1-2.ディディエVSルルーふたたび
菓子ができあがると、オスカーとパトリオはさっそく試食すると言って庭のほうへ出ていった。ジェイデンも別方向にいそいそと出ていく。
「あっ。先を越されそう」
ルルーは舌打ちして、菓子の入った袋をつかんで立ち上がった。ジェイデンより先に、姉に自分の作った菓子を食べさせたかったのに、と顔に書いてある。
「まったく、足だけは速いんだから。でも僕にだって高速移動があるし」
そう言って魔法を発動しかけたルルーを、「ルラシュク殿」と呼ぶ声が引きとめた。
「なんです? 見てのとおり、僕いそがしいんですけど」
愛想悪く告げるが、声の主ディディエは動じた様子もない。できあがった菓子を皿にとりわけながら、すました顔で、
「私にお話ししたいことがあるのではないですかな」と言った。
「話したいこと? べつに? ありませんけど?」ルルーはけげんな顔だ。
「おや、そうですか」
ディディエはさらに茶器を出してきて、お茶の準備などはじめた。
「お姉ぎみとジェイデン殿下との結婚に、反対でいらっしゃるように見受けましたが」
このタイミングで、いったいなにを?
巨体に似合わぬすずしげな手つきで茶器をならべているディディエを、ルルーはうさんくさそうに見やった。
「そりゃ、もちろん、そうでしょ。王族なんかと結婚しても、しあわせになれないのが目に見えてる」
ルルーは続けた。「いまだって、なれないマナーに、ダンス講習にって連れまわされて。かわいそうで、見てられない」
「それならば、私とあなたの利害は一致していることになる」
ディディエの言葉に、ルルーはぴたりと足を止める。「……それは、まあ、そうでしょうけど」
ディディエはたたみかけた。
「身の
「はぁ? 『身の丈に合わぬ努力』? 姉さんはあなたなんかよりはるかに強大な魔女ですけど??」
ルルーは身体をこちら側にむけて、毛を逆立てた猫のごとく臨戦態勢になった。それはディディエの見こみどおりに。教え子のジェイデンなら、こうもあっさりと餌に食いついてはくれないので、青年の単純明快さはディディエにはほほえましく映った。もちろん、おくびにもださない。
「魔法の大小の話はしていません。王族の配偶者にもとめられる資質についての話です」
ディディエはすずしい顔のまま、ポットに手をふれて温度をたしかめ、茶葉を蒸らした。
「あっそう。ふうん」
ルルーは薄墨色の目を細めた。うたぐりぶかい猫のような目だ。
「お茶はいかがですか? サロワではあまり、茶は飲まない文化と聞きましたが」
「けっこう」ルルーは好戦的にことわった。
「では、失礼して」
ディディエはひとりぶんの茶を用意し終えて、テーブルに着いた。目の前には紅茶と、できたばかりのカンノーリ。
「あなたが結婚に反対しているのは、姉さんが平民の孤児だから? それとも魔女だから?」腕を組んでこちらをねめつけながら、ルルーが問うた。
「どちらも、とも言えますし、それらはさまつな問題とも言える」
ディディエはクリームのたっぷりつまったカンノーリを優雅につまんだ。「殿下と結婚なさる女性に必要なものは美貌と教養、相応の社交性、家柄のふさわしさ、王族の一員としての責任ある立ち居振る舞い、健康で多産が見込めること。これらの点を満たす女性は、ごく限られています。スーリ殿がそのなかに入らないからといって、彼女の責任ではない」
「そりゃけっこうですね。さっさとリストどおりの姫ぎみを探してきたらどうです?」
「チェックリストと結婚できれば、いちばん良いのですが」
ディディエは嘆息してみせた。「条件ぴったりの姫ぎみを、殿下みずからお断わりになっている。あなたのお姉ぎみのせいで」
「なにそれ? あのバカ王子が姉さんに
「ですが、プロポーズを
「姉さんは世間知らずだから、あの王子にいいように言いくるめられてるんだ」
「弟のあなたが目をさまさせてさしあげては? 元魔女に平穏な結婚は望めないと。分不相応な相手ではなく、身の
「魔女が平穏な結婚をしちゃいけないんですか? それって、あなた自身にも言えることでは?」
「われわれは一般人にはない力をもち、その能力で戦争の勝敗さえ左右してきた」
菓子くずも落とさずに優雅に、ディディエはカンノーリを口に運んだ。「言うなれば一個人ではなく兵器だ。そして兵器として、多くの人々の生を奪ってもきた。そういう魔女たちが、平凡な幸福を望むのは筋違いでしょう」
「あなたが過去を反省して自虐的に生きるのはけっこうですけど、それを僕や姉さんに強要しないでくれます?」
ルルーは組んだ腕をほどき、自分の手を握ったりひらいたりして言葉を選んだ。「姉さんは自分たちの運命を変えるためにサロワを出たんです。あらゆるリスクを背負って――このあとの人生を幸福に生きるために」
「……その幸福が、ジェイデン王子とともにあることだと?」
ディディエはくろぐろとした目を向けて尋ねた。
「……幸福?」
大魔導士とも呼ばれている青年は、ぐずぐずに煮えた野菜を前にした子どものような、露骨な嫌悪感をこめてくり返した。
「そりゃあ、あのバカ王子のことなんかちっとも好きじゃないですし、顔が良くて口がうまいってだけで世を渡ってる陽キャだし、都合のいいときだけ王子の身分を利用してるとこが
と、ひとしきりまくしたててから、青年は沈黙した。
そしてこの世のなにもかもが気に食わないという顔をして、しぶしぶと言った。
「でも姉さんは、どんな最大級のしあわせにも
♢♦♢
「仕組まれましたな」
ぷいと肩をいからせてルルーが出ていくと、そう声をかけてくる者があった。深みのある中年男性の声だが、ずいぶん低い場所だ。
「サー・ダンスタン」
黒炭のような指をふきんで拭いながら、ディディエは答えた。「なんのことでしょう」
「ジェイデン殿がスーリ殿と会う時間を邪魔されないように、弟殿を引きとめた。しかも、わざと結婚に反対してみせてルルー殿をたきつけ、ふだんの言動と真逆の主張をさせた。ああ
「ふふ」
ディディエは肯定をしめすようにほほえんだ。「あまり過保護にするなと、陛下には叱られるのですがね。こればかりは、
過保護といえば、とディディエは思った。「私もそうですが、ルラシュク殿のお姉ぎみへの過保護もたいしたものですな」
ダンスタンはガチョウの白い首をややかたむけて、考える調子になった。
「なみはずれた力をもっていても、ルルー殿はふつうの青年でもある。彼らは過酷な運命を、たったふたりで乗り越えねばならなかった。彼らはたがいに姉と弟でありながら、たがいにとっての父母の役割も果たしていたのでしょう。父兄のような過保護さは、そこに由来するのではなかろうか。……ですが、彼は前途ある、良い青年なのですよ。貴殿がそのように扱ってくださると、
「もちろん、そういたしましょう」
ディディエはそう答えてから立ちあがって、ダンスタンのおやつ用にオレンジを切り分けた。
「オレンジにクリームをすこし乗せましょうか?」
「いただこう」
そして二人はしばしの時間、おやつと歓談を楽しんだのだった。
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