7-6.白昼の弑逆(しいぎゃく)

 石たちの冷たく平たんなささやきに、スーリは耳をすませた。


「古く力強いものたちよこたえて。血はもはやあなたたちを固定しない。ばらばらにはじけとんで――いま!」

 彼女が命じると、ズウゥンという地響きが返ってきた。その場にいるほかの者たち――ダンスタンとレディ・グロリアは思わず、四方の壁を見まわす。壁のかけらが、ぱらぱらと降ってくる。


「スーリ殿――」

「あぶないから、しゃべらないで。一か所に集まって」スーリが一喝した。

「フェニエル。アーベルト。クシミアス。コンラハム」


「サー・ランツェル。サー・ベルハルト。マスター・エメリウス」


 白髪をゆるやかになびかせながら、スーリの詠唱は続く。「来て、ここへ。黄泉よみの国から、わたしの軍団へ」


 がれきは三人を直撃することなく、巣に戻る羊たちのように集まっていく。しだいにそれは兵士の形となった。


「なんだこれは!?」「崩落か?!」

 警護の兵士がおどろいて周囲を点検しはじめる。ダンスタンはそのすきに、体術で兵士を昏倒こんとうさせて縛りあげた。


 巨大な石の兵士は三人を崩落からかばった。落下する石たちはまた新たな兵士となる。三体の兵士が生まれたところで、彼らはそれぞれが三人を抱えるようにして、城外への道を進みはじめた。ドシン、ドシンという重い足音が響く。


 壁を壊して城から脱出し、同時に頑強な兵士を作ることもできる。これがスーリの能力なのだ。どれほど強固な壁を作っても、彼女の動きをさまたげることはできない。過去をのぞき見ているジェイデンにも、あらためてその能力の強大さがうかがいしれた。


 その日は騎士たちの馬上試合があっていたから、壁が割れる音もすぐには気づかれなかった。


 だが、そのときのスーリたちは知らなかった。この日、運命を変えるために行動を起こしていたのが自分たちだけではないことを。


 ♢♦♢


 馬上試合は一対一の対戦から、騎士たちがふたつの軍にわかれて突撃をおこなう乱戦へとうつっていた。

 騎士たちは列をつくってならび、伝令のかけ声を合図にランスを水平にかまえ、それぞれの相手に向かって突撃した。ときの声が響きわたり、観客たちも白熱した声援を送った。

 ランスが陽光にきらめき、突撃を受けた騎士は落馬し、あるいは残ったものがすばやく馬の向きを変える。つねに先頭に立ち、向かってくる騎士をなぎたおしていたのが、騎士団長のアーンソールだった。


 貴婦人たちが黄色い声援をあげ、王妃その人でさえ興奮にほほを上気させていたが、豪奢ごうしゃな見物台に座るレクストン王の表情は曇っていた。


 アーンソールに対抗するように、敵軍にも若き猛者もさがいた。しだいに周囲の騎士たちが敗退し、境界線のうしろへまわって陣地があくと、ふたりの一騎打ちがはじまった。


 それまでも無敗を誇っていたアーンソールだったが、その日の彼はまさに魔法のような戦いぶりをみせた。相手の騎士の動きをすべて読みきったかのようにかわし、あらかじめ用意された場所に腕をのばすだけで、するどい攻撃をくり出すことができるように見えた。


 彼の最後の突きが、白刃はくじんとなって相手をおそう。うなりをあげてくり出されたランスが、若き対戦相手の手甲を正確に突いたかと思うと――


 つぎの瞬間、相手のランスがはじき飛ばされた。くるくると宙を舞った長槍は、観客席のほうへ飛んでいく。一瞬、陽光のするどい反射で姿を消したように見え――


――回転しながら落ちてくる槍は、地面に落ちる直前で、レクストン王の胸をつらぬいていた。


 時が止まったかのような一瞬ののち、鮮血が噴水のように吹きあがった。新緑にあざやかな血の赤が飛び散る。おどろいた小鳥たちが森から飛びたって、不穏の情景をつたえる。


「きゃああああ」

 王妃が叫びながら王からはなれ、護衛の騎士がすぐに医師と魔導士を呼ばわる。だが、巨大な長槍は王の胸をふかぶかと貫通しており、その血だまりは黒い池のようで、もはや王の存命はのぞむべくもなかった。


ランスの制御をおこたり、王を害しせしめたか!」

 アーンソールは周囲に聞こえるように、若き騎士を責めたてた。「偶然とはいえ、あってはならぬ暴挙ぼうきょ。騎士の誇りあらば、自刃せよ」


「わ、私の槍が……、私は……私は……」

 面頬バイザーをあげた騎士の顔は、まだにきび痕が残るほどに幼かった。なにが起こったのか、まだよく理解すらしていない顔のまま、崩れるように地面に座りこんだ。


「お……王に、おびを……」

 ふるえる声でつぶやく騎士に、アーンソールは近づいていく。いかにもわかっているというふうにうなずいた。

「よき心がけだ。若いが、馬上試合に勝ち残った立派な騎士である。弑逆しいぎゃくなどという不名誉にはせぬから安心せよ」

 そう声をかけられて、青年はのろのろと顔をあげた。騎士団長がなにを言っているのか、わかったようには見えないうつろな顔だ。アーンソールが続ける。

「……さて、これから王にお詫び申しあげてくるがよい。死出の旅に、勇猛な騎士の供添ともぞえがあれば王もご安心めされるであろう」


 そして、腰の短剣を抜いて若き騎士の首をかき切った。


 鮮血がいきおいよく噴き出して、アーンソールの白い顔と白銀の鎧を汚したが、彼はまばたきすらしなかった。


 若者の首が落ちると、他の騎士たちも観客たちもいっせいに静まり返った。


「王子殿下は生まれてまだ間もない。当面は私が、王の権限を代行しよう。異議のあるものはいないな? あれば騎士らしく、試合にて正義を決しようではないか」


 その言葉を聞いて、だれがアーンソールに挑戦しようなどと思うだろうか? つい先ほどの、常軌じょうきいっした戦いぶりを見ているというのに。


 試合後の晩餐ばんさんは中止されることが告げられたが、その場が落ちつくことはなく、不穏なささやきが春の薫風くんぷうにのってさざめいていった。なかなかその場を離れようとしない観客ややじ馬たちを、アーンソールの騎士たちが追い立てていく。



「このような小細工にしか使えぬ能力とはな。王者の魔法とはとても思えぬ」

 アーンソールは不満げに鼻をならし、小さくつぶやいた。「だが、目的の役には立ってくれた」

 『時戻し』の能力を使って騎士の動きを読み、最後は自分の手で槍を王の胸もとに投げたのである。ほんの数秒の世界をあやつることの意義を、男は理解しつつあった。だが、スーリの能力があれば、王の暗殺など朝食に卵を食べるほどに簡単なことだっただろうに。


 手近な布で血をぬぐっていると、側づかえの騎士がつぎつぎにやってきた。城壁が急に崩壊したことを告げられた男は憤怒の表情になった。


「魔女め。逃がさんぞ」


 そう言うと、すぐに騎士を招集しょうしゅうしたのである。

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