7-8.あたしの息子に触るんじゃないよ

「アーンソール公。いつのまに……」


 背後の安全は確認したつもりだったのに。ルルーがぼうぜんとつぶやくと、青年大公は「戦時ではなんの役にも立たぬ能力だが、魔女相手には使えるな」と言った。それが彼の魔法を指すのだということが、ルルーにもわかった。彼はアーンソールの能力について知らされていなかった。この速さで背後を取られたということは、自分とおなじ物質移動だろうか?


「姉を国外に逃がすつもりか?」

 短刀を持った手でルルーを羽交はがめにしながら、アーンソールは言った。「片腕、片足くらいは落としても、魔術に支障はなかろうな」


 強大な魔法を持っていてもルルーは小柄な青年で、軍人として鍛えられた男の腕から逃れるすべはなかった。アーンソールはなんなく彼をおさえこみ、短刀をふり上げる。


 じっさいには、ほんの数秒のことだろう。ふり上げられた刀が自分の腕におろされ、バターを削るようにやすやすと身体がえぐられるのが想像できた。抵抗する方法など、なにひとつないように思われた。ルルーは思わず、ぎゅっと目をとじて衝撃に耐えようとした。


 だが、その声は自分の内側から聞こえてきたのだ。


〔なにやってんだ、このまぬけめ!〕

 思わず姉のうしろに隠れたくなるような、鋭い罵倒ばとうの声だった。その声を聞くとルルーはいつも、細いナイフのほうがより深くに突き刺さると思ったものだ。きんきんして耳ざわりで、いつも彼をののしっていた、あの声が胸に刺さる。


〔ぼうっと待ってるんじゃないよ! 豚だってバラされる前にはもっと騒ぐもんだよ〕

――豚って。だって、それってけっきょく、殺されるじゃないか。


 ルルーはおそるおそる反論した。そして、鬼のような罵倒がさらに返ってきた。

〔指に噛みついてやるんだよ、バカが! 足を後ろむきに振って、股間のブツを蹴りつぶしてやれ〕

――ムリだよ! あいつは全身を鎧でガードしてるんだから。だいたい、相手の指に噛みつくなんて、そんなこと一度もやったことない――


〔なんて軟弱なんじゃくなガキ! そんなことで、どうやってこんな腐った世の中で生きていけるっていうの〕

――もう死ぬんだから、関係ないだろ。


 ほんのひと呼吸のあいだに、それだけのやりとりが果たしてあったのか。今となってはさだかではないが、すくなくともそのときのルルーには、鋭く耳ざわりなあの声が聞こえていた。


『あっちへ行っておいで。うっとうしいんだよ』

『じろじろ見るんじゃない。気色わるい子だね』

『男なんて産むんじゃなかった』

 思いだすだけで動悸どうきがする、耳をふさぎたくなるようなあの声が――


「あたしの息子に触るんじゃないよ、この、腐れ〇〇〇野郎が!」

 女はルルーの声でそう叫び、おさえつけられた腕にぐっと体重をのせて、アーンソールのあごに思いっきり頭突きをした。ルルーの頭で。


「ぐっ……!」

 思わぬ抵抗に腕がゆるんだのを、女は見逃さなかった。頭をさらに振って、籠手こてにつつまれた手にぶつけ、短刀をたたき落とした。じっさいにはそれはルルーの頭だったので、目から星が出たかと思うほどちかちかした。


 そして叫ぶ。

流星炎群メテオラム! このキ〇〇イ男を燃やし尽くせ!!」

 声に呼応こおうして、夏の青空から無数の炎球が降ってくる。


――流星炎群メテオラム? ……だってあれは……。あの魔法は……。


 使。自分の声が、夏の青空に暗く響きわたった。「――あたしは<流星メテオラ>の魔女ルドヴィガ」


――そんなはずがない。そんなことが、起こるわけない。は死んだんだ。あいつ自身の魔法のせいで。自業自得だ。子どもがそばにいるのもかまわず、自分ごと焼き尽くす炎を、ルルーはたしかに見たはずだった。


「さっさと転移しな! 巻きこまれるんだよ、このまぬけが!」

 から出た悪態におどろきながらも、ルルーはようやく、なにが起こっているのか理解しはじめていた。自分の魔法を使って、炎が落ちない場所に転移する。


 ドンドンッと固い音が響き、炎球が地面にぶつかったのがわかった。


 残念ながら、アーンソールもまた直撃を避けていた――いや、もしかしたら一度、直撃を受けていたのかもしれない。そして「時戻し」をして、場所を移動したのかも。そう思えるほどに、顔は青ざめて恐怖にゆがんでいた。


「なんという強大な魔法」

 王を殺した騎士はつぶやいた。「あの魔法がわがものなら、どれほどか国の役に立とうものを。あのような下賤げせんのものではなく……」


「母さん。母さんの魔法なのか、これは」

 ぽつんとつぶやいたルルーは、手の甲に落ちた冷たいものが自分の涙だと気がついた。



「母さんの魔法。成功したのはわかっていたけど、見るのははじめて」

 姉のスーリは離れたところで、空にまばゆく降りそそぐ彼の炎をあおぎ見ていた。そして、だれにともなくつぶやいた。


「わたしが魔女になったとき……、母さんもルルーも死にかかっていた。魔女になった母さんの、あの炎のせいで」


 彼女のつぶやきを聞いているのは、おそらく、過去をのぞき見ているジェイデンだけだった。

「損傷したルルーの身体に必要なパーツを、母さんからもらって修復した。死者を使役しえきする魔法ではそういうこともできると、前に魔術書で見たことがあったから……。でも、その方法では身体が異物を受けつけず、拒絶反応が出てしまうことがある。だから、ふたりの魂をひとつにった」


「それが、ルルーの魔法の秘密か」

 ジェイデンはつぶやいた。「四つがけの魔法は、やっぱり、2かける2だった。ルルー本人と、だったのか」


 ルルーのなかには、燃えるような怒りがあった。かよわきものを踏みつける、力あるものたちへの憤怒が。それをよしとする世界へのはげしい憎しみが。この怒りはのものなのだと彼は気がついた。


 その怒りはいま、ルルーのなかのおそれを、無力感を、すべて焼き払った。


「僕たちのことなんて、気にかけてもいなかったじゃないか。……『うっとうしい、産むんじゃなかった』っていつもいつも言ってたじゃないか。今になって、こんな、ちくしょう」


 あふれる涙を両手で交互にぬぐいながら、ルルーはもう一度、魔法をはなった。空の怒りのようないかづちをアーンソールめがけて放ち、そして彼が運よく逃げたとしてもかならず直撃するよう計算して、炎を雨と降らせた。

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