1-8.すべすべもっちり
「だいたい、アグィネア姫の肖像画を見たときにはぜんぜん興味をしめしてなかったじゃないか。あれこれと難をつけてさ。それで父さんも、王太子との婚姻は難しそうだと判断したと母さんから聞いたけど」と、ジェイデンが警戒を見せた。
「おお、絵描きなどという
ジョスランはまた「やれやれ」のポーズになり、ジェイデンは姫ぎみを見てから、言いづらそうな顔をした。
「たしかに、その、肖像画とはすこしちがうかなと思うけど」
「はっきり言ってくださればよろしいのです!」
アグィネア姫がいきなり、涙声で割ってはいった。「きらびやかな肖像画とは似ても似つかぬ、ちんちくりんで小太りの醜い女だと。あれは宮廷画家がそうとうに盛ったのです」
「いや、そういう意味では……」ジェイデンがめずらしくしどろもどろになった。
ジョスランが近づいていって、姫のまるい肩を抱いてやった。
「なにを涙にくれることがあるのだ、かわいいひとよ? 私はきみの美しさのとりこなのだから、なにも心配することはないのだよ」
「……」
ジェイデンは微妙な顔になった。兄は目的もなく嘘をつく悪癖があるのだ。姫の魅力のとりこなどという言葉が真実かどうか、確信がもてない。肖像画のアグィネア姫はごく一般的な王族の美女だった。目の前にいる女性が美女でないとは言うつもりはないが、すくなくとも絵からかけ離れているのは事実だ。とくに、体型が……。
「宮廷詩人のかわりに私がその美をたたえよう。ああ姫よ、すべすべもっちりしたアヒルのような愛らしさ」
弟の疑念も知らず、兄は歌うように美辞麗句をのべる。
「たしかにアヒルは、すべすべもっちりしてかわいいわ」スーリがよけいな相づちを打った。
「お会いしてからずっと、王太子殿下はこの調子なのです。『高く積まれたパンケーキのごとき
姫がげんなりした顔で言った。
「……そうなんですか?」
ジェイデンはまだ疑問がつきない。なんというか、それは……いつもの兄らしい、
「ですが、ジェイデン王子から縁談をお断りされてしまったのは事実。女性としての魅力に欠けるわたしを、このように好いてくれる殿方がこの先あらわれないのではと思うと……つい断りきれず、デートの名目で外出したところ……」
「……ここまで連れてこられてしまった、というわけか」
なんだか気の抜ける現実だ。王都では、王位継承者の駆け落ちなどというスキャンダルに天地がひっくり返っているにちがいないが、その実は、たかがこれだけのことなのである。とはいえ、ジェイデン自身にも責任がないことではなかった。姫の言うとおり、自分が彼女との縁談を断ったのは事実なのであるから。
さて、どう対処したものか。時間はあまりない。ジェイデンは思案の表情になった。
♢♦♢
その後、屋敷のあるじであるヘクトルもやってきて、ふたたびの事情説明とあいなった。ここロサヴェレには馬や必要物品の補給のために立ち寄っただけで、明日にはすぐ出立するつもりだとジョスランは説明した。夕食の席である。
「ドーミアへ行くつもりなんだ。せっかくの駆け落ちだからね、弟夫婦の顔でも見てこようかと思って」
「『せっかくの駆け落ち』って……。小旅行じゃないんだぞ」
ジェイデンはまだ不機嫌なままだった。兄のせいで迷惑をこうむることには慣れているつもりだったが、腹立たしさが薄れるわけではない。スーリとのいいところを邪魔されたのもいらだちの一因ではある。
「お疲れでしょうから、もうすこしのんびりされては? ロサヴェレにも観光スポットはたくさんありますよ」
ヘクトルがやんわりとすすめたが、王太子は笑顔のまま、
「そう言って私をここに引きとめて、王都からの追っ手に運よく引き渡せれば、母上にも恩が売れるという考えかな?」と言う。
「まさか、そのような……。差し出た口をきいたようですな。申し訳ない」
すっかり恐縮しきっている伯爵を横目に、ジェイデンはまたため息をついた。わざわざ王妃にたてついてジョスランを隠し立てしたところで、ヘクトルにはほとんどなんの利益もない。それを、こんなふうに裏があるように言っても相手が困惑するだけだ。十歳の子どもでもわかるような政治の駆け引きが、この兄にはわかっていない。というか、兄に
「タリン(ドーミアの首都)まで、僕たちがごいっしょしてもいいですよ」
パンをちぎってソースにひたしながら、大魔導士ルラシュクがそう提案した。「それなら伯爵もご安心でしょうし、いろいろ名目もたつでしょう」
思わぬ助け舟に、ヘクトルも「おお、それは」とうなずきかけたものの、「しかし……」とためらう風情になった。
ジェイデンには伯爵の不安がよくわかった。ジョスランと姫ぎみが供づれもなくドーミアに向かうより、魔導士たちと行動をともにするほうがずっと外聞が良い。今はドーミアで祭の時期でもあり、その観光という名目も立ちやすくなる。王妃に対しても、ただジョスランたちを通りすがらせただけではなく監視と護衛をつけたということで、一定のはたらきをアピールできる。ただ、〈塔〉の建前は政治的中立を掲げているが、ルラシュクは隣国サロワの所属である。王太子の身の安全が気にかかったのだろう。
弟につづき思わぬ助け舟を出したのは、スーリだった。
「わたしがここにいますので、ルルーも安心してごいっしょできると思います」
その言葉に、伯爵はほっと
世間知らずを自任しているスーリがこのような気づかいを見せたのが、ジェイデンはひそかにうれしかった。
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