2-3.第二王子キリアンの不運

 アムセン王リグヴァルトの第二王子、キリアンの不運は、祖父である勇猛ゆうもう公エデルブレヒトに似ていることであった。氷河が削られたような峻厳しゅんげんな目鼻立ち、なにより公そっくりの、が入った薄いハシバミの瞳。敬愛する父に似たわが子を、リグヴァルト王はことのほかかわいがった。


 病弱な兄のかわりに立太子される可能性があったため、幼少期よりきびしい教育を受け、大きなプレッシャーのなかで育った。兄ジョスランがやまいせっているときにはかわりに帝王教育を受け、弟ジェイデンが庭で犬たちと駆けまわっているときにも、ディディエから剣の訓練を受けていた。


 教育の成果と言おうか、キリアンはまじめで優等生タイプの王子に育った。つねに兄弟と比較され、優秀であると褒めそやされていたが、なかなか自分に自信を持つことができなかった。


「兄上のかわりに、もっと勉学にはげまなければ」

「弟の手本となるよう、僕が立派な剣士にならなければ」

 それが、キリアンの行動原理だった。


 賞賛されればされるほど、いっそう強迫観念にかられるように、勉学や武術に打ちこんだ。ところが、キリアン十五歳のときに事件が起こった。初めての狩りで森に分け入った際、偶然をよそおった何者かに矢を射かけられたのである。


 少年の影を獲物の動物と見あやまったとして勢子せこが処刑されたが、その証言には不自然な点が多かったと当時の記録に残る。小柄なジョスランならともかく、当時のキリアンはすでに大人とみまごう体格で、動物とまちがわれるとは考えにくい。第二王子の台頭をあやぶんだ王太子派の貴族の誰かが背後にいたのかもしれないと、宮廷ではささやかれるようになった。


 さいわい矢は肩のあたりをかすめただけに終わったのだが、ショックを受けたキリアンはしばらく、寝台から離れられなかった。


「ああ、私が病弱なばかりに、おまえには迷惑をかけるね。キリアン」

 兄は寝台のそばを訪れて、そう声をかけた。


「だけどおまえにも原因はあるのだよ。私とちがって健康で、しかもお祖父じいさまに似ているのだから、貴族たちもおまえの立太子を期待しはじめている。なにしろ私は病弱だからねえ」

 ごほんごほんとわざとらしくせきをして、こう続ける。「せめてこれほど優秀でなければ、政敵にねらわれたりもしなかっただろうにねえ。かわいそうなキリアン」


 兄の発言はいつもの自己中心性から出たもので、他意たいはなかった。だが、その言葉はキリアンのなかにいかづちのようにとどろいた。


「僕が優秀だから、命をねらわれるの? 兄上とジェイデンと、父上と母上と国民のために努力してきたのに、そのせいで殺されてしまうの?

 そんなのってひどいよ、そんなのってあんまりだよ」


 その日を境に、キリアンはぽっきりと心が折れてしまったのである。


 あいかわらず勉学も武術もまじめにこなしていたが、どこか心ここにあらずな調子になってしまった。ひと一倍男らしさを求められた反動なのか、夜になると母のドレスを着て王宮内をうろつくようになった。女性らしい目にやさしい色合いや、ふんわりした布地の感触が、少年の固くてついた心をなぐさめてくれる気がしたのかもしれない。が、それはあとからの想像でしかない。


 祖父に似た屈強な体格の少年の女装は、あまりにも目立った。


 発見した母は激怒し、父は困惑した。兄はおもしろがって真似し(腹立たしいことにおそろしいほど似合っていた)、貴族たちからもひそひそと後ろ指をさされる。味方になってくれたのは教師のディディエだけだった。


「お父上もお母上も、みながあなたに期待し、あなたの頑張りを当然だと思ってきた。お疲れになって当然です」

 その言葉は青年の苦悩を完全に理解していたわけではなかったが、それでも唯一、心なぐさめられるものだった。


 雨の中庭で子犬を抱きしめて涙に暮れていると、ジェイデンがやってきてドレスの背中をさすってくれた。弟に気をつかわせたことが心苦しく、このようなみっともない姿を見られた恥ずかしさもあいまって、キリアンはおんおんと声をあげて泣いてしまった。……


 ♢♦♢

 


「……という、過去がありまして……」


 ドレス姿のまま、きちょうめんに告白するのは、現在の皇配殿下キリアンである。ふんわりしたフューシャピンクのドレスがみっちりした筋肉を包みこみ、なんというか、視覚的な暴力の様相ようそうていしていた。しかも、高価な布地を節約するためなのか、露出が意外に多いところがまた暴力的である。


 その隣には可憐な女皇帝が座り、うなずきながら笑顔で聞いていた。まるで昔の夫が、おねしょがなかなか治らなかったとか試験問題でカンニングして怒られたとか、そういうほほえましい昔話を聞いているような風情ふぜいであった。


 そして彼らの前に対面する形で、ルルーとパトリオが座っていた。のぞき見していたところを見つかったもののとがめられることはなく、ふつうに招きいれられた形である。


「あの、その話、私らが聞いていいので???」

 パトリオは正直いってドン引きだったが、いちおうの礼儀としてそう尋ねた。こんな国家機密級のスキャンダルを軽々けいけいに知りたくはなかった。屈強な見た目の皇配殿下が、じつは夜な夜な(?)女皇帝にしいげられてよろこぶドMだったなんて。(ジョスランのくだりは、あの王太子ならそれくらい言いかねないと思ったが。なにしろパトリオも、短いあいだではあったが家庭教師としてまぢかに接する機会があったもので)


「かまわぬ」

 女皇帝が答えた。「わが宮廷ではすでにひろく知られた事実じゃ」


「そうなんですか???」ますます疑問符が大きくなるパトリオである。



「あっ、キリアンがまた女装している」

 気楽に入ってきたのは、うわさをすれば(?)、王太子ジョスランだった。キリアンの性癖にとって、いうなれば諸悪の根源なのだが、そういう反省はちらとも彼の顔に浮かぶことはない。

「私もたまには着ようかな~」

 と、うきうきした様子で言った。毛虫にも慈愛のまなざしを向ける姫ぎみみたいな顔をしているが、この王子、かようにずぶとい性格なのである。


「お好きなものを召されるとよい」

 ゼッピエラはおうようにうなずいた。「朕はまったくかまわぬ」


「器が大きいぃ……」パトリオのつぶやき。


 大魔導士ルルーはすでに、皇配殿下の性癖に興味をうしなったらしく、窓のそとをひらひらと飛ぶシジミチョウのほうに気を取られている様子だった。



「さ、背のきみ。そろそろ大祭の準備に行かねば。内務卿が待っておるぞ」

 女帝に優しく声をかけられ、キリアンは「もうそんな時間ですかぁ」と甘ったれた声を出しながらしぶしぶと立ちあがった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る