3-5.騎士ディディエはなんでもできる

 場所は、ロサヴェレにほど近い町の中心。緑のなかに目立つ石造りの市庁舎の裏手の広場で、ジェイデンたちは追っ手から逃げまどっていた。鎧甲冑よろいかっちゅうの巨漢の名はディディエという。後方にはとらえられたオスカーが、縄で縛られてイモムシのように転がされており、彼らとは距離がひらく一方だった。


「父ぎみの再三のお召しにも応じず、王族としての婚姻の義務を放りだして、魔女にうつつを抜かされようとは。情けのうございますぞ、ジェイデン殿下」

 ガションガションと鎧の音を響かせて王子を追いながら、巨漢は嘆いた。


「ディディエ。悪い」

 追われるジェイデンはさっそうと逃げながら、簡素に謝った。「を埋めきったら王都に戻るし、父上にもちゃんと説明するから。あと、アグィネア姫の件なら正式に断ったよ」


「それが無用だというのです!」

 ディディエは静かな口調で、ただ声量をあげた。嵐のうなりのような声なので、それだけで迫力がある。「やはり、殿下を誘惑するすべての魔女をほろぼすべし。手はじめにそこな犬の魔女をほうむってさしあげます」


「やめろ、ディディエ――」


 制止しかけたジェイデンのすぐ脇を、明るいオレンジのなにかが豪速で追い抜いていった。


 ♢♦♢


 さて――ジェイデン一行のピンチではあるが、ここで少しばかり、追っ手の半生はんせいについて語ろう。


 奴隷出身の騎士であるディディエ・ド・リラヴァン子爵は、「なんでもできるヤツ」といわれて育ってきた。


 ものごころもつくかつかぬかという時分に、南の大陸から商品として売買されてきた先で、少年をあきなった奴隷商が最初にそう言ったのである。


「こいつ、なんでもできるんスよ」

 奴隷商は快活に、しかしすこし不思議そうに商談相手に告げた。

「床を磨かせても、皿を洗わせても、馬の世話をさせても、はじめっから完璧にやっちまう。一回も教えてないのに、ですよ。見よう見まねでさ」


 そして、いくばくかの苦みをのせてこうまとめた。「うちの業界では、こういう子がたまにいる。浮き世をなんとか生き抜くために、神がをあたえたんでしょうかねぇ」



 少年を買ったのはさる大公の家に仕える家令かれいで、当時のドーミア帝国では着飾った奴隷を小姓として置くのがちょっとしたブームだったのである。見た目がめずらしいのも好まれ、黒い肌の少年はうってつけの商品だった。


 ごてごてに着飾られ、おかしなえりのついた服を着せられるのには閉口へいこうしたが、アスシーダル大公家は悪い奉仕先ではなかった。どんな持ち場でもすぐに仕事を覚えたから、どこへ行っても重宝され、すなおな性格で大人にかわいがられた。


 アムセン=グライシーア大公、あるいは勇猛公エデルブレヒトには三人の男児と二人の姫がおり、うちのひとりが、ジェイデンの父リグヴァルトであった。博学で好奇心旺盛だった小さな公子は、おなじ年ごろのディディエに興味をいだき、ふたりは親交をもつことになる。


「おまえ、なんでもできるんだってな」

 光さす明るい庭で、公子リグヴァルトは少年にそう問いかけた。「あの木になっている実をってこれるか?」


「はい」

 ディディエは木の高さと枝ぶりを確認して、簡潔に答えた。それから、公子への礼儀を思いだし、じょさいなくつけくわえる。「公子さまのお望みとありますれば」


 するすると木に登って実をもいでくると、リグヴァルトは明るい茶の目を見開いて驚きをしめした。「獣のようにすばやいのだなぁ、おまえは」


 そのたとえはあまり好きではなかったが、ディディエはただ控えめな感謝を述べた。こういうふうに能力をためされるのはしょっちゅうだったから、いちいち目くじらを立てたりはしなかった。

 リグヴァルトがほかの者とちがったのは、すぐに飽きずにディディエへの興味をもち続けたことだった。


「仕事はできるし、運動もできる。だけど学問のほうはどうかな? おまえに文字が読めるだろうか?」


 もちろん、すぐに読めるようになった。リグヴァルトが命じた家庭教師が、ほんの数日教えただけで、公子が一年前に読んでいた初級の幾何学までそらんじてみせた。その神童ぶりに周囲はずいぶん大騒ぎしたのだが、リグヴァルトは少年の能力が彼にとって当たり前のものであることを理解して、以降おどろかなくなった。


