3-6.好きな人と、ずっといっしょにいたいタイプなのよ

 場面は、ふたたびロサヴェレの商人邸へ。


 午後になると、スーリの体調もいくらか復活してきた。差しいれた菓子を食べ、本を読んでおとなしく過ごしているようだ。


「逃げだしたりなさらなくて、よかったですね。お姉さん」

 報告者であるマルクの言葉に、ルルーは余裕の笑みを浮かべた。

「ふふん。姉さんのあつかいは熟知じゅくちしているさ。なんといっても、脳内お花畑王子とは年季がちがう」


 陽当ひあたりのいい窓辺に座らせてお菓子と本を与えておく、ということなら、伝え聞くジェイデン王子のやり口もさほど変わらないように思われたが、マルクは黙ってうなずいておいた。


「それより、僕の古い寝巻を着た姉さんを見たか? 子犬みたいで、ほんとにかわいいんだから。袖があまってて」


「いや……それは、見てないですけど」

 というか、世話で出入りするときに見たには見たのだろうが、記憶に残ってはいない。いくら美人でも、上司の姉のボロい寝巻姿に興奮するようなマニアックな性癖はマルクにはなかった。


「さて。そろそろ外出する気になってくれたかな」


 上機嫌で姉の部屋にむかうルルーを、弟子はなまぬるい目つきで見送った。


 ♢♦♢


 姉スーリはマルクの報告どおり、窓ぎわで本を読みながら静かに過ごしていた。今日の一冊は『鱗翅類りんしるい学概説 研究のための採集手引きつき』。虫嫌いのルルーには嬉しくない内容だったが、本に熱中してくれるのはありがたい。


(姉さんはなんでか昔から、虫とか好きなんだよなぁ)


 イナゴの佃煮つくだにのサンドイッチを食べさせられて失神したことを思いだし、思わず「うげっ」とつぶやきそうになる。だが、ムシだのコケだのといった気持ちの悪い生き物にも慈愛のまなざしを向ける姉だからこそ、羽虫のように男たちが群がってくるのかもしれない。ルルーはかたよった推測を深めた。


 まあ、この家では佃煮を食べさせられる心配はない。スーリはほっそりした指で菓子をつまんで、小さな口でかじっているところだった。


 アーモンドクリームの入ったベニエが、陶製の鉢に盛られている。ルラシュクは自分でもひとつ取って口に放りこんだ。菓子はもうあと数個というところ。


 スーリがつぎのベニエを取ろうとしたところを、ルルーは「めっ」と制した。


「お菓子ばっかり、ちょっと食べすぎだよ。昨日も夕飯は食べてないだろ?」

 声かけに姉が顔をあげる。「ルルー」


 青年は中腰にかがんで目をあわせ、口はしについた粉砂糖をぬぐってやった。

「今朝は着替えてるね。よしよし」

 姉の格好を見て満足げにうなずくが、ふといたずら心がわく。わざとらしく首をかしげて、「……姉さん、なんか、太ってきてない?」と聞いた。


「そ、そんなことないわよ」

 スーリはあわてて取りつくろった。思ったとおりの反応が返ってくるので嬉しくなる。


「ほら、おなかがちょっとつまめるよ」

「くすぐったい!」

「持ってきた服、入る? ぱつぱつじゃない?」

「やめてよ、ルルー」

 くすぐったがって身をよじるのをしばらく楽しんでから、ルルーは姉を解放してやった。姉は昔からくすぐりに弱い。それに、すぐ涙目になるところが、いじめがいがあってかわいい。


 そろそろ本題に入るかと、青年は切りだした。

「いまからちょっと出かけるけど、半刻くらいで戻ってくるから。そのあとでどこか出かけよう」


 立ち上がった弟を見あげて、スーリは尋ねた。

「この町でも仕事をしてるの?」

「そりゃね」

 ルルーは肩をすくめる。「これでも、大陸の魔導士たちのまとめ役なんだよ? 会っておかなきゃいけないお偉がたもいるし、塔大会までに片付ける書類仕事だってあるし」


「忙しくしてるのね」

 スーリは読みかけの本をぱたんと閉じて、自分も立ち上がった。しばらく悩むような間をおいてから、あらたまった様子で「……ルルー」と呼びかける。


「ん? なに?」

「どうしてわたしを、こんなところまで連れてきたの? 事前になんのことわりもなく」


 そう尋ねられることはわかりきっていたので、ルルーはなんの動揺も見せなかった。なんなら、もっと早く聞かれると思っていたくらいだ。が、せっかくの上機嫌に水を差された気分にはなる。

