5-2.めざめないスーリと、ルルーの調査

「――姉さん!」


「わっ」

 ルルーが部屋に転移すると、まっさきにマルクの驚きの声があがった。

「びっくりした、閣下、お早いですね」


 青年は弟子を無視して、かつかつと寝台に駆け寄った。姉のスーリがそこに寝かされている。高級な白い寝具に、おなじ色をした髪がさざなみのように広がっていた。布団の下の胸はかすかに上下し、たんに眠っているだけで急を要するようには見えなかった。だが、ルルーの目にはそれが尋常ではないことがわかった。彼女のまわりにうっすらとただよう魔法の気配も。


「ああ、僕が鏡の話なんかしたから……」

 ルルーは悔やみつつ、ようやく弟子のほうをふり返った。「姉さんの様子は? いったいなにがあったんだ?」


 ♢♦♢


 マルクによれば、ルラシュクから鏡の話を聞いたスーリは、好奇心から実物を見に行くことにした。半刻(一時間)ほど前のことである。


 魔法の性質を確認するための試薬をマルクに借りてから、鏡のほうへ向かったようだ。夕食前の忙しい時間帯であり、使用人たちは厨房と食堂に集まっていたから、スーリの動きを見ていた者はその場にいなかった。


 異変に最初に気がついたのは、厨房から食事を運ぼうと急いでいた女性使用人のひとりだった。「泣き女バンシーのようなおそろしい声が聞こえる」と、あわてて男性の使用人を呼びに行き、声がするほうへ確認に向かった。


「ビィーィイイアア、キーィイイイア……」


 二階と一階の踊り場あたりから聞こえてきたのは、森の魔物のような、ガラスを引っかくような、聞いたものが不安に駆られる不吉な声だった。そして、バサッバサッという羽音。駆けつけた使用人たちが見たのは、踊り場でぐるぐると旋回している白いフクロウと、その下に倒れている白い人影だった。


 部屋にひきこもっていたスーリのことを知らない使用人も多く、白髪はくはつの若い女性を魔物だと思って悲鳴をあげた者もいたらしい。給仕中の執事がすぐにやってきて、屋敷に滞在中の婦人であると説明し、居室に運ばせた。食事中だったあるじの指示で医者が呼ばれた。


 医者によればとくに医学的に危険な所見はなく、おどろいて気絶しただけではないかと言って帰っていった。「若い女性にはよくあることですから」と。が、鏡の件を師匠から聞いて知っていたマルクはイヤな予感がしてたまらなかった。たしかに線が細い女性ではあるが、話に聞くスーリはヒステリーを起こすようなタイプではないし、死者の術が鏡の魔法との親和性が高いのも気にかかる。すぐに師匠に知らせよう……。


「ただしい判断だ」

 まだ殺気だっているフクロウの子どもを指でなだめながら、ルルーは短く言った。「僕がまぬけだった。姉さんにあんな話をしたから……。それに、あのバカ王子に呼ばれて様子なんか見にいかなきゃよかった。ほっておけば、筋肉鎧がバカ王子を連れて帰るだけだったのに」


 ルルーはすぐに、原因と思われる鏡を確認しに踊り場へ降りていった。


「わっ、なんかへんなことになってる」

 先に声をあげたのはマルクだ。


「……これは……」

 ルルーは鏡の前で絶句した。まだ日も落ちていないというのに、鏡は夜を映したように真っ黒になっていたのだ。あいかわらず術者の気配はないが、スーリの周囲にただよっていたものとおなじ魔法であると彼は直感した。


「すぐに、魔法の種類を特定しないと。マルク、部屋に戻って僕の術具カバンを持ってきてくれ」

「ここに立ち入らないように、ユスフ氏に連絡してきましょうか?」

「いや、それはあとでいい」

 マルクが階上へあがっていくと、ルルーは杖先で踊り場の四隅をついた。青い光が一瞬、壁のように踊り場をつつむ。鏡の周囲にだれも立ち入らないよう、幻術で踊り場の先を見えなくしたのだった。



