1-12.ディディエには先見の明があるのです

 王太子一行がそろそろ出立しようかと準備をはじめたころ、オスカーも厩舎きゅうしゃにいた。荷物のつまった鞍袋を前に考えこんでいる。王太子に帯同たいどうしてドーミアへ行くべきかどうか、悩んでいたのだ。


 思えば王都からジェイデンに着いてきたのも、流れにのってきたようなものだ。なぜ流されてきたのかといえば、父親の処遇しょぐうが決まるのを見たくなかったからである。父フィリップは、ジェイデン王子を殺害しようとしたかどでとらえられ、裁判を待つ身だった。


 王太子ジョスランを確実に王位に据えるため、障害となりそうな第三王子を排除する。――そんなことを父親が考えていようとはオスカーはまったく想像もしていなかった。ましてそれが、ジョスランが王妃と自分との不義の子であるという理由だなんて。


 父親と王妃との密通みっつうのうわさについては、さすがに耳に入ったこともあったし、オスカーも成人の男であるからそこまでショックというわけではなかった。不義の子にしてもそうだ。領主貴族にとって不名誉にはちがいないが、よくあることなのだ。それだけなら、兄と笑って受け流しただろう。


 オスカーがなによりショックを受けたのは、その不義の子のために父が殺人をもってして道を開いてやろうとした、その非道さ、狭量きょうりょうさを目の当たりにしたからだった。


 父は……自分の父はそんな男だったのだろうか?


 ワンマンで身勝手なところもあったが、実子である兄や自分に対しては、自分の手で道を切りひらくような人間になれと教育してきたはずである。父の厳しくも愛情ぶかいその姿勢を、オスカーは尊敬してきた。その父親像ががらがらと音を立てて崩れていくようで、それがなによりつらかった。


 そんなことを思って、また気落ちする。いっそドーミアにでも行けば気晴らしになるだろうかと思う。ジョスラン王太子を視界のなかに入れるのは気が進まないが(異母兄という関係性はおいておくとして、たんに性格が苦手なのである)、忙しくて気がまぎれそうだし。


 ドーミア行きに気分がかたむきかけていたところに、ディディエがやってきた。今日も皮膚はつやつやと黒く輝き、牛馬のようにはつらつとしている。


「若ぎみ。宿題はすませましたか? ジェイデンさまのぶんといっしょに、帰りには拝見しますからね。それと、鞍袋には忘れずに辞書と腹巻をつめるのですよ」

 第一声がそんなお小言なので、オスカーは苦々しいやら、拍子抜けするやら、おかしな気分だった。

「建国の英雄どのがこんな小姑こじゅうとみたいな性格だなんて知ったら、民草の失望やいかばかりかと思うよ」


わたくしは昔からこんな性格ですよ」

 ディディエは愛馬の世話をしながら答えた。「戯曲だの絵本だのに載っている私は、彼らがこうあってほしいという願望であり、幻想です」

「その幻想の英雄像が、うっとうしくなることはないのか?」

「たまにはね」

 こちらに向けた顔の半分だけで、ディディエはほほえんでみせた。「それが、偉大なる男の特権なのですよ」

「言うねえ」


 ジェイデンもそうだろうが、オスカーもこの男が好きだった。父親とは距離があった時代にも、ディディエだけは別だった。規律正しくまじめで融通ゆうづうが利かない教師と、獰猛どうもうで高潔な戦士の魂が奇妙な形で同居している。


