7-10.あなたが真の騎士ならば

 その後は魔女ザカリーの助けもあり、スーリとダンスタンは、無事に城を脱出することができた。


「わたしは国を出るわ」

 街道まで出たときには、夜がしらじらと明けはじめていた。ふたりは護衛もなくかろうじて逃げてきたのだが、ここでようやく、エトリからの騎士たちと合流できたのだ。

「あなたはエトリに戻って、レディ・グロリアを支えてあげて。サー・ダンスタン」

 そう告げられて、ダンスタンの心は揺れうごいた。スーリの安全を見届けたい気持ちと、恩ある主君のもとへ戻り、切望していたかつての日常を取り戻したい思いとで。

 そして迷いながらも、エトリに戻ることを選んだのだった……。


 ♢♦♢


 セルヴリス伯は彼の帰郷を歓迎してくれた。妻を無事に連れ帰ってくれたことを、主君は涙ながらに感謝した。

「このような身体で、ご報告にもどるのもためらったのですが」

 そう言うと、伯は「なにを言う」と即座に否定した。

「どのような身体であろうと、おまえが無事に戻ってくれただけで私はうれしいのだ。奥もおなじであろう。顔を見せてやってくれるな?」


 もちろん、伯の言葉はありがたかったが、ダンスタンはまだ心の整理がつかずにいた。ぺたぺたと足音をさせながら城の廊下を歩いて行く。床の模様がおどろくほどに近いのを感じて、ガチョウの身体になったという事実を、あらためて思い知らされる。


 女主人とスーリとを城から脱出させるため、彼は時間稼ぎをするべくアーンソール公に剣で挑み、そして致命傷を負った。

 薄れゆく意識のなか、彼は自分の人生はこれで終わったとなかば満足していた。ふたりのことが気がかりではあったものの、騎士としてやるべき務めを果たしたのだと。……だが、目が覚めてみると、もはや自分のものとは言えない肉体のなかに閉じこめられていたのだった。


 こうして無事、主君のもとに戻ることができ、故郷の美しい夏の風景を見ることもかなった。それはすばらしいことだ。だが、このような身体になってまで生きのびる必要はあったのだろうか? ……考えこむうちに、奥方の部屋の前に立っていた。


 部屋でやすんでいる女主人のことを思い、ダンスタンはノックをためらった。いまの自分はもはや、以前の自分ではない。騎士としての肉体をうしない、家禽かきんの身にかろうじて魂をのこした亡霊だ。そんな怪異を、いったいどのようにして彼女に説明すればよいのだろう? 彼女をおびやかしてしまわないだろうか? もっと悪ければ、悪魔として追い払われてしまうかも――。

 

 だが、拳を扉にあてる前に「お入りなさい」と声がした。いつものように。鼻の奥がつんと痛む感覚を、ダンスタンは味わった。


「あなたはいつも、わたくしの部屋の前でためらうのね」

 レディ・グロリアは寝台のうえでほほえんだ。「いらっしゃい、サー・ダンスタン。わたくしのたいせつな友人」


我輩わがはいは……」

 いつもどおりのその返答に、ダンスタンは驚くというよりもむしろ、ろうばいしてしまった。

「レディ。この姿が我輩であることが、おわかりになるのですか」


「魔法のなせるわざなのね」

 いつもそうであったように、レディ・グロリアはかれの話を即座に理解した。「スーリがあなたを救った。その魔法のわざで」


「……イエス、マイ・レディ」

 ダンスタンはガチョウの首を深く折って肯定した。


「こちらへいらっしゃい」

 そう許されて、ぺたぺたと寝台へと近づいていく。レディ・グロリアは、彼らと別れてからの経緯を説明してくれた。アーンソールが謀反むほんを起こし、レクストン王を弑逆しいぎゃくしたこと。魔導士ルラシュクが塔の権威と彼自身の魔力を盾に、彼女たちを保護してくれたこと。非公式にではあるが帰郷を許され、こうして夫と領民のもとへ戻ってこれたこと……。


 レディ・グロリアの声は明るかったが、ダンスタンは彼女の衰弱した様子にあらためて気づかされて、胸がふさがれる思いがした。これほどの苦労を乗り越えて、あらゆる犠牲を払って戻ってきたのに、彼女に残された人生はあとわずかしかないのだ。


 スーリ殿のわざなら……。もしかして、死のふちへ足を進めかけている彼女を、こちら側へと引き戻してくれるかもしれない。

 そんな、はかない希望をいだきかけたダンスタンに気がついたのだろうか。レディ・グロリアは、「わたくしは、このままでいいのよ」と言った。いつもどおりの、固い意志が感じられる声で。


「運命があなたを生かしたように、わたくしは故郷で死ぬ。それが自然なことなのです」

「我輩は……」

 ダンスタンはためらいながら告白した。「このような身体になってまで、生きながらえる運命だったのでしょうか? もはや騎士として生きることもかなわぬのに、生きていく意味が見いだせないのです」


「いまのあなたは騎士ではない。それはたしかです」

 レディ・グロリアはいつもどおりの口調で、そう断言した。「あなたが真の騎士ならば、恩ある女性を救いなさい」

 その言葉に、ダンスタンは深くこうべを垂れた。

「そうしようと努めております、マイ・レディ」

「わたくしのことではないのよ、サー・ダンスタン。あなたの友人のこと」

「彼女は……」

 ダンスタンは、床の木目を見つめたままなにも言葉を返すことができなかった。自分が彼女を見捨てて故郷に戻ってきてしまったことが、いまさらながらに思いだされた。


 彼が自分の行動に恥じ入っているのが、女主人にはわかったのだろう。いくらか口調をやわらげてこう声をかけた。

「あなたの存在が、幽閉ゆうへいの身をどれだけ支えてくれたことか。友情とはもっともとうとく、えがたい宝なのね。感謝しています、サー・ダンスタン」


「……」

 ダンスタンはあふれる情動に耐えかねて、ただ目を閉じた。それが別れのあいさつだとわかったからだった。死の間際まぎわにあってさえ、彼女はダンスタンの行くべき道をしめす羅針盤だった。

「それでは、しばらくおいとまを頂戴いたします、マイ・レディ」

「許可します。……よい旅を。そして、よい人生をね、サー・ダンスタン」


 ♢♦♢


 彼女は夫と領民に見守られ、おだやかに息を引き取った。ダンスタンは旅の途中で、そのしらせを受け取った。


 数日後、ダンスタンは国境ちかくの町に入り、スーリのもとにたどりついた。どこにいけば彼女と合流できるのか、ダンスタンにはわかっていた。明るい黄色の矢印が、ふよふよと漂いながら彼の前にあらわれたのである。あとで聞くところによれば、これはザカリーが幻術で彼を案内してくれたとのことだった。やれやれ、虚空を漂う矢印に旅するガチョウとは、ひとに聞かされたとしたら一笑いっしょうしたことだろう。


 彼女はエトリの騎士に護衛され、数ある宿のうちのひとつに身を隠していた。アーンソールのもとを無事に逃げだすことはできたものの、安心感からはまだほど遠いのだろう。疲労で青白い顔を固くこわばらせ、ふれる者を凍らせそうな雰囲気を出していた。

 騎士たちに不審がられながら、ダンスタンはぺたぺたと彼女に近づいていった。その姿に気づいた彼女は、曇り空色の目をはっと見ひらいた。


 ガチョウの優美な首を抱き、スーリははじめて声をあげて泣いた。あの夜に枯れたと思っていた涙が、あとからあとから流れでて、彼女の白いほほをつたった……。

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