 日が沈んで夕食の時間を過ぎても、ルルーは鏡の前にしゃがみこんで術の特定に没頭ぼっとうしていた。だが、いくら試薬をふりかけても、とっておきの術具を使っても、かけられた術を特定することはできなかった。ルルーは次に、鏡の魔法を目撃した二人の使用人に話を聞いた。マジックアイテムだとすれば、なんらかの発動条件があるはずで、この二人と姉の共通点を発見すれば、条件を推測できると考えたのだ。


 だが、推理はなかなかまとまらなかった。鏡のなかで最初に亡くなった父を見たという料理女と、次に少女を見た若者、そしてスーリは、年齢も性別も出身地もちがう。まして、魔力の有無はまったく関係なさそうだ。


 しかし、まったくのランダムであるとも言いきれなかった。最初の女性が亡父を見つけるまで、鏡は長年なんの異変も起こさなかったのだ。それから若者、つぎにスーリと、これらのできごとは連続して起こっている。もちろん、たてつづけに三度起こる偶然も考慮にいれる必要はあるが、より合理的な推論としては――


なのか?」

 ルルーは小さくつぶやいた。「マジックアイテムじゃなくて、もしもが悪魔なら、作動条件が一定しなくても不思議じゃない」


 ルルーはその考えに心ひかれた。


「料理婦は父を亡くしたばかりで、彼のことをしきりに考えながらこのあたりを通りかかった。鏡にうつった自分の影がふと亡父を思い起させ、こう願った――『まぼろしでもいいから、父さんに会いたいわ』。そして、父の姿を見た」

 考えをまとめるために、ぶつぶつとひとりごとを続ける。

「たぶん彼女は、亡父の姿が鏡に映ったことを何人かに話しただろうな。そして、夜の勤務を終えた若者があくびをしながらやってくる。『そういえば、この鏡には自分が見たい人が映るんだっけ』。『それなら、未来の花嫁なんか映ったりしちゃわないかな?』」

 うん、とうなずく。たしかに、すくなくとも最初のふたりには『願い』がある。会いたい人を見たいという願いが。


 ただ、不審な点もある。通りすがりの凡人をだれでもいいから引きずりこもうとする、アリジゴクのような悪魔は、これまで見たことがなかったのだ。彼の知る悪魔は、これと決めたターゲットが、魔法をもっとも望むタイミングを見計らってやってくるものだったから。


 とはいえ、いたずらに人をたぶらかそうとする悪魔がいないわけではない。かりに鏡の正体がそういった野良ノラの悪魔だとして(かりに「鏡の悪魔」と呼ぶことにする)、この悪魔とコンタクトを取るためには――


「ルラシュク閣下」

 考えごとを邪魔するタイミングで、呼びかけが入った。うやうやしい態度でそばに寄ってきたのは家令かれいだ。

「ホレイベル伯爵ヘクトル閣下がいらっしゃいました。閣下にお目通めどおりを希望なさっております」


「ホレイベル……なんです?」

 ルルーはけげんな顔になった。「そんなしりあいはいませんよ」


「伯爵はロサヴェレをふくむ東部の領地を、陛下よりまかされて統治されておられます」と、家令の説明。


 つまり、領主か。

「ご用件がおありなら、出直していただけるようお願いできますか? 見てわかるように、家族の一大事なので」


「いえ、それが……、伯爵はさる重要な人物をお連れになっておりまして……」

 奥歯にものが挟まったような家令の口調で、ルルーにもようやくことの次第が飲みこめてきた。面会を断れないような後見者をともなってやってくる、迷惑きわまりない人物。いまこの場でルルーには一人の男しか思いあたらない。




「……やっぱり、あの場で脚くらいもいでおくんだった。僕はいつもツメが甘いんだ」

 がらにもなく舌打ちしながら応接間に向かう。目に入ってきたのは、恐縮しきっている様子のユスフと、おうような笑顔で話しかけているホレイベル伯爵とやら。


 その隣に立っていたのは、もちろん、ジェイデン王子だった。

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