Ch.9 プロポーズの返事と、つぎなる波乱の幕開け

9-1.思いたって連休に観光地に行く(フラグ)

「ジェイデン殿下。お待たせしてすみません」


 そう声をかけてきたのは、中肉中背の、やさしげなおもだちの中年男性である。昨日はジェイデンとともに彼女の滞在先にやってきたのだが、スーリはそのとき昏睡こんすいしていたので、こうして会うのははじめてだ。ロサヴェレ一帯をふくむ東部の領主だという。

「そちらが、お話になっていたご婦人ですか? 弟殿に連れ去られていたという……」


「ああ」

 ジェイデンが隣のスーリを紹介する。「ヘクトル、彼女がスーリだ。スーリ、彼がホレイベル伯爵のヘクトルだよ。彼とも長いつきあいなんだ」


 あいかわらず顔が広い男だと感心しながら、スーリは膝を折ってお辞儀した。

「スーリ殿。ここロサヴェレで災難にわれたと聞いて案じておりましたが、ご無事と聞いて嬉しいですよ。……どうか、わが家と思ってくつろいでほしい」

「ありがとうございます」


 そうしてあいさつを交わしているあいだにも、使用人がやってきてヘクトルに耳打ちをした。ヘクトルはうなずきながら指示を返している。

「彼女を紹介したくて来たんだけど、忙しいときだったかな? ヘクトル」

 ジェイデンが尋ねた。

「いえ、そうではないのですが」

 ヘクトルはあわてて否定した。「じつは、ちょっとべつのがありそうなのです。……しかし、この話はまた夕食時にでもしましょう。殿下がせっかく、特別な女性を連れてきてくださったんですからね」

 ……それで、その話は持ち越されることになった。


 館を案内しながら、ヘクトルはおだやかな口調でスーリに話しかけ、またジェイデンとのつきあいについて語ってくれた。ヘクトル自身はつねにジェイデンの父に忠実だったが、先代のホレイベル伯爵はさきの戦争でドーミア側につき、そのため戦後、社交界で肩身の狭い思いをしていたこと。地盤固めのために王都を拠点としていた時代に、ジェイデンにずいぶん顔をつなげてもらったこと。おかげで数年前にロサヴェレにもどり、いまでは以前と変わらぬ領主としての生活が送れていること。


「そういうわけで、私も、ホレイベル伯爵家も、殿下にはひとかたならぬ恩義があるというわけです」

 と、ヘクトル。「ですから、紹介したい女性がいるとうかがったときには、光栄に思いましたよ。私たちでなにか、お役に立てることがあるのではないかと」


 伯爵の言う「お役に立つ」が、自分を養女にすることだと聞いていたスーリは、あいまいな笑みで返した。そういえば、結婚してほしいとジェイデンにわれていたのだった……。プロポーズの午後からまだ数日しか経っていないのに、いろいろなことがありすぎて忘れていた。


 どう返事をしたものか、まだなにも考えていなかった。自分がどうしたいのかさえ……。

 柳眉りゅうびをよせて考えこむ様子のスーリに、ヘクトルはやさしく微笑みかけた。「殿下と、遺跡をにいらっしゃるんでしょう?」

「……ええ」


「陽が沈む前に行っていらっしゃい。水道橋に沈む夕日は、それは美しいですよ。ロマンチックで、恋人たちのひとときにぴったりです」

 使用人に呼ばれ、ヘクトルはウィンクを残して立ち去った。


 ♢♦♢


 古ドーミア帝国の水道橋遺跡。

 領主館から、馬で四半刻ほど。アクセス良好、観光地としても整備されていて安全面もばっちり。今は花のシーズンでもあり、現地は家族連れや恋人たちで大にぎわいだとか。


 そんな場所に、事前によく計画も立てずに行こうとするとどうなるか。


「馬車が進まない……」

 ぎゅうぎゅうに混雑している道路を馬車窓から眺めて、ジェイデンがつぶやいた。「今日は休日なのか。しまったな」


 ロサヴェレは裕福な商人たちが多い町であり、観光地までの道路は何十台もの馬車が行列をなしていた。先頭列は見えないほどに遠く、絶好の商売チャンスとばかりに物売りの子どもたちがわらわらと群がっている。


