Ch.6 魔女の誕生

6-1.地の果ての双子たち

 炎の夢を見ていた。


 目をさますと炎はなく、ジェイデンはヒョウヒョウと鳴る風と一面の砂色のなかに立っていた。一面の曇り空。遠くでザーン、ザーンと波の音が聞こえる。海があるのだろうか。


 なぜこんな場所にいるのだろう? ルラシュクの悪魔は、彼の家に招くと言った。そこでスーリをとらえている悪魔と交渉するつもりだったのだが、見たところそのような存在は見当たらない。


「スーリ」


 彼女を探さなければ。悪魔よりも先に。


 そう思った時点で、ジェイデンは自分がまた夢のなかにいることにうっすらと気がついた。自分は夢の論理で動いている。ふだんの自分とはちがう行動原理で。


 そこはアムセンではなかった。アムセンに海はない。サロワか、コラールか。なんとなく、そこがサロワだという気がした。スーリの故郷ではないだろうか? 彼女は海沿いの寒村出身だと、前に教えてくれた……。


 住居のあるほう、ひとの気配のあるほうに歩いて行くと、ほどなくして彼はひとりのおさない少女を見かけた。波打ち際にしゃがみこんで、濡れた砂に棒きれでなにかを描いている。


 鼻の奥がなぜか痛む。泣きたくなるようなその感覚で、ジェイデンは彼女だとわかった。


「スーリ」

 声をかけても、少女はこちらに気がつかなかった。小さな背中を丸めて熱心に手を動かしていたが、じきに飽きたのか、やめて立ち上がる。一瞬、周囲を見まわした少女の目がジェイデンのほうを向く。薄墨色の、こぼれおちそうなほど大きな美しい瞳。


「スーリ。おれだよ。気がついてくれ。目をさましてほしいんだ」

 ジェイデンがせつせつと訴えても、少女は気づくことなく、ふいとあらぬほうを向いてしまった。その肩に手をかけようとして、彼は自分の身体が物体をすりぬけることに気がついた。


「実体がない」彼は自分の両手にむかってつぶやいた。


 少女がどこかへ向かって走っていく。ジェイデンはほとんどなにも考えずに、彼女を追っていた。


 ♢♦♢


 海沿いの、貧しく野蛮な寒村が、双子の故郷だった。


 扉もない、竪穴たてあなの上に建てたような粗末な家だ。入口はボロ布がかかっているだけの入り口から、スーリはそっと屋内に入った。ジェイデンは自分の身体がやはり布を透けるのを確認して、入り口近くからなかを見た。

 酒くさい不潔な男が目の前に立っていて、少女が首をすくめた。なるべく目立たないように、男の視界に入らないように。そうしないと殴られるからだとジェイデンにはわかった。


「酒がねえな。買ってこいよ、ルドヴィガ」

 男はひび割れた声で女に命じた。部屋のすみでだらしなく眠っていた女が、めんどうくさそうに顔をあげる。

 その顔を見て、ジェイデンは思わず息をのんだ。白く美しい顔、薄墨の瞳、小さな鼻とばら色の唇。そこにあったのはスーリそっくりのおもだちだった。男はにやけた顔で女におおいかぶさった。

 

「金がないんだよ、この〇〇無し野郎が。臭い身体でサカってんじゃないよ」

 美貌に似つかわしくない野卑な言葉でののしると、女は男を押しのけようとした。なまめかしい脚が見えて、目をそらさずにはいられなかった。こんな女性が、スーリの母親だなんて。


 そう、まちがいなく親子の血を感じさせるその美貌で、ジェイデンはすぐに女性の素性がわかってしまった。彼女が置かれていた環境も。


 なぜ自分は、こんなものを見ているのだろう?

――いや、のだ。以前にザカリーがおなじような夢を彼に見せたことがある。鏡の悪魔も、なんらかの意図で自分にスーリの過去を見せているのだと、ジェイデンは推測した。


「あっちへ行きな。じゃまだよ」

 母は少女を追い払った。少女があわてて外に出ると、忘れていた影のように、少年がひとりついて出てきた。弟のルルーだろう。


 麻袋をやぶいただけのぼろ布のような服を着て、垢じみた髪に裸足。王都では浮浪児さえ、こんなにひどい格好はしていなかった。


「おなかすいたねぇ」ルルーがとほうに暮れたように声をかける。

 スーリは弟の手をつないでやった。

「おばさんのところにいこう」

 ふたりはとぼとぼと、粗末な小屋がつづく集落を歩いて行く。


「これで我慢しな」

 魚の切れはしが浮いた、ほとんど水のような粥を、女性はさしだした。その顔立ちに、いくらかスーリに似たものがある。もしかしたら親族かもしれない。もっとも、こんな寒村では親戚たちが集まっていて当然かもしれないが。


「あんたたちの母さんがくれてるおかげで、うちもちょっとは助かってるからね。それがなかったら、あんな家にうちの子を近づけさせないんだけど」

 女性はそう言うと、なにか病気でもうつるかのように双子を追い払った。



 子どもたちの日々はたんたんと続いた。


 毎日腹をすかせて村をうろつき、村民たちからじゃけんに追い払われていた。双子たちが家にあまり寄りつかなかったのには、いくつも理由があった。あまりに貧しくて家に食べるものがなかったし、母親は不機嫌で子どもたちに当たり散らす。父親は漁師のようだがろくに海にも出ずに酒びたりで、なにくれと理由をつけては妻や子どもを殴った。ときにはあやしげな葉を噛んで口まわりを黒く汚していることもあり、そのときはそまつな家のなかが平和になった。葉を噛んでいるときの男はとろんとした目つきで、妻子を殴ることはなかったからだ。


 女は暴力こそふるわなかったが、母親らしい情愛を見せることはついぞなかった。

「おまえたちさえいなければ、こんな場所、とっくに出ていくのに」

「女なんて産むんじゃなかった。なんの助けにもなりゃしない」

「男なんて産むんじゃなかった。けがらわしい。ちょんぎってやったほうが、この子のためだよ」

 女は子どもを愛していないようだったが、とくに弟のルルーには厳しく当たった。男の象徴を切ってやるなどと脅すので、少年は身を固くして姉の後ろに隠れた。そうすると、母はよけいに語気を荒くするのだった。


 双子の母が男たちすべてを憎んでいる理由は、すぐにわかった。貧しく、娯楽もなく、非文明的なこの村で、美しい女がどんなあつかいを受けるのか。


 見るにたえない、悲惨で、陰うつな子ども時代だった。このままこの夢のなかで、この場所から、彼女の過去をやりなおせないかと思うほどだった。


(だが、過去は変えられない)ジェイデンは自分に言い聞かせる。(おれが救えるのは、いまの彼女だけだ)


 陰惨な日々は続き、そして、運命の日がおとずれた。


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