エピローグ 王妃殿下、怒りの日 ②
「なぜあの子は、政治をかきみだすことにしか興味がないの?! なにが『愛の矢が私をつらぬいた!』よ。ぜったいに、単におもしろがっているだけだわ。わたくしにはわかる」
ダンダン! と足を踏みならし、紙片はくずくずになった。近衛兵は露骨に「あーあ」という顔になったが、女官たちは王妃のかんしゃくには慣れているので、涼しい顔を崩さない。
「わたくしの鎧を持ってまいれ。それから馬装もととのえさせるように。騎士団長をここへ」
ひととおり怒りを発散させてから、王妃は
「そうまで王家を
そして、また怒りが再燃に再燃を重ねたため、はいていたかかとの高いスリッパを思いっきり床に投げつけた。サーモンピンクのきゃしゃなスリッパは、空中に高く跳ねかえってから静かになった。
「……今朝もはやいな、わが妃」
近衛や女官たちが、彼女の機嫌をそこねないよう静まりかえっているなかに、気楽な声が響いた。「スリッパがなんぞおまえに噛みついたか?」
「陛下」フィニはなにごともなかったかのように膝を折って礼をとる。
だらしなくあくびをかみ殺しながら、王が寝台から起きてきたらしい。
背の高い、ダークブロンドのハンサムな王である。暴飲暴食も女遊びもせず、美貌が多少くたびれてきた以外は理想的なよき夫であった。引きしまった腹をぼりぼりとかいているのは、王としてはいただけない姿だが。
フィニはすっくと立ちあがって簡潔に告げた。「ジョスランがアグィネア姫と駆け落ちしました。ドーミアへ行く前に、わたくしが連れ戻してまいります」
「それはそれは」王は目を丸くした。驚いた顔が息子のジェイデンにそっくりだ。「おまえみずからか?」
「三男はどこの馬の骨とも知れぬ魔女にうつつを抜かし、長男は弟の婚約者を寝取ろうなどと、王族たるものの
王はあいまいな顔でうなずいた。こういうふうにいかにも王族らしい丁寧口調で話すときの妻には、さからわないほうがいいと長年の経験で思い知っているからだ。
「兄弟ふたりとも、わたくしの手で
「ん」
王は女官からヒゲ剃り用の蒸し布をもらい、それで顔をぬぐいながらてきとうに返答した。「ジョスはともかく、あれのことはディディエに任せていいと思うがなあ。まあ、行ってくるがいい。たまにはキリアンにも顔を見せてやれ」
「のんきなことを。遊びではございませんよ」
ぷりぷりと怒りながら足音も高く出ていく妻を、王は横目で見送った。
女官がやんわりと、王の手から蒸し布を奪い、「お顔を整容させていただきます」と言った。
「ん? ……ああ、たのむ」
いつもこの熱い布で(ヒゲを蒸さずに)顔をふくので、女官にイヤがられていることを王は思いだした。中年になると、いかな美男子でも、熱い布で顔をふく快感には逆らえないのである。
「しかし、ジョスランがアグィネア姫となぁ」
ヒゲを温められながら、王はのんびりと首をかしげた。「もともとはそのつもりだったが、どうしたものかな」
姫の結婚相手を王太子から三男王子にすげ替えたのは、本人たちの気質を考えてというのもあるが、たぶんに政治的事情によるものである。姫の生国コラールは長年の同盟相手ではあるが、アムセンの国力が増しているいま、王太子妃という高値にはつりあわなくなったというのが王の考えだった。隣国サロワの
王は隣国の
「おきれいな顔で
クリームのようになめらかな泡があごに載せられ、ヒゲが剃られていく。そのあいだにも近衛兵がやってきて、王妃にしたものとおなじ報告をくり返した。
「ジェイデン、あのいたずら坊主め」
報告を聞いた王は笑顔になった。サロワ王ご自慢の兵器はなんと、うちの三男が捕まえているという。あの人たらしが、いったいどんな手を使ったものやら。
「おまえの母親はサロワ王よりてごわいぞ。意中の魔女と無事、結婚できるかな? 自慢のコミュ力がどこまで通用するか、見せてもらおうじゃないか」
【第二部 「春の窓」終わり】
※明日からはおまけに続きます。
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