5-4.眠れる森のコミュ強王子

「殿下……」

 物語の都合でちょっとが、ルルーはもちろん、簡単に承諾しょうだくしたりはしなかった。派手な面ばかりが取りざたされるが、魔法の多くは地味なもので、大がかりなものにはそれなりの検討も準備も必要になる。しかも現状は不確定な要素が多すぎる。いくらジェイデンを気に入っていないとはいえ、人身御供ひとみごくうにするような方法をかんたんに実行するわけにはいかない。姉さんにも怒られるだろうし……。


 の、ではあるが、結局、ルルーは最終的に折れた。


「やっぱり動揺してたのかな?」

 青年は足もとに寄りそうダンスタンに向かってそうつぶやいた。「それとも、バカ王子の無限のコミュ力で、悪魔と交渉して姉さんを取り戻せるとか? ……まさかね」

「ゴワッ」ダンスタンは思慮深いひと声を返した。それはだれにもわかるまい、とでも言うように。


 ♢♦♢


 スーリの寝台のわきに背もたれつきの椅子を用意し、ジェイデンはそこに深く腰かける形になった。眠りが浅くなる姿勢のほうが、万が一の事態から抜け出しやすいのではという気休め程度のものだ。


 ルルーは踊り場とのあいだに一時的なポータルをひらき、鏡とスーリ、そしてジェイデンとをひとつの結界のなかに閉じいれた。


 いよいよ、悪魔をびだす時間だ。


 ジェイデンはスーリの手を握って、彼女をじっと見おろしている。ふたりのあいだにある無意識の領域を通路でつながなければならないので、そのための措置そちだ。

 悪魔と対話するのはジェイデンの役割だが、魔導士としてこの場をコントロールする役割は自分にかかっている。


 悪魔。彼のうちにある暗い窓。


 ルルーは知らず、呼吸が浅くなっていることに気がついた。前におなじことをしたのは、大魔導士へと昇格するための試験のとき。そこで悪魔は、ごく短い言葉を彼に返した。今でも忘れられない。


『おまえは、我の思うとおりの方向へ首尾よくすすんでいる』


 それがやつらのやりかただとしても、ぞっとするような言葉ではないか? ……ルルーは首をふった。


 ジェイデンはそんな魔導士の様子に気がついたのか、茶色の目を薄くひらいて言葉をかけた。

「……魔女に呪われた姫ぎみが、百年間眠りつづけたあと、近隣国の王子のキスでめざめるっていうおとぎ話があるんだけど」

 なにを思ったのか、そんなことを口にした。


「……いま、その話するときじゃないですよ。空気読んでください」ルルーが氷点下の声色で答えた。


「思ったんだけど、ダンスタンも姫ぎみのキスで、ガチョウから人間に戻ったりしないかな?」

「ゴワッ……」(ダンスタンの困惑の声)

 ジェイデンはまったくりずに話し続けた。空気が読めないわけではなく、必要がないときには読まないのがコミュ強たるゆえんなのだ。

 さらに。

「悪魔に呪われた王子が眠りからさめなかったら、だれにキスしてもらえばいいのかな?」


「ちょっといっぺん黙ってもらえます??」

 ルルーはガチギレというにふさわしい怒声をあびせた。そして、そのいきおいのまま悪魔をびだすプロセスに入った。


魔導書グリモワール!」

 その呼び声とともに、バサバサッという紙の音がいくえにも重なって響いた。ジェイデンはルルーが呼びだして開いた魔導書の物量におどろいた。部屋の半分を埋めつくそうかという、数百冊もの魔導書たち。装丁も厚みもさまざまな本と、ページがめくれる風の音。これらは悪魔をびだすプロセスではなく、スーリたち三人を守るための準備だ。


 青い光がぶわりと、部屋の中央に出現した。光は白くきらめきながら魔法陣を浮かびあがらせる。ひとつが完成したと思うと、次の瞬間には対になるようにふたつの魔法陣。四つ。八つ。倍々に増え、ある瞬間、目視で数えられないほどにふくれあがる!


「来い、わが暗き窓たる悪魔よ。私はおまえを使役しえきする者ルラシュク」

 ひと呼吸の間。「上級悪魔ケブラストル」


 魔法陣が輝きを増し、部屋のなかは昼とみまごうほどに明るくなった。中心からは超自然の風が吹きだして、室内のあらゆるものをなびかせる。


 そして、悪魔があらわれた。


 煙のなかから小山のような頭部が見え、しだいに全容があきらかになる。悪魔は、奇妙なことに、ジェイデンが問答書で見た挿絵とまったくおなじ姿をしていた。ヤギの頭部、毛むくじゃらのヒトのような身体、ヒヅメのある足。

 

「ルラシュク、わが光さす窓よ」

 地響きのような非人間的な声で、悪魔はしゃべった。「おまえとまた対話するのを楽しみにしていたが、今宵こよいはずいぶん、客が多いようだ」


「ケブラストル、わがしもべたる悪魔」

 ルルーは落ちついた声音で言った。「おまえの同胞どうほうが、僕の姉をその窓なき家に閉じこめている。彼女を取り戻してくれ」


 ケブラストルと呼ばれた悪魔は、さし示された鏡を見やった。「ふむ」


 しばらく考える間をおいてから悪魔は言った。

「我には、あの鏡の悪魔に干渉する権限がない。……だがその代わり、そこの人間をわが家に招きいれてもよい。鏡の悪魔をともに招けば、両者が対話できるだろう」

「……やはり、それしかないのか」

 ルルーはため息をついた。「どれほどの危険がある? 彼はただの人間なんだ」


「おお、だれでもそうなのだよ、わが窓よ」

 悪魔は笑い、ジェイデンのほうを見た。「わが食卓につく気はあるかね、若き王子よ?」


 彼が確認するように見てきたので、ルルーはうなずいてみせた。返答してもよいという意味だ。

「ああ。それで彼女を取り戻せるならば」ジェイデンは答えた。


「では、わが家に招こう」悪魔は言った。「案ずるな。決めるのはつねにおまえたちの側なのだ」


「わかった」スーリの手を握ったまま、王子はうなずいた。


「心配だ」ルルーがつぶやく。

「話しあいが通用する相手じゃないとわかったら、そのまま逃げかえってくるから」

「そう願いますよ」


「では、王子を連れていくぞ、わが窓よ」

 悪魔は最後にふり返り、奇妙に人間的な表情でつぶやいた。「よい晩を、大魔導士ルラシュク」


 ♢♦♢


 行ってしまった……。


 眠る王子を見下ろし、ルルーはふと不安になった。


「もし、姉さんの昏睡こんすい自体が、ジェイデン王子を魔女にしたい悪魔の罠だったらどうしよう?」


 そして、これまでまったく評価してこなかった彼のコミュ力の高さに、祈るような期待をこめた。


「なんとか誘惑を断ってきてくださいよ、ジェイデン王子。あなたを魔女になんかした日には、サロワとアムセンの第二次戦争だ」


「ゴッ……」ダンスタンも、めずらしく不安げな様子だった。

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