9-3.スーリ、プロポーズに返事をする

 アーチの脚になった部分に、最上部のアーチへと続く入り口があった。うす暗いらせん階段をのぼっていく。


 石づくりの建物のなかは心が落ちつく。それはスーリの魔法のある場所だからだ。だが、それは同時にスーリを閉じこめる場所でもある……、アーンソールの、あの城の小部屋のように。

 窓のない塔の、その階段を上がりながら、そんなことを考えていた。


 ジェイデンは彼女の一歩先をのぼっていくので、彼の広い背中や、意外に太くたくましい腕ばかりを見ていた。階段はゆっくりと円をえがきながら単調につづき、おなじ景色がえんえんとくり返される。


 その単調な景色のせいだろうか。スーリの心のなかにはさまざまな思いが浮かんでは消えた。サロワを出てからのことや、いまの生活のこと、これからのこと……。


 思いにふけっていると、ジェイデンの背中が鼻先にあった。彼は立ちどまってこちらを向き、謎めいた笑みを見せた。

「ほんとうに外の景色を見たい? まだずいぶんかかるよ。やめておこうか?」

「疲れていないから、大丈夫よ」

「上まで出なくても、塔のなかにもおもしろい場所があるよ。そうだ、下には物売りの子どもがいた。冷たい果物でも買おうか?」

「……」

 その提案は……、どこかジェイデンらしくないように彼女には思えた。彼はいつでも、スーリに外の景色を見せたがっていた。自分ひとりでどこにでも行くことができるのに、その景色をスーリといっしょに見たいと、彼はいつも言うのだ……。


「下級悪魔イェムドゥーシャ。わたしのなかの暗い窓」

 スーリはそう呼びかけた。「ジェイデンのフリをするのはやめなさい」


 ジェイデンの姿が水面みなものようにゆれたかと思うと、するするとちぢんで、おさない少女の姿になった。

「わたしは、あなたが怖がるものになる」

 少女はスーリ自身の顔で、彼女よりも高い声で言った。「……このひとのことが怖い、スーリ?」


「怖いのはジェイデンのことじゃないわ」

 スーリは言った。「ふたりで暮らしていくということが怖いの。先のことを考えてしまうから。わたしを追いかけてくる過去を感じるから。自分のことがわからないから」


「わたしとおなじね」

 階段の上のほうに立っているために、スーリとほぼおなじ目線のところに、少女の顔と目があった。

「わたしも、自分がどうなるのかわからない。ふつうの女性になりたい、スーリ? わたしと魔法の力が消えてしまってもいいの?」


「……わたしは、まだ魔女なのね」

 スーリはつぶやいた。「いつか、そうでなくなる日が来たらいいと思うわ。でも、いまはまだ、そうじゃない。その日が来たら、……あなたのことを考えなくてはね」


 悪魔はその答えについてじっくりと考えているようだった。しばらくしてから、「ジェイデンは、いっしょに探してくれるって。わたしがいなくならない方法」と言った。


「そう」

 自然に笑みがこぼれた。「彼なら、そう言うでしょうね」


 悪魔はいかにも子どもっぽく、つま先で地面をいじっていたが、やがて「ジェイデンはけっこう好き」と言った。

「足が速くて、大きい犬みたい」

「たしかに、ちょっと犬みたいよね、彼」

 スーリの口もとがゆるむ。子どもや動物には好かれるタイプだが、悪魔にもその魅力が通用するのが、なんとなくおかしかった。悪魔といっても、彼女の悪魔イェムドゥーシャはほとんど幼児のようにしか見えないが……。

「抱っこしてもらったけど、それは秘密だって」

「そうなの?」

「秘密だから、言っちゃだめだよ」

 その言葉を最後に、イェムドゥーシャはぱたぱたと階段を駆け下りていき、姿を消した。小さな背中を見送って、どのくらい時間がっただろうかと思った。悪魔と対話しているあいだに距離が離れたはずだが、ジェイデンの背中はまだ視界のはじにあった。スーリはほっとして、また階段をのぼりはじめた。


