2-6.お忍びデートと不穏な予感
帝都タリンは祭のにぎわいに満ちていた。
大通りに面した商店は品物を路地にならべ、また簡易づくりの露店がずらりと道をかこむ。暖かな陽気であったから、色つきの氷水などがよく売れている。氷を安価に売ることができるのはもちろん魔女たちだろうが、その恰好は一般人となんら変わらない。めずらしい飲み物で気をひいて、占いや暦を買ってもらおうとしているようだ。
「魔法が身近にあるというのは不思議ですわね」
アグィネアがそう言うと、隣の王太子ジョスランは貴婦人の格好でうなずいた。
「たしかに、わが国では見かけないものだね。生活魔法など、便利なものだと思うが、父は嫌うのだよなあ」
「魔法は不安定なものでもありますから、陛下がお嫌いになるのもそのあたりが理由なのでしょうか」
「そうだね、『あまりに属人的にすぎ、国の基盤とするにあたわない』と言ってらした」
「サロワの現状を思うと、陛下のご
姫は『森の白魔女』と呼ばれる女性のことを思いえがいた。強力な魔導士は人間兵器だというのがアーンソール王の考えなのだろうが、その兵器には意思もあれば恋にも落ちる。持ち主に
アムセンは魔法にたよらず、技術革新と王の統率力、肥沃な農地、工業製品の輸出など多様な強みを持っている。魔法一強のサロワが押されがちなのも、そのあたりに理由があるのだろう……。
考えをめぐらせながら歩いていると、ジョスランが「
「わたくしは……けっこうです。太りますから」
ちょっと
「そうかい? 私は糖分を
姫ぎみのうっくつを気にすることなく、ジョスランは飴を買いもとめ、ぼりぼりとむさぼった。「食事の量を減らすだけではいけないのだよ。適度に栄養をつけないと、筋肉も育たないらしいのだ」
まじめな顔でそんなことを言うので、アグィネアはぱちぱちと目をしばたいてしまう。
「……筋肉がなんですの?」
「筋肉をつけたいんだよ、私は。姫のようにたっぷりと脂肪があれば、筋肉を育てるのもたやすかっただろうになあ」
ほんとうに残念そうに言うので、アグィネアは「たっぷりの脂肪」という
「ああ……腹がくちくなってしまった」
ジョスランは半分以上残る串をかなしげに見つめた。「私はほんとうに食が細くていけない」
「こんなふうに、お忍びで出歩いても大丈夫ですの、殿下?」
アグィネアは(甘味のことは無視して)疑問に思っていたことをたずねた。「陛下からは、安全に注意するようにとご助言いただきましたが……。ディディエさまもご一緒ではないですし」
「うん? いいんだよ」
食べかけの飴を無造作に隣の騎士に手わたしながら、ジョスランは答える。「キリアンの許可も取ったし。……それより、お忍びなのだから『殿下』はいけないよ。ジョスと呼んでくれたまえ」
「はあ……」
お
いくら変装しているとはいえ、かりにも一国の王位を継ぐべき者が、こんな軽挙なことでいいのだろうか……。こんなふうに街を練り歩けば、いずれ人目につく。王太子を狙う者が出ないとも限らない。そんなことも理解できないような男についてきてしまったことに、アグィネアはいまさらながら失望してしまった。
いざとなれば自分の身を盾にしてでも、王太子を守らねば。姫ぎみはそう覚悟した。もちろん愛のためではなく、祖国とアムセンの力関係を考えた上での
(わたくしって、つまらない女だわね)
彼女はちょっとばかり、そう
町ゆく男女の目が、自然とジョスランに吸い寄せられるのを、うっくつした思いでながめる。ふだんの格好でも妖精の王子のような美しさだが、女装姿はまさに絶世の美女だった。となりにならぶ自分は、どう見ても侍女か取り巻きだろう。自分もあの森の白魔女のような美貌なら、王太子のそばにならんでもなんら見劣りせずにすんだだろうに。
町は祭に浮きたち、風が色とりどりの紙きれを運んでくる。遠くに聞こえる楽器の音色はなんだろうか。
「おお、やっている。あれがキリアンに聞いた
ジョスランが浮足立った。「楽しそうだね。
「あの小屋のなかにですか?」
アグィネアは顔をしかめた。「せまくて人も多くて、護衛がしづらそうです。
「だいじょうぶだいじょうぶ」
姫ぎみや騎士たちのうんざりした表情をまったく気にすることなく、ジョスランはすたすたと進んでいく。
歩いて行くと、楽しげな町のなかにもさまざまな景色が混じっていることが見えてくる。露店のおこぼれをねだる子どもたちや、こそこそと路地に集まる浮浪者たち。数名が言い争う声が姫の耳をとらえる。
多様性は活気や
神経をとがらせながらすすんでいくが、なにごとも起こらず、ふたりと護衛たちは興行小屋までたどり着いた。
(わたくしの心配しすぎだったのかしらね)アグィネアは小さく息をつく。
かなり大がかりな興行小屋である。色とりどりのはぎれでしたてられた巨大カボチャのような形の天幕だ。二階建てくらいの高さはあるだろうか。祭の目玉となるようなもよおしのようで、小屋のまわりはとくににぎわいが目立った。子どもたちが親に入場をねだっている。
「さ、入ろう」
一行は小屋のなかに入った。
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