1-5.ルルーとぽっちゃりぎみな姫ぎみ

 ところかわって。


 厨房ちゅうぼうを出たルルーは姉のところに行こうとしたが、けっきょく考えを変えて、庭に向かった。せっかくお菓子を持っていっても、あの王子が先を越していると思うと、おもしろくない。

「あの、最初から仕組んでたな」

 今になって気づいて歯噛はがみしても、もう遅い。腹立ちまぎれに足もとの草を踏みつぶすが、平べったく広がるタンポポは蹂躙じゅうりんをものともしない風情だった。幾何学きかがく的に刈りこまれた美しい庭を、ルルーはいらいらと歩きまわる。


 さきほどまでの、ディディエとの腹立たしい会話……。


――彼女の幸福が、ジェイデン王子とともにあることだと?


 姉について彼が確認してきたことが、ルルーの頭にこびりついている。


 ジェイデンが姉にふさわしい男かどうかは考えないようにしているが、すくなくともあの男といっしょにいるときのスーリが以前とはちがっているのは、ルルーの目にもあきらかだった。


 サロワにいた頃の姉は……いかにも自信なさげでおどおどしていて、魔女としての自分をまったく受け入れられていないように見えた。じつのところ、アーンソールが姉にについて、ルルーははっきりと聞いて知っていたわけではなかった。だから最初のころは、なぜスーリがあんなにもあの騎士におびえているのかわからなかったし、姉の様子にいらだちをおぼえることもあるくらいだった。


 いまでも姉は当時のことについて積極的に語ろうとはしないが、大公の城で起きていたできごとについてはおおむね把握はあくしていた。貧しい村に生まれようが貴族の城で生活しようが、美しい女に与えられる運命が過酷なものであることをルルーは理解した。


 姉をかわいそうに思い、アーンソールを憎む気持ちはもちろん強かった。だが、それよりもルルーがおそれていたのは、姉が母ルドヴィガのようになってしまうことだった。男性へのはげしい怒りと憎しみで破壊の魔女となり、世界をほろぼしてしまうことだった。


 だからこそ故郷からの亡命にも賛成したし、できるかぎりの援助もしてきた。しかしスーリはけっきょく、アーンソールのもとから離れても、べつの王子に捕まってしまったことになる。ただたしかに、ジェイデンといるときのスーリは落ちついていて穏やかで、しあわせそうと言ってもいいように見えなくもない、気がしないでもない……。


「だけど、王子と魔女なんて。ぜったいに、うまくいきっこないんだ」

 ルルーはうす暗くつぶやいた。「なのになんで僕は、あんなこと言っちゃったかな」


 もの思いにふけりながら、レモンの木のあたりを通りがかっていると、前からばたばたと走ってくる女性にぶつかった。刈りこまれた木が障害になっていたので、気づくのが遅れたらしい。

「おっと」

 手を出して女性を支える――ことができればよかったのだが、ルルーは非力な青年なので、ふつうによろめいた。

「す……すみません」女性はあわてて謝罪した。


「いえ」

 ルルーは不機嫌さを表に出さずににっこりした。女性が、いかにも高貴な身分を示すような服装だったからである。ここはホレイベル伯爵の屋敷であり、庭をおとずれる貴人も多いのだろう。見ると、たっぷりと布地を使った高価そうなドレスだ。当の女性は横幅がしっかりしたふくよかな体型で、なるほどルルーがバランスを崩したのもうなずける重量感である。


(王都風の最新流行のドレスに、栄養状態のよさそうな体型。どこぞの有力領主の奥方か、ドーミアに山ほどいる旧家の姫ぎみってところかな)

 ルルーはそう予想を立てた。


「あわてておられましたけど、なにかお探しで?」

 社交辞令の延長で、そう尋ねる。女性はなおもきょろきょろしながら、あいまいにうなずいた。その世間知らずな様子から、ルルーは彼女が奥方というよりやはりどこぞの姫ぎみだろうと推測した。


「あの……庭で待ち合わせるという約束だったのです。でも、いらっしゃらなくて……」

 姫ぎみは手をもじもじとさせ、背後に侍女を探すような顔つきになった。見ると、ほほに水滴が。泣いていたのだろうか?

 ルルーが服のかくしをあさってハンカチを差し出すと、姫ぎみは礼を言って顔をぬぐった。

「待ち合わせですか?」

「ええ。殿下がここにいらっしゃる予定で……」

殿?」

 ルルーは力を込めてくり返した。この国には、陛下と呼ばれる男がひとり。殿下という呼称は、その妻である王妃と息子たちにだけ与えられたものである。そして、ここロサヴェレにいる息子といえば――……


「王子殿下。あの男ですね」


 ルルーは能面の表情になった。「姉さんというものがありながら、よその姫ぎみを泣かせるなんて。僕もちょっと温情がすぎたかな」


 怒りのあまり全身からぱりぱりと雷を出しながら、ルルーはつぶやいた。


「……? あの男というのは……?」と、姫ぎみ。


「いまおっしゃらなくてけっこうですよ。あなたの涙の理由を、あの男のまえで、逐一ちくいち説明していただきますから」

「あの、わたくしべつに、泣いてなどはいません。これは汗で、恥ずかしながらわたくし太っておりますので――」


 姫ぎみはそう説明しかけたのだが、ルルーは有無をいわさずに彼女の手をつかみ、邸内をずんずんと進んでいったのだった。


「あの粗〇〇男、××××がちぢこまって見えなくなるまで※※※してからショッっと切ってやるからな」

 

「あの――いったいなんとおっしゃって?……」


「お気になさらず。怒りが限界を超えると、死んだ母親が憑依ひょういする体質なもので」


「まあ。それはお気の毒に」


 ふたりは周囲の好奇のまなざしを受けながら、邸内のしかるべき場所に向かった。

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