「完全に出遅れたな」


 なんとか遺跡付近まで到達するも、そこから先がまた、人また人の大混雑である。父の戴冠式の日、バルコニーから見た城下町が、ちょうどこれくらいの混雑だったとジェイデンは思いだす。まさに芋を洗うがごとしである。


「ううっ……人が多い……」隣でスーリがげっそりとつぶやいている。


 ふだんなら準備に抜かりのないジェイデンだったが、今日ばかりはそんなヒマもなく、行き当たりばったりで来てしまった。あらかじめ伯爵に頼んでおけば、数時間のあいだ人払いをしておくこともできたのだが。でも、そういう特別あつかいを彼女は喜ばなさそうでもあるし。


 自分らしくない段取りの悪さに、めずらしくくよくよと考えこむ。彼女を喜ばせたいと思うのだが、なかなかうまくいかない……。


 ジェイデンは他人を楽しませることによろこびをおぼえるタイプだ。根っから人間が好きなので、他人の好みを察知さっちすることにもけている。スーリの好きなものを用意してよろこばせることもできる――花やお菓子や、いごこちのよい窓辺のようなもの。

 だからスーリが彼に好意を持っている、すくなくとも出会った当初のように嫌われてはいないことはわかるのだが、の特別な好意をもつにいたっているかは自信がもてなかった。結婚ともなれば多大な好意が必要だろう……。


 ネズミが子をやすがごとく無限に好感度を増大させたいのだが、どうしたものか。考えていると、「まあ」と当人が声をあげた。

「だんだん近づいてきたわね」

 人ごみにうんざりしていた様子のスーリの声に元気が戻っている。

「あ、ああ」

 いつのまにか、遺跡が近くまで見える場所にたどり着いていたらしい。あいかわらず混雑してはいるものの、ひとびとの頭を越えてはるか高くに、巨大な水道橋のアーチがあった。


「なんて大きいの! 本で見たことはあったけど、実物を見るのとは大違いね」

 彼の隣で、スーリがはしゃいでいる。「あの美しい三層のアーチを見て! 古ドーミアはすばらしい建築技術があったのよ」

「うん。すごく立派だね」

「ドーミア帝国があれほど版図はんとひろげられたのも、高い建築技術に裏付けされた文化資本がひとびとを魅了したからなのよね」

「うん。喜んでもらえてよかったよ」


 しょっぱなから地獄の混雑でどうなることかと思ったが、ひとまず彼女の気をひけたようでジェイデンはほっとした。指をさしてあれこれと遺跡のことを教えてくれるのが、またかわいい。願わくば、水道橋に向けているとろけるような笑顔を自分にも向けてくれれば最高にうれしいのだが。

 

 ふたりはひとごみに押されながらも、遺跡付近の散策を楽しんだ。緑はあおあおと濃く、ボリジが群生して青い星型の花を咲かせている。水道橋のアーチとの対比が美しい。


「あっ、上のほうにも人がいるわ」

 スーリが指さす先は水道橋の最上部で、たしかに爪ほどの大きさの人びとが並んでいた。

「階段があって、上にも登れるんだよ」

 ジェイデンは説明してやった。「すこし歩くけど、行ってみる?」

「どうしようかしら」

 高さと混雑ぶりに迷っている様子である。インドア派の彼女にはお気に召さないかもしれないなどと考えていると。


「急に曇ってきたぞ」

 だれかの声が耳に入ってきた。空を見上げると、たしかに、しだいにかげって暗くなりつつある。遠くでゴロゴロと不穏な音がする。


「これは――」

 言いかけようとしたとき、空がぱあっと紫に光った。つづいて、周囲に轟音が響く。

「雷だわ」

「ちょっと近い感じだな。スーリ、こっちへ」

 彼女の手をひいて、ジェイデンはひらけた場所からはなれた。

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