「その荷物。おまえもつのか、ディディエ?」

 尋ねると、男はため息をついた。

わたくしは、ジョスラン殿下のお供をせねばならなくなりました。キリアン殿下からのご指名で」

 いかにもしかたがないというふうに、やれやれと首をふってみせる。

「ジェイデンのことは……、そうか、姫ぎみも不在だしな」

「王妃殿下のお怒りが落ちる前に、私が王都にお連れするほうが平和かと思ったのですが、うまくいきませんでしたな」

「子どもじゃないんだ、自分の責任は自分でとるさ。ジェイデンも、俺も」オスカーは短い金髪をかきまぜながら言った。

「たのもしいことだ」

 ディディエはまんざら社交辞令でもないふうに返した。「ところで、若ぎみにはダルクールへ戻るジェイデン殿下の護衛をお任せしたいが、よろしいか?」


「むろんだ」

 オスカーは力づよくうなずいた。だが、ふと気になって聞いてみる。「俺は、親父の件で公職停止中だと思ってたが……。いいのか、ディディエ? 逆賊の息子にだいじな殿下をまかせても?」


 一瞬、ふたりのあいだにぴりっとした緊張感がはしったのを、オスカーは感じた。

「ご自分の父君のことを、そのようにおっしゃるものではない!」

 ディディエはきびしく叱責しっせきした。この男が声をあらげるのはめずらしいが、雷のような声なのでびっくりしてしまう。馬が驚いてブルブルと口を鳴らしたのを見て、彼は声を低めた。

「私は閣下のことを、あなたよりずっと長く存じております。欠点のないかたではなかった。野心的で、傲慢ごうまんですらあった。だが、陛下との友情は真実でした」


「最後の最後に、その親友を裏切ったのにか?」オスカーは苦い皮肉をこめて訪ねる。


 ディディエはオスカーのほうではなく、愛馬のほうに顔を向けてその太い首を撫でながら、

「閣下のおかした罪は許されざるものですが、それで友情のすべてがなくなったことにはならない。そのことは、リグヴァルトさまがいちばんよくご存じです」と言った。


「そういうものかな」

「そういうものです。いずれ、あなたにもおわかりになる」


 そうだろうか……。

 

「私には、殿下の安全にたいする全権がある。それをあなたに、お預けします」

 ディディエは馬から離れて、オスカーの肩をぽんぽんと叩いた。「あなたを試しているのではありませんよ、若ぎみ。ディディエには先見の明があるのです」



 ♢♦♢



「ディディエと長く話してたな」

 厩舎から出ると、ジェイデンが声をかけてきた。こちらも、出立の準備に来たのだろう。

「ドーミアへ行かなくてよかったのか?」


 尋ねられたオスカーは首をふる。「いや。やっぱり、おまえといっしょに戻るよ」

「そうか。それは心強いな」


 オスカーも逆に尋ねた。「おまえはどうしたんだ?」


「アグィネア姫に謝ってきた」

 ジェイデンは浮かない顔で答える。

「婚約の件は父の先走りで、おれが謝る筋合いじゃないとは思うけど」

「律儀だな」

「性分だよ」


 恩師の愛馬がすでに旅装をととのえられているのを見て、ジェイデンは「ディディエはどうするんだろうな?」と尋ねた。オスカーは先ほどの会話をくり返した。


 そして、ふと思いついたように、「ディディエっていいやつだよな」と言った。

「どうしたんだ、いきなり」

 ジェイデンは笑った。「そんなの、昔からそうだろう。おれたちが、ろくでもないことを毎日三つはやらかす男児だったころから」


「そうだ。そうだったな」


 オスカーは、ふと、ディディエもまた父の親友だったことを思いだした。あの三人は、主従だけではない友情で結ばれてきたのだと聞いている。そしてそんなディディエこそ、フィリップのゆくすえに人一倍胸を痛めているのにちがいなかった。彼が王都を離れドーミアに向かうのは、オスカーとおなじように、やはり父の最期を見たくないという気持ちがあるのかもしれない。そう思うと、教師として見てきた男に自分と重なるものを感じて、すこしばかり心なぐさめられる気持ちがするのだった。


「さて。ではいよいよ戻るか、われらが懐かしき城に」

「おおげさだな。……じゃあ、スーリに声をかけてくるよ。ヘクトルにもあいさつしないと」

「ああ」

 そう声をかけあいながら、ふたりの青年は館内へと戻っていった。



【第一話 終わり】






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