいだにも隣の騎士が応戦をはじめた。

 ジョスランに帯同たいどうしてきた騎士ふたりは、剣の腕では国内で五指にはいる男と聞く。だが、暗闇で、しかも周囲にひとがおおぜいいるような状況では、長剣を取りまわすことはむずかしい。暗殺者は三名。しだいに防戦一手となっているのが、暗いなかでも感じ取れた。


 ひとりで二名の賊に相対していた騎士が、「ぐぅっ」と声をあげて倒れこんだ。生暖かい水のようなものが飛んできて、それが血だとわかったアグィネアは悲鳴をあげそうになる。騎士のひとりが斬られたのだ。傷は――生きているのだろうか? だが、騎士の心配などしているヒマはない。


 のこる騎士はたったひとり。そして残るは、小太りでたいした力もない女だけ。だが、王太子を守らねば。

(彼がこんなところで殺されたら、ドーミアとアムセンとのあいだで戦争になってしまう!)


 思わず腰を浮かしかけたアグィネアの腕を、王太子がつかんだ。


「落ちついて」

 ふだんどおりの淡々とした声がそううながす。「まだしゃがんだままで」


 だが、守る騎士がひとりしかいない状況では、この体勢はたんなる的でしかない。いったいなにをもってこの男は、落ちつけなどというのか。まさか、驚異の護身術でも身につけていたりして?


「アムセン国王リグヴァルトが長子、ジョスラン殿下とお見受けするが、いかがか」

 暗殺者が誰何すいかの声をかけた。やはり、彼を狙っての犯行なのだ。


「いかにも私がジョスラン」

「殿下!」

 アグィネアは真っ青になった。が、ジョスランは動じず、立ちあがって歌うように名乗った。「――グライシーア公爵およびロスカイアン伯爵、ウェイアク伯爵、ツェツェレ男爵――」

 爵位が長すぎたため、すーはーと息つぎする。「アエテア湖の守護騎士にして王の御前会議名誉議長、ジョスラン・リグヴァルト・リググロイアス・リグフラナン……」


 名前、めっちゃ長い、とお思いになっただろうが、おそらくそれは読者諸兄だけであろう。アグィネアは王族なので、居酒屋の黒板に書かれた今日のおすすめ品より長い名前が当たり前のものであったし、暗殺者もなぜか礼儀正しく名乗りを聞いていた。


「では殿下、おそれながらお命ちょうだいつかまつる」

 名乗りを確認しおえた暗殺者が、さっと剣をかまえる。うす暗がりに鈍い銀の刃がぎらりと光った。騎士はふたりの男と相対していて余裕がない。それでも、わが身を犠牲にしてでもというように王太子に近づこうとした。アグィネアもまた、自分を盾にするつもりで彼の前に身を投げだした。


「共用金貨3枚」

 ジョスランがふと、意味の通らないことをつぶやいた。


「私を買収するつもりで? それが殿下のお命の値段ですか?」

 暗殺者はせせら笑った。「じつにお買い得と言わざるを得ませんな」


 ジョスランはその侮蔑ぶべつに、なんら反応しなかった。王太子の前に腕を出したアグィネアは、ふと、彼の長口上は時間かせぎのためだったのではないかと気がついた。



「僕の時給ですよ。待機時間ぶんのね」暗闇から、優雅なる青年の声。


 そして闇を裂くように、紫のいかづちが走った。

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