7-2.この先は見せるな

「悪魔の姿が消えた」

 アーンソールは薄明りの下でつぶやいた。「私は力を得たのか? あの魔女たちのような、超常の力を……」


 青年は部屋をわたっていき、鏡の前に立って自身の姿を見つめた。見慣れた自分の姿が映っているだけで、見た目にはなんらふだんと変わりなく見えた。


「わが魔法はなんだろう?」

 手のひらを明かりにかかげるようにして、そうつぶやく。「炎か、いかづちか? 物体の移動ならいくさの役に立つ。死者の使役しえきなら、それ以上は望むべくもない」

 彼が思い描いていたのが双子たちの魔法だということがジェイデンにはわかった。あれほどの力が自分にあったら、どれだけのことが可能かと期待していたにちがいない。


 青年は手のひらを壁にむけたり、ろうそくにかざしたりして、自身の魔法を確認しようとしていた。だが、なにも起こらない。水や火をあやつれないということは、物質操作ではないということか。

 

 庭に出て宮廷魔導士を呼び、思いつくかぎりの魔法をためしてみた。物質操作、物質移動、使役のわざ。だが、なんの反応も起こらない。


「悪魔め。私を愚弄ぐろうしたか? なにも起こらぬではないか!」


 アーンソールが声をあらげるのを、魔導士がなだめる。

「もしかしたら、精神操作かもしれません。もっとも多い魔法ですから。まだお試しにはなっていないでしょう、閣下?」


「精神操作?」

 騎士はぎろりと魔導士をにらむ。「そんな魔法が、国防になんの益がある? 私が求める能力は、そのような卑小ひしょうなものではない」


 だが結局、彼の能力は精神操作であることが魔導士によって確認された。単なる精神操作ではない。魔導士はぱっと顔を輝かせた。


「時間操作です、閣下!」

「……時間操作? なんだ、それは?」

「言葉のとおりです。時間を巻き戻したり、先に進めたりすることができるのです。『時もどし』の名で魔術書に記載がございます。これは、精神操作のなかでも十人に一人ほどしか持たない希少な能力とされております」


 騎士は魔導士に教示されるがまま、自身の魔法をためしてみた。対象にむかって手をひらき、軽く念じると、魔法が発動したのがわかった。


 魔導士が手ぶりをまじえ、喜色満面で「精神操作のなかでも十人に一人ほどしか持たない希少な能力とされております」とくり返す。


 もう一度。貼りつけられたような笑み。まったくおなじ手の動き。「精神操作のなかでも十人に一人ほどしか持たない希少な能力とされております」。


 もう一度。


 アーンソールは自分でも信じがたい思いで、その操作をくり返した。十回、二十回と、そのまぬけな光景を見続けた。何度も見続ければ、結果が変わるとでもいうように。


 そして、ぽつりとつぶやいた。「……これだけか? これが、悪魔と取引して得た能力だというのか? ほんの数秒、時を戻すというだけの?」


「この能力を持つ剣士は、つねに相手の動きを読むことができ、試合において無敗であったと伝えられております」

 魔導士の声にとりなすような響きがあるのに、青年は気づいた。魔導士もまた、この能力が彼ののぞむものではないことに気づいているのだ。


「『時もどし』だと? ……精神操作など、村の老いた魔女でも持つ、ありふれた、役にも立たぬ魔法ではないのか?」

 アーンソールは吐き捨てた。

「閣下、それは……」

「この能力を持つ剣士が無敗であったと? わが任務は兵士の剣ではない。兵を率いて敵を討つのに、ことがなんの役に立つというのだ?」


 青年騎士は、足から力が抜けたとでもいうように、よろよろと館内へと戻っていった。魔導士がまだなにごとか、つまらぬなぐさめの言葉を吐いていたが、もはや気にもとめなかった。


 ♢♦♢


 ひえびえとする夏の夜だった。

 サロワは大陸の西端にあり、気候は砂漠性で、昼に暑くても夜は冷えこむ。スーリはそれが世界のふつうだと思っていた。ここしか知らなかったから。

 弟のルルーが魔導士の試験に合格し、ザカリーとともに〈思慮ぶかき光の塔〉に修行に行ってしまったので、双子があてがわれていた広い部屋にひとりで生活していた。


「わたしも、いっしょに行けばよかった」

 思ったままの言葉が口から出て、床の上にぽとりと落ちた。生まれてからずっといっしょだった弟がそばにいないことが、自分でも信じられないくらいさびしい。でも、ルルーはこのところ彼女と話したがらなかった。魔法の修行という新しい目標ができて、あれこれと話しかけてくる姉がうっとうしくなったらしかった。あるいは、美貌の騎士に熱をあげている自分をバカにしているのかも。


 スーリ自身は、自分の魔法の腕を磨くことに気がのらず、魔導士の誘いも断ってしまっていた。あれほどおそろしい術を、さらに修練し研鑽けんさんする必要があるのだろうか? 自分はほんとうに、軍属の魔女として生きていきたいと思っているのだろうか?


