Ch.7 堕ちた騎士王と、スーリ亡命の日

7-1.訪問者

 自分がのぞむような形で魔法を得られないことに、アーンソールがいらだちを感じていたとき。


 遠くドーミアの〈塔〉本部から、大魔導士のひとりを招聘しょうへいすることに成功した。


「閣下を魔女とならせることはできませんが、悪魔をびだすことはできます」

 ひよわな老人の姿をしてはいたが、大魔導士はそう約束した。「大魔導士となる条件は、自身の悪魔と対話できること。私めがおのが悪魔をび、閣下の前にお連れしてもよい」


「なんと。やはり、そのような方法があったか」

 アーンソールははやる気持ちをおさえて確認した。「ぜひ頼む」


 ♢♦♢


 今回はジェイデンにも、悪魔の姿が見えた。ヤギの頭、ヒトの半身、獣の脚。だがルルーの召喚で見たものよりもはるかに大きく、そしてまがまがしかった。


 もしこれがアーンソールの記憶で、悪魔についての描写が正確なら、今後の交渉に役立てられるかもしれない。ジェイデンはなにひとつ見逃さないよう、また聞きもらさないようにと神経を集中させた。


「いい夜ではないかね、人間よ? 月が美しい」

 それが悪魔の第一声だった。割れたような不快な声だが、おもしろがっているような響きがあった。

「森を逍遥しょうようしながら思索をふかめるのにうってつけの夜だ」


 アーンソールは美しい顔を嫌悪にしかめた。

「そのような時候じこうの挨拶は要らぬ。私が望むものを与えよ。魔女の力が、国防に必要なのだ」


「遠まわしに『呼びだされて迷惑だ』と言ったつもりだったのだが、社交辞令が伝わらなかったな」

 悪魔はヤギの顔に苦笑のようなものを浮かべた。「騎士アーンソール、我にはおまえが望むものは与えられぬ」


(ん?)

 意外な返答に、ジェイデンはだれにも見えていない首をかしげた。(? アーンソールは魔女にならなかったのか?)


「もったいぶって売値をあげるつもりなら、最初からのぞみの対価を言うがいい」

 アーンソールは凛と声を張りあげた。「私は悪魔との取引などおそれはしない。私が望むものは魔女の力、それもこの大陸でもっとも強大な力だ。どんな国も、わが国土に手出しができぬような」


「なるほど、なるほど」

 悪魔は毛ぶかい手を打った。「蛮勇ばんゆうは嫌いではない。直截ちょくさいな願望も大好物だ。自身の欲望に目を向ける勇気、昨今はこれがないが多くてこまる。その点、さすがは名の知れた騎士だけある」


「では――」


「だが、無理だ」悪魔は青年をさえぎって無情に言った。「おまえを魔女にしてやることはできぬ」


「なんだと?! なにゆえだ、悪魔」

 アーンソールは一歩足をふみだし、悪魔に近づいた。「私には願いがあり、じゅうぶんな対価を支払う用意がある。なにが不満だというのだ?」


「これはビジネスだよ、騎士アーンソール。我は公平な取引をこころがけておる。それが商売のひけつでな。……べつにおまえに不満があるわけではない。だがはある」

 悪魔は言った。「おまえには魔力をそそぐうつわがないのだ」


「……器……? どういう意味だ?」

「よい器とは子ども。女。妊婦ならよりよし。悪魔が好む媒介者だ」

 悪魔は手をひらき、どこか人間的なしぐさで説明した。こんな場面でなければ笑いをさそったかもしれない。

「成人の男には、そもそも魔法を受け入れる素地そじがないことが多い。やってみてもよいが、支払った対価に見合うだけの魔法が得られるとは限らない」


「理解できぬ」

 アーンソールは直線的にととのった眉をしかめた。「子どもや妊婦にできて、なぜ私にできないと?」


「魔法とは肉と力の交換なのだ。牝牛めうしより高く売れる牡牛おうしがあるかね?」と、悪魔。


「女。魔女から生まれた子はいい。双子ならなおのこと」

「それが、あの子どもたちに力を与えた理由なのか? 女であることが? 子どもであることが?」

「さよう」

「私の価値が……娘に劣るだと?」アーンソールの美しい顔に衝撃が走った。


 話を聞いていたジェイデンは、身近にいる魔女たちを思い浮かべてみた。彼がもっともよく知る魔女である騎士ディディエは、おそらく奴隷として売られてきたときに悪魔と契約したのだろうと、そこで気づいた。スーリやルルー、ザカリーとおなじように、彼もまた不幸で無力な子どもだったはず。それ以外に彼が知る魔女は、女性ばかりだ。あ、パトリオもいるか……。


(もし悪魔が正しい情報を伝えているのなら、アーンソールはたしかに、この条件からははずれる。契約者にはなれない)

 ジェイデンはそう考えた。(そして。では鏡の悪魔はなぜ、おれをこの夢のなかに招き入れた?) 


「おまえはなにかを隠している」

 金属がこすれる重い音がして、騎士が剣を抜いたことがわかった。「私に力を与えたくないのだな」


 剣をつきつけられた悪魔は、まがまがしい口を開いて笑った。

「いいや、騎士よ。おまえのような野心的な男に力を与えたらさぞ愉快だろうと思う。それは推奨すいしょうされてはいないのだが、やってみようか?」


「できるのなら、なぜそう時間をかける? 理解できぬ。私に屈辱をあたえたいのか?」

「対価を払えないことが屈辱だというなら、そうだろう」

 悪魔は笑顔のまま首肯しゅこうした。しげしげと騎士をながめ、おもしろそうにつぶやく。

「だが、ふむ。おまえにも、交換できるものがないわけでもない」


「……」

 アーンソールは無言のまま剣を引いた。


「おまえの、その美しい顔。気に入った」

 と、悪魔は毛におおわれた指で騎士を指さした。「魔法を使うたび、その大きさと魔力の使用量に応じて、おまえの身体の一部が我がものとなる。こういう契約はどうかね? なに、見た目が変わるわけではない」


「顔?」

 青年はいぶかしんだ。「そのようなものが対価になるのか? 悪魔ならば、わが高潔な魂を求めるものかと思ったが」


 悪魔の口もとがゆがみ、「ぐふっ」という気味の悪い音がもれた。ジェイデンには、それが笑いだということがわかった。悪魔はこの若き騎士を愚弄ぐろうしているのだ。

 細かな説明がつづけられた。悪魔に実体はなく、彼の見た目が複写されるにすぎないこと。使う魔法が小さなものであれば、ほとんど変化は起こらないこと。魔法は悪魔の属性によって自動的に付与ふよされるものであり、選ぶのは不可能だということ……。アーンソールは慎重に条件を確認し、そして、最後には合意にいたった。


「よかろう。……では騎士アーンソールよ、わが祝福を受けとるがいい」


 ジェイデンが見まもるなか、青年騎士は魔女となった。幕が下りるようにすばやく闇が落ちてきて、それが終わると、茫漠ぼうばくとした室内光のなかに騎士が立っていた。

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