 リグヴァルトが彼にやらせたことはほかにも数多いが、そのうちのひとつは、かなり耳目じもくをあつめるできごとだった。魔法である。


「おまえはんだよな、ディディエ」

 すでに青年になりかかっていた公子は、大公に拝謁はいえつしていた魔導士を遠くに見ながら、ふとつぶやいた。まったくの思いつきだった。「もしかして、使?」


 やはり青年になりかかっていたディディエは、いつもどおりに思慮ぶかく答えた。

「公子さまのお望みとありますれば、やってみましょう」



 ♢♦♢


 ……という、有名な彼の逸話を思いだしている、オスカーである。


 ジェイデンのほうに意識が向いているのをさいわいに腹筋で起き上がったはいいが、縄をほどこうとぴょんぴょん跳んでいるところに炎のかたまりが襲ってきた。背後にも出せるのかよ、あれ。


「わああ」

 彼はあわてて頭をめぐらせ、飛んでくる火の玉を避けた。

「なんで、それで、魔法が使えるようになるんだよ!!!???」


 『やってみましょう』で『できちゃった♡』では、だれも苦労はしない。仕事も学問も運動も完璧にこなし、しかも、魔法まで? なかば伝説上の逸話とはいえ、にわかには信じられない話だ。


 もちろん、オスカーが知らないだけで理由はちゃんとあった。過酷かこくな環境におかれた子どもは、自分でも気づかないあいだに悪魔と契約していることがあるのだ。そういう例は「塔」でも散見さんけんされていて、おさないうちに奴隷商に売られた少年に悪魔がついていても不思議ではなかった。今この場にルルーがいれば、とくとくと説明してくれただろう。


 だが、周囲はそうは思わなかった。「ディディエはなんでもできるんだなあ」と思った。いつもどおりに。


 ……三人が火の玉から逃げ惑っているあいだに、もうすこしだけ昔話を続けよう。


 魔法の才能をしめしたディディエを、リグヴァルトはおおいに重用した。師匠をつけて剣同様に才を磨かせ、自分の側近として取り立てた。そして――話の都合で多少が、リグヴァルトが腐敗した国に見切りをつけて独立する際には多大な戦力として大活躍した。その勇猛無比の戦いぶりは一騎当千という言葉ですら生ぬるいといわれた。当時、ディディエのふたつ名は〈一人騎士団〉〈歩く災厄〉。彼は、生まれたばかりのアムセン国で唯一の魔法騎士となった。


 戦後、彼は独立に際しての多大な功績を認められて叙勲じょくんされ、領土と爵位をもつことになった(書き忘れていたが、すでに自由民となっていた)。将軍として引き続き軍務にあたるよう請われたが、首をたてにはふらなかった。

 そして栄達えいたつに背をむけ、大恩ある主君リグヴァルトの息子、目に入れても痛くないかわいいジェイデン王子の家庭教師という職を、みずから望んだのである。


 このときの彼の言葉もまた、世に有名なものである。

「争いを憎み、学問を愛する、惰弱だじゃくな男でございますゆえ……。どうか、ご寛恕かんじょを」


 ♢♦♢

 

 『争いを憎み、学問を愛する』……。

 なんかかっこいい感じのセリフだが、三名はいまさら感銘を受けたりはしなかった。


「むしろ『ぼく戦争大好きです』って顔してません???」ひいひいと息を切らして走りながら、パトリオが叫んだ。


「そういう偏見はよくないぞ、パトリオ」

 俊敏に攻撃をかわしながら、ジェイデンがさとした。「ディディエが戦争を憎んでいるのは事実だ。暴力を嫌う優しい男なんだよ」


「ではいま、われわれが受けている火の玉はいったい???!!!」

「責任感が強すぎるところはあるんだよなぁ、ディディエは」


「っていうか、この追跡をずっと受け続けるんですか?! ロサヴェレまで??!!」パトリオの悲痛な声が響きわたった。


 この状況では、ロサヴェレに向かうどころか馬に乗れるかどうかもあやしい。オスカーも救出しなければならないし……。

「いや……ここでなんとかしなきゃな」

 ジェイデンはそう言うと、頭の中で簡単に計画をった。四人の置かれた状況、それぞれの能力、そしてディディエの能力と戦いかた。勝算は薄いが、勝つ必要はない。ロサヴェレに移動するまで、彼の足止めをするには……。


「よし、全員でやってみよう」なおも走りながら、ジェイデンは小さくつぶやいた。



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