4-5.前門の虎を後門のオオカミにぶつける作戦
その場にいた、ジェイデン以外の男たち――
巨大犬にじゃれつかれて倒れそうになっていたオスカー、ガチョウのダンスタン、彼に剣を向けていた全身鎧のディディエが、頭上に大きな疑問符をうかべた。
「…………。…………?」
「ジェイデン殿?」
「殿下?」
三者三様にけげんな顔をしたが、ジェイデンだけは真剣なおももちで虚空を眺めている。
一番はやく動いたのは、やはり、ディディエだった。剣を左手に持ちかえ、王子のほうに向きなおる。
「殿下。いまのは、あまりよい陽動とは言えませぬな」
「ジェイデン、気をつけろ――」オスカーの警告。
ディディエの右腕を中心に、まるで砂漠を移動する蛇のようにすばやく、縄がうねった。
縄は鎌首をもたげるように動き、王子を狙いさだめた。ぶん、とうなりをあげて飛んでいこうとする縄。対するジェイデンは身動きもしない。オスカーは警告もむなしくとらえられる親友の姿を想像したが、縄はなぜかそこでぴたりと止まった。
「ムッ」ディディエの顔に緊張がはしった。「なぜ縄が動かぬ?」
その疑問に答えるはずの者は、彼らの頭上高くに浮いていた。気持ち良い春の青空に、灰色の影。
灰色と黒を基調にしたローブには、三角を組み合わせた雷紋様。綿花の髪色と
「ルラシュク」
落ちついた声で呼びかけたのはジェイデンだ。「やっぱり来たか」
「ジェイデン王子」
虚空に浮かぶ大魔導士は、馬鹿にするような冷たい声で応じた。
「なんでそんな
「……でも、きみは来ただろ」
ジェイデンは冷や汗を感じつつも、表情には出さないようにつとめた。「どうせ、おれにも追跡の魔法かなにかかけてたんだろう?」
「そんなことしてませーん」
ルルー(ルラシュク)はそっぽを向いた。「仕事の途中で、たまたま通りがかっただけでーす」
予想外の反応をしたのが、鎧の大騎士だった。
「大魔導士ルラシュク」
ディディエは宙を見あげ、獣めいた警告のうなり声をあげた。「<サロワの
「魔法騎士ディディエ・ド・リラヴァン」
どうやらルルーのほうも、見下ろす相手に見覚えがあるらしかった。「アムセンのぼっち魔女が、僕の姉さんをどうするって?」
「私を魔女と呼ぶな! 汚れたものどもめが」
「ええー、あなただって魔女でしょ?」
ルルーは馬鹿にしきった表情だ。「たまにいるよね、『俺は魔女じゃなくて魔術師だ~!』って真っ赤になるひと。呼び名なんてどうでもいいだろうに」
「だまれ!」ディディエが吠えた。
ルルーは鎧騎士に向けていた冷たい目を、ジェイデンのほうに向けて見下ろした。
「ジェイデン王子。どうしてこんな頭の固い、むさくるしい魔女を連れてきたんですか? 僕に対抗させようって計画なのかな? 姉さんに頭のお薬もらったほうがよくないです?」
ただしくはディディエはべつに連れてきたわけではなく、王都から彼を追って来たのだが、あえて説明はしなかった。
「対抗させるわけじゃなく、手伝ってほしいんだ」
ジェイデンが答える。「彼をここに足止めしておかないと、スーリが危ないのは事実だ」
青年は「ハァ」とため息をついた。
「それで僕を呼んだ? けっこう
「それが三男の処世術だよ」
「だいたい、危険があるのは姉さんじゃなく、姉さんとあなたの将来でしょ。それなら、べつに僕には関係ない」と、ルルー。
「いいや。<
ディディエは森の奥をわたってくる不吉な風のような声を発した。
「あのね、言っておきますけど――」
「殿下。後ろに下がっていてください」
ルルーの声をさえぎった騎士は低い声で警告し、黒い巨大な手のひらを空に向けた。
「魔導士との戦いは先手必勝。おくれを取れば、騎士の一軍でも
ゴオッという轟音とともに、火の玉がルルーめがけて放出される。
ルルーはその場から動かず、豪速の炎で白髪がオレンジに染められるほどの距離になっても、表情すら変えなかった。
「無駄だって言うつもりだったんだけどな」
杖の先端、オーブの部分をさっと火の玉にむけると、まるで手品のように火が掻き消えた。
「国で一人の魔女だからってちやほやされて、自分が強いみたいにかんちがいしてるのかな。井の中の蛙ってかわいそう。……あなたの高速移動は、僕の魔法の下位互換なんですけど?」
ディディエは返答しなかった。地面に向かって「翼よ」と小声で命じると、一度ひざを曲げて力をためてから一気に跳びあがった。移動魔法を地面のがわにかけ、その勢いで
常人ではない高さまで跳びあがり、剣と縄とで同時にルルーを狙う。すさまじい速度。切っ先が届くかに思われたが、青年はふっと姿を消した。ディディエは重力にしたがって落ちながら、虚空に向けていくつも炎を放つ。
ルルーはディディエの真後ろに転移した。なにをするのかと思いきや、魔法の杖をこん棒のように使って騎士の頭をふつうに殴った。
ディディエは不意の攻撃など完全に読みきっていたとみえ、背後に向かって縄を飛ばす。ルルーはまた消えた。縄はしゅるしゅるとディディエの周囲をめぐる。
ふたたび、上空にルルーの姿。ディディエもまた跳びあがる。
斧が宙を舞い、うなりをあげてはげしく回転しながらルルーを狙う。瞬間移動でかわした先にも、軌道を変えて何度も。だが、青年はそれをなんなく避けた。
空中に放たれる火の玉、斧、縄、そして長剣まであやつっているディディエ。そして、まるで手の内がすべて読めているかのように攻撃を避けるルルー。
「
その言葉とともに空がかげり、青あざのような色合いから閃光がはげしく走った。一瞬の間ののち、轟音。自然現象そのもののような雷がディディエを狙う。騎士はさっと身をひるがえしてそれを避けた。落雷の音にひとびとが驚くなか、ふたたび攻撃に転じる。目にも見えないほどの
「ディディエ。あいつ、俺たちのときには相当手加減してたんだな……」
オスカーがぼうぜんとつぶやいた。
「歩く
「わーっ、なにごとですかっ?! えっ、あれルラシュク閣下じゃないです???」
「パトリオ!」
空中戦におどろき恐怖しながらこっちに走ってくる男。馬と荷物を取りに戻っていた魔女パトリオが、ようやく合流したのだ。
「よし。ディディエには悪いが、今しかない、逃げよう」
ジェイデンは一行をうながし、くるりと身をひるがえした。おたがいに戦力を削りあってくれればいちばんいいが、かりにディディエが劣勢であっても、ジェイデンたちがいなければ単騎で逃げられるだろう。
が、そううまくはことが運ばなかった。
「どこに行くんです?」
「わっ」
馬のくつわを取ろうとしたジェイデンの脇を、熱光線のようななにかが走り抜けた。革のジャーキンをかすったらしく、焦げくさい匂いが立ちのぼる。背中を冷たい汗がつたった。
「逃げ足だけは速いのがご自慢みたいですね? ジェイデン殿下?」
ルラシュクの冷たい声が降ってきた。
どうやら、作戦3も失敗に終わる……かもしれない。
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