「でも、それがアーンソールさまのご希望なのだし……そうするしかないわ。わたしには、ほかにできることなんてないんだもの」


 そう、いつもの結論に落ち着くのだった。ほんとうは、心の奥底では、自分のそんな依存的な性格をこそ弟は嫌っているのかもしれないと思っていた。でも、そうではない自分をスーリは思い描くことができない。自立して自分の運命を切り開く女性をひとりも知らないからだった。


 思いにふけっていると、にわかに部屋の前がさわがしくなった。彼女の身の安全を守るという名目で(実際には監視のためだろうが)、扉の前には衛兵が交代で立っている。その彼らの声と、兵装の立てる音だった。


「閣下。このような夜分に――」

「どけ」


 低い声がして、だれかがなかに入ってきた。


「騎士さま……閣下」

 スーリは言いかけて、敬称をつけくわえた。入ってきたのはアーンソールだった。なにかよくわからないことを、ぶつぶつとつぶやきながら近づいてくる。……こんな時間に?


「あの……なにかご用でしょうか?」

 おそるおそる、そう尋ねる。あまりにも近づいていて、淡青の目に映る自分の姿まで見えるほどだった。あこがれの騎士の目に映る自分は、彼の不意の訪問を喜んでいるようには見えなかった。


「私がおまえより劣っているなど、あるはずがない」男の声は、ほとんど耳にそそぎこまれるようだった。

「騎士さま……」

 男のうつろな目は、スーリに父親を思い起こさせた。あの葉を噛んでいるときだけはおとなしく、暴力をふるわなかった父親。最後にあの男を見たときも、あのとした愚鈍な目をしていた。そして、金のために村の男たちを招きいれたのだ。おそらくは、あの麻薬のような葉を買う金のために。

 そして、男たちは母を――……。

 スーリは「ひゅっ」と息をのんだ。


「肉の交換、とやつは言った」

 男はスーリの肩をつかんだ。灰色の地味なシフトドレスから、男の指でたやすく肩をむきだしにされる。「おまえの肉体に、それほどの価値があるのか」


「や……やめてください、騎士さま」

 本能的にうしろに下がろうとしても、騎士の手はがっちりと彼女をつかんでいた。

 アーンソールはあいかわらず美しかったが、その荒い息と体臭は、村の男たちとおなじだった。


「なぜ悪魔が女を欲しがるのか、わかったぞ」

 男は荒い息のあいまに、うす暗くつぶやいた。「おまえたちは、その汚れた身体を悪魔に差しだしているんだろう? そうでなければ、あれほどの力を得た理由がつかない」


「なにをおっしゃってるのか、わか――」


 かろうじてそう言おうとしたスーリを、思いがけない衝撃がおそった。目の前が暗くなり、床がすぐそこにある。急に倒れこんだ手と膝が痛むが、殴られてガンガンと鳴る頭のせいでうまく考えられない。まさか、あの騎士さまが自分のような娘に手を上げたなどとは信じられなかった。


「無力な者のフリをするな!」

 アーンソールは怒鳴りながら彼女に覆いかぶさってきた。「あの力は、私のものであるべきだった。それを、おまえが奪ったのだ! あの悪魔に、汚らわしい肉体を差しだして!」

 スーリは母の最期以外もうなにも考えられず、ただ悲鳴をあげつづけることしかできなかった。殴られ、ののしられながら、しかかってくる男から離れようと腕をふりまわした。これから屠殺とさつされる豚のようだと、最後にスーリは思った……。


 ♢♦♢


 ジェイデンは顔を手でおおった。よろめきながら、自分でもなにをしているのかはっきりとはわからないままに、部屋の窓をひらいた。


「鏡の悪魔」

 小さな、だがはっきりした声で呼ぶ。「この先は見せるな」

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