 階段をのぼり終えると、水道橋の上に出ることができた。


 山の水源から、帝国の古都まで水を運んだ巨大な水路。その建築の威容いようにもおどろかされたが、スーリがもっとも美しいと思ったのは、どんな城よりも高い場所から見わたす景色だった。手のひらに乗りそうなほど小さく見えるロサヴェレの町。その周囲にひろがるゆたかな農地と、点になるほど小さな牛たち。くろぐろとした森……。


 風がなびいて、彼女の髪を煙のように巻きあげた。ほほに、はためく服に、風を感じる。腕をひろげて、スーリは深呼吸をした。さえぎるもののない青空を見あげ、今までにあじわったことのない感覚をおぼえた。それは自由だった。


 このまま鳥になって、空にけるように飛んでいけそうな気がする。ジェイデンが背後から彼女を抱き、やわらかく手首をつかんで彼女のくびきになってくれた。


 その、つつみこまれる安堵あんどのなかで、彼女はジェイデンに答えをかえした。


「・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・」



 ♢♦♢


 ふたりは雨に濡れ、服を泥で汚しながらも、笑顔で手をつないで戻ってきた。館で待っていたオスカーやダンスタンはその様子を冷やかした。

「ディディエがいないときで、正解だったな」

「ここに来てから見てないけど、どこに行ったんだ?」

「建国の英雄どのは、あちこちにひっぱりだこだよ。講演を頼まれたり……」

「弟殿にはいかに伝えるおつもりだ?」

「そうなんだ、そこが難題で」


 湯あみして着替えさせてもらい、夕食の席に向かう。プロポーズを受けたことをつたえると、ヘクトルは笑顔で祝福してくれた。

「難題が山積みですが、ジェイデン殿下ならものともなさらないでしょう。もちろん、私たちも力になりますよ」


 夕食の席では明るい話題がならんだ。人づきあいの苦手なスーリに配慮して、伯爵夫妻のほかはオスカーとジェイデン、テーブル下にダンスタンという小さな食卓だ。

「じつは……、さきほどお伝えするべきか迷ったのですが」

 ヘクトルは言葉どおりの悩める顔で打ちあけた。言いにくそうに続ける。

「王妃殿下より早馬でのおしらせがあり、王太子殿下が……その……、出奔しゅっぽんなさったと」


「ジョスラン殿下が?」

「兄さんが?」

 オスカーとジェイデンが、ほぼ同時に反応した。

 ジェイデンのほうは驚いて、ナイフを取り落としそうになった。「出奔って……いなくなったということか?」


「いえ! ゆく先はちゃんとわかっているのです。行方ゆくえ知れずということではありませんので、ご安心を」

 ヘクトルはあわてて言葉をつけくわえた。「出奔という言葉が悪かった。正確には、ええと、王太子殿下は女性とご一緒ということで」


「女性と……兄が? 女性に連れ去られたとか?」

 病弱で小柄な兄と女性という組み合わせがうまく思い描けず、ジェイデンはそう尋ねた。スーリが弟に連れ去られたできごともまだ尾を引いているようだ。


「いえ、その、女性といっしょといいますのは……つまり……、駆け落ちということで」


「「「駆け落ち??!!」」」


 ジェイデンとオスカーとスーリ、三人の声が重なった。テーブルの下からも、ダンスタンの「ゴワッ……」という困惑の声が聞こえてきた。


「早馬の知らせはまだありまして」

 ヘクトルはつづけた。「王太子殿下と女性は、ここ、ロサヴェレにお立ち寄りになるそうです」


「ここに……ロサヴェレに?」スーリは柳眉りゅうびを寄せて考えこんだ。

 彼女のまわりには、立場も意見もさまざまな人物が集まっている。つい先日も、ディディエとルラシュクのあいだの衝突のすさまじさを聞かされたばかりだ。

 そこに、あの兄王子がくわわったとしたら……いったいどんな波乱が待ち受けていることやら。四人はそれぞれに顔を見合わせて、きたるべき嵐を思い描いた。



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