「理由なら説明しただろ? 姉さんの生活態度をあらためさせてもらってるんだよ」


 スーリはやはり、どこかせない様子のままだった。

「お金の使いかたがよくなかったのは、あやまるわ。あなたのお金だもの」

「……べつに、そういうことが言いたいんじゃないよ」

「朝もちゃんと起きるようにするし」

「……」

「食事がわりにお菓子を食べるのも控えるし」

「……」

「……やっぱり、ジェイデンのこと?」

 そう問われても、ルルーはなにも答えなかった。ふたりのあいだに、わずかにぴりっと緊張した空気が流れる。

 ルルーはただ黙って姉が読んでいた本を机上に置き、菓子くずをあつめて窓の外に捨てた。すぐに小鳥がやってきて、バルコニーの上のくずをついばみはじめた。


「そろそろ家に帰してもらえない?」スーリはついにそう聞いた。


「もうすこししたらね」

 ルルーは部屋のなかから獣脂のかたまりを探しだし、ナイフで削って小鳥の前に放ってやった。「姉さんの生活ぶりを、もうちょっと見てから」


「だけど……あと二日もしたら、次の薬包を作らないといけないし。ジェイデンやダンスタンも心配していると思うし」


「じゃ、あと二、三日でもいいけど」

 ルルーは姉を目を合わせずに、バルコニーの小鳥を数えながら言った。

「そんなに急ぐ必要ある? べつに、ほんのちょっと家族と過ごしてるだけじゃないか」

 黄色いのはムシクイ。あとはなにかさえない灰色のやつ。姉とちがい、ルルーは鳥にも生き物にも興味がない。興味があるのは、金になることと魔法だけだ。

「ジェイデン王子だって、そうそう姉さんにばっかりかまけてないよ。ちょっとくらい、羽を伸ばさせてあげていいんじゃない?」


「それは、わたしなら、そうなんだけど」

 スーリはとまどいがちな声で答えた。「ジェイデンはそういうタイプじゃないみたいだから、心配なのよ」


「なんだよ、そうじゃないタイプって」むっとして、ルルーは思わずふり返った。おなじ薄墨色をした目と目がかちあう。


「好きな人とずっといっしょにいたいタイプなのよ」スーリは言った。


 その言葉は、どうしてかルルーの胸をえぐった。あの王子の性格をスーリが把握はあくし、受けいれているということが。


「あきれたな。そういうのはね、モテる男の定型句ってやつだよ。姉さんときたら、にだまされたのに、まだこりてないのか」


 言葉どおりのあきれた表情で言ってやったが、スーリはこたえた様子がなかった。彼の近くに寄ってきて、ナイフと獣脂をとり、ルルーよりも器用に削ってエサ台のなかにもそれを置いた。「……ほら。このカゴに入れておくと、身体の小さな鳥も食べられるのよ。大きな鳥は、なかに入れないから」


「……」ルルーは姉からふいと目をそらした。


「信じて裏切られるのはつらいわ。でも、出会う人すべてを疑って生きていくわけにはいかないでしょ? いつかは、また誰かを大切に思うようになるわ。わたしも、ルルー、あなたも」


「なんでそんなに楽観的になれるんだ?」

 ルルーは姉の肩をぐっと押して距離をはなした。「自分の能力がどれだけ希少か、人間たちからどれほど虎視眈々こしたんたんと狙われているか、があって、まだわかってないの? 心を許しても、また利用されるだけだよ。それだけの力が、にはあるのに」


「<ノクス>もこのあいだ、そう言ったわね」スーリがつぶやく。


「それがわかっていて、なぜあいつなんかといっしょにいるんだ。結婚なんて……絶対に、絶対に、うまくなんかいかないんだからね」

「ルルー」


 スーリはまだなにか言いたそうだったが、青年は最後まで聞かずに出て行った。

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