1-7.駆け落ちなんてどういうつもり?
「ン?」
ルルーはぱちぱちとまばたきしてジェイデンを見、隣の小柄な男を見た。「ジョスラン殿下ですか? これは失礼を」
そしてようやく礼儀を思いだしたというふうに軽く礼をとった。
「〈思慮ぶかき光の塔〉理事を務めております、ルラシュクと申します。サロワの筆頭宮廷魔導士も拝命しておりまして」
〈光の塔〉に所属する大魔導士は、一国の王に対してさえ膝を折る必要はないとされている。そのため、ルルーのこの簡易的なあいさつも礼儀にのっとったものだ。
「なーんだ、『殿下』なんて言うから、ジェイデン王子のことかと思っちゃった。てっきり、もちまえのコミュ力で各国の姫ぎみを千人斬りしてるものだとばっかり思ってたけど、ちがうんですね。ざんね……いや、失礼」
ルルーはしらけた顔で勝手なことを言った。「じゃ、僕は出張の準備もありますので、これで」
来たときとおなじく嵐のように去っていく大魔導士を、一同はあっけにとられて見送った。
「で?」
まだ不機嫌な調子のまま、ジェイデンが兄に向きなおった。「事情を説明してもらおうか?」
室内に残るのはジェイデンとスーリ、それに兄ジョスランと隣の姫ぎみ(護衛の騎士たちは空気)。ふた組のカップルが向かい合う形となった。ジョスランはさっそく、姫ぎみを一同に紹介した。
「アグィネア姫はね、ジェイデンの婚約者だった女性でね」
ジョスランは楽しくてたまらないというように声をはずませた。「スーリ殿は、高貴な女性にははじめて会うのかな? 他国の王族に会ったときの礼儀は、サロワ王に習わなかった?」
その名前を出されると、とっさには反応できない。スーリは身体を固くしてしまう。
「どうしてそういういやがらせをするんだ、兄さんは」
ジェイデンがめずらしく鋭い目でたしなめた。「亡命してきた国の主導者の話を彼女が嫌うことくらい、わかっているだろう」
「おまえが怒るところをひさしぶりに見たなあ」
ジョスランはにこにこしている。「無礼は許してくれるね、スーリ殿? なにしろ父親の愛というものを知らずに育ったものだからね」
「そのネタを免罪符にするのはよせ」ジェイデンはまだ怒っている。
「おお、弟が怒ってしまった。アグィネア姫、私をなぐさめておくれ」ジョスランはおおげさに腕を広げて、姫ぎみに近づく。
スーリは……、このジェイデンの兄が苦手だった。彼がスーリの家をはじめて訪ねたおり、ジェイデンの敵であるかのようにふるまい、眼球や指のおもちゃで彼女を怖がらせたのは記憶にあたらしい。実際にはもちろん演技だったわけだが、この王子には嘘やはったりをそう思わせないところがある。どこか非人間的というか、温かみが感じられないというか……。彼はリグヴァルト王の実子ではなく、朋友のフィリップ伯と王妃とのあいだの息子と言われている。そのことが、彼のどこかうつろな人格を形成したのかもしれないが、それは勝手な想像である。
「そもそも、駆け落ちなんてどういうつもり?」さらに問うジェイデン。
「ん? 城に手紙を置いてきたんだけどな。おまえのところには回ってこなかったか?」
「まだ来てないし、そんな重大事、兄さんの口から聞きたいよ。王宮はいまごろ、山火事に遭った動物たちみたいに大騒ぎだろうに。どういうことなんだ?」
その言葉にジョスランは、無邪気な貴婦人のように首をかしげた。
「どういうことって、おまえ……。アグィネア姫と結婚しようと思っているんだよ。駆け落ちというのは、そういうことだろう?」
「結婚……」
隣で聞いていたスーリが、あっけにとられてつぶやいた。「でも、アグィネア姫はジェイデンの婚約者なのでは?」
「それはちがう。このあいだ王都に戻って、正式に王にお断りしてきたからね」とジェイデンが口をはさむ。
「そうなんだよ。スーリ殿。お断りしてきてしまったんだ」
ジョスランはやれやれというふうに首をふった。
「王太子との婚姻という条件で
スーリの反応を見るでもなく、さらに続ける。
「アグィネア姫は毎日、
「そんなことはしておりませんけど……」アグィネア姫が困惑ぎみに口をはさんだ。
「それで姫を連れだしたのか?」
ジェイデンも困惑して尋ねた。「だとして、コラールとは逆方向だけど」
「話のわからない子だな、わが弟は」
王太子はやれやれといったように首をふった。その笑顔がまた腹が立つ(スーリの評)。
「駆け落ちしてきたと言ったじゃないか。私はね、ジェイデン、姫の魅力にすっかりとりこにされてしまったのだよ」
「兄さんが、アグィネア姫を……?」
ジェイデンはまだ疑わしそうな顔をしている。「……っていうか、兄さんにそういう感情があったのか?」
「ははは」ジョスランは快活に笑った。
なにか裏があるのでは? というジェイデンの様子に、スーリもぴりっとした緊張を感じた。
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