2-4.襲来! 巨大レタス

 ドーミアの春の大祭は、大陸中から観光客があつまる一大イベントである。現世の利益を重んじる「富める女神教」は魔法と共存しているため、魔導士たちの晴れ舞台のひとつでもあった。


 国を挙げての一大イベントとなれば女皇帝とその夫も大忙しであろうことは、想像にかたくない。皇配キリアンは服を着替え、女帝とともに謁見えっけんの間に降りてきた。


 式典のための服装は、いかにも女王の配偶者にふさわしい黒と金の典礼服で、そこにドーミア風の鎧飾りが模してあった。キリアン本人は、たんにまじめな顔をしているのだろうが、いかつい造りなので敵軍を前にした勇将のように雄々しかった。まわりをかこむ騎士団が、また肉々しい。キリアンに負けずおとらずの筋肉集団である。


「『春のおでかけコーデ♡ 今日はこれから隣国を侵略する予定。動きやすさのなかにもドレッシーなスタイルで気分もアガる!』みたいな感じですね」

 とは、パトリオの評。

「ああいう服のほうが似合うのに、なんでわざわざ女装するかな。性癖って意味がわからないですね」

 ルルーが率直な感想をのべた。


 女皇帝をエスコートし、騎士団に号令をかけ、あいさつを読みあげるキリアン。その様子を間近にながめては、羨望せんぼうのため息をついている女性がいた。皇配殿下の性癖をまだ知らない、コラールの姫ぎみアグィネアである。

 隣のジョスランにくらべて、彼がいかに凛々しく頼れる夫に思えたことか。


 大国に囲まれた小国の姫である彼女は、王家と自分の役割というものを完璧に理解していた――婚姻というおだやかで確実な方法で、国に益をもたらすこと。豊かだが小さな国にとって、賢さをもって協力しあうことが国是モットーともいえた。

 とはいえ、平凡な結婚への夢がないわけではなかった。おたがいを理解しあい支えあう両親を見て育ったので、自分もそんな結婚ができたらという思いもあった。しかし、輿入れ準備のためにアムセンに入った彼女が聞かされたのは、王太子ではなく三男王子との結婚という変更だった。しかも、その三男にはすでに恋人がおり縁談を断られるという始末。


 これを侮辱ぶじょくととって同盟を破棄はきすべきかどうか、父母は考慮のすえ「様子を見るように」との命令を娘に送ってよこした。「アムセンの次期王位継承権が混乱しているのであれば、わが国にとっての益が発生する可能性もある。状況をよく見極めるように。おまえの賢さに期待している」と。


 賢さ……。たしかにそれはアグィネアの唯一のとりえと言えた。当意即妙とういそくみょうの会話もできるが、より得意とするのは情報収集であった。小太りで地味な女は、どこに行ってだれと話してもたいして注意を払われることがない。身分を生かしてどんな場所にも出入りできる最高の密偵スパイにもなれる。そういうわけで、彼女がジョスランに着いてきたのも、まったくの無計画というわけではなかった。


 アグィネアは、たとえ婚姻が破談となったとしても、あれこれと理由をつけてアムセン王宮に居座り、母国のために情報を集めるつもりだった。母国は小さな舟であり、全員がそれぞれの役割を果たすことが求められていた。それが歯車としての自分の役割だと信じていた。


 そういうわけで、彼女はジョスランをさそって、控えの間にもどった皇帝夫妻に会いに出かけた。未来の夫は「弟たちにはさっき会ったし、城下町に祭を見に行きたいなあ」と言ったが、姫にとっては皇族とのつながりのほうがはるかに重要であった。


 それなのに……。


 目の前にくり広げられている光景に、アグィネアは世界の正気を疑った。巨大な萵苣レタスが女皇帝を襲っていたのだ。


「僕、閲兵えっぺい式の統率なんてムリですぅ……。元老院から、またイヤミを言われるんだ。腕の角度がどうとか会場にチリが落ちてたとか、『殿下のお国では雑巾ぞうきんをタテにかけるんですねえ』とか言われるんですぅ。やだぁやだぁ」


 彼女が『襲来! 巨大レタス』だと思ったのは、蛍光グリーンのドレスを着たキリアンが、女皇帝のひざにすがっておいおいと泣いている姿だった。


 なに、この……なに?? 

 アグィネアは儀礼も忘れて立ちつくした。隣のジョスランはあいかわらず、感情の読めない笑顔を浮かべている。


「よしよし。わが背のきみよ、泣くでない」

 可憐な女皇帝は、巨大レタス……もとい、キリアンのもりもりとたくましい背中を撫でてやった。巨大レタスにつつまれた武骨ぶこつな筋肉は、高熱にうなされたときに見る悪夢のようなインパクトがあった。

「元老院にいじめられたら、ちんがガツンと言うてやる。心配するでない」

「ほんと? ほんとにほんと?」

「朕は約束を守る女じゃ」

「えへへー、陛下だいちゅき」

「うむ。朕もだぞ、背のきみよ」


 そしてふたりは、周囲が目に入らないとでもいうようにイチャつきはじめた。

 ラブラブ。ラブラブ……?


「なんですか、この……なに?」

 アグィネアは思わず、心の声をそのまま口に出してしまった。彼女にしてはたいへんめずらしいことである。


「弟はね、ああいう見た目だが女装癖のあるドMでね」

 なんら弟をかばいだてすることなく、ジョスランが暴露ばくろした。「ゼッピエラ陛下はたいへん包容力があられる。夫婦仲も良好なようで、なによりだね」

「夫婦仲で説明できることがらでしょうか、これは??」


「背のきみ。お兄君とアグィネア姫がいらしたようだぞ」

「あっ兄さん」

 キリアンは妻のひざから顔をあげ、涙で赤くなった目もとをふいてしまりない笑みを浮かべた。「恥ずかしいなぁ、こんなところを見られるなんて」


「そこまでがプレイの一環だろう? 私たちにかまわず、続けてくれてよいよ」

 ジョスランはにこにこと続けた。


「そうだ兄さん、警備上の打ち合わせがあるんだけどね」と、キリアン。

「かまわないよ。ディディエと騎士たちを連れてこようか?」

「それは僕からまとめて伝達するほうがいいかな。まずは兄さんに話を通しておきたくて」


 アグィネアは礼儀も忘れて、未来の夫と義弟になる男を凝視ぎょうしした。巨大レタスが紙ばさみを手にてきぱきと打ち合わせをしているのは、なんとも奇妙な眺めであった。


「驚いたかの? コラールの姫ぎみ」


 女帝にそう問われ、アグィネアははげしく首をふった。「とんでもないことでございます、陛下」


「とりつくろわずともよい。みな、最初に目にしたときにはおどろくのだ」


 女帝はあれこれと話しかけてくれたが、アグィネアはほとんどぼうぜんとしていて、かんじんの情報収集も常のようにはいかなかった。なに、この……なに??(三度目)


――あなたの夫はなぜ女装を? そしてさっきの幼稚ようちな態度はなに? ほんとうに、皇配があんな男でよいの?


 アグィネアの頭にはこのような疑問が浮かんだが、もちろん相手は女帝であり、にわかには尋ねられないことであった。


――こんなところまでのこのこ着いてきてよかったのかしら。わたくしはなにか、おおきなまちがいを犯してしまったのかもしれない……。


 彼女のなかでしだいに疑念がうずまきはじめ、そして不安は最悪の形で的中することになる……。

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