Ch.4 コミュ強王子一行、全身鎧と対決する

4-1.ルラシュク、鏡の件を調査する

 ばたんと扉をしめ、背を扉にあずけて大きくため息をつく。

「どうして姉さんはああなんだ」


 こんなに自分に心配をかけているのに、その自覚がない姉を思うと、ルルーは腹立たしさで歯噛みしてしまう。なまじ勉強はできるから、ああいう場面では言い負かされるのも、また悔しかった。姉からすれば言い負かしたつもりはないのだろうが……。

 隙だらけで、ちょっとつつくとすぐあわてふためくのに、肝心なところではごまかされてくれない。思えば昔から、危機におそわれたときにはスーリのほうがルルーを守るようなところがあった。あのときも……。


(いや、よそう、昔のことは)

 姉弟きょうだいの過去は、あまり思いだしたくなるようなものではなかった。首をふって考えをふりはらう。


 怒りにまかせてうろうろ歩いていたのだろう。思いがけず、例の鏡がある階段の前に来ていた。二階からは見下ろす場所になる。


「そういえば、この鏡についても調査しないとな」

 たいした興味もないので忘れていたが、気分転換くらいにはなるかもしれない。ルルーは鏡のほうへ降りていった。


 凝った彫刻で飾られた、大きめの全身鏡である。玄関ホールから続く正面階段の、踊り場部分に設置されている。二階から降りてくる住人が正餐せいさん前に身じたくをチェックするのだろう。


「ふむ」


 目を閉じて意識を集中すると、暗闇のなかの獣のように、なにかの息づかいをたしかに感じる。魔法の気配だ。これくらいは、どんな魔女でもわかるだろう――ニブチンの姉は、まあ別として。


 この先は、ちょっとコツがいる。魔法を使った術者が誰で、どこにいるのかを探る秘術だ。

 ローブのかくしに手をいれ、小ビンに入った試薬を取りだす。鏡の前二か所に、盛り塩のように置いて呪文をとなえた。魔法の使用痕跡をわかりやすくするものだ。


 活性化された試薬が緑に光り、それとともに鏡のなかに過去の情景が映し出されていく。最初は、タイが曲がっていないかを確認するユスフが。ユスフはうしろ向きに歩いてきて、タイに触れ、またうしろ向きに階段をのぼっていった。妻もおなじようにうしろ向きにあらわれて髪をなでつけて去っていく。次に掃除係の使用人がモップとバケツを手に下がってきて、鏡を下から上に拭き、掃除しながら二階へ上がっていく……。


 過去の映像なので、このように逆向きになる。魔法を見慣れていない者にはめずらしいかもしれないが、ルラシュクにとってはたいして面白いものでもない。さらに試薬を追加して呪文詠唱。時間が巻き戻るスピードが上がっていく。


「うーんんん……この作業飽きるんだよな……」

 つぶやきながら鏡を注視していると、これまでと違う動きがようやく出てきた。小走りでうしろ向きに駆けあがってくる青年。小さくガッツポーズをして、鏡の前へ。真っ赤になり、ついで驚いた表情。鏡の前にさっと手を出し、おそるおそるひっこめる……


「おや。きみ、なにかを見たね?」

 ルラシュクは口はしに笑みを浮かべて、鏡のなかの若者に話しかけた。「これが、夫妻が言っていたやつか」


 なるほど、たしかに青年はなにかを見たらしい。ルラシュクはさらに過去を巻き戻し、涙を浮かべた掃除婦を確認した。女性は震える指を鏡に近づけ、戻し、はっとした顔になり、そしていかにも仕事中という平坦な顔に戻った……。逆の順番で起こった出来事を想像するのは難しくなかった。

 このふたりがなにを見たのかは、過去の映像からはわからない。だが、自分ではないなにかの姿を見たのはまちがいないだろう。


「こういう魔法は、けっこう種類があって特定が難しいんだよな……」


 過去をる魔女もいるし、幻術を使う魔女はもっといる。鏡は異界との窓になりやすいから、だれかになにかを見せるのはたやすい。掃除婦と若者に話を聞けば、術者の意図が読みとれるかも。


「でも、ちょっとヘンなんだよな」

 ルラシュクはつぶやいた。「術がすごく古い。ぼんやりしてて、つかみづらい」


 鏡の魔法はありふれているとはいえ、そこに術者がいればの話である。この鏡からは、術者の気配というものをまったく感じなかった。いや、あるにはあるが……死者のような温度のない気配だ。変わっている。


「もしそうなら……姉さんの領域かな……」


 鏡にむかって、一歩足を踏みだしてみる。地面に積まれた試薬をつま先で払いのけると、手をのばして鏡面にふれた。うまくいくだろうか?


 見ているうちに鏡が水面のように揺れだした。幻を見せる怪現象は、いつも起こるわけではない――だからラッキーなのだろうが、もしかしたら鏡は、相手の微細な魔力に反応しているのかも? 子どもや若者は、魔法と親しみやすい。性別でいえば、男性より女性のほうが。彼らもそうだったのかも?


 思案しているうちに水面は静まってきて、奥になにかの光景を映しはじめた。


「よし……来い」

 つぶやくと、さらに半歩近づく。映ったのは、ふだんどおりの自分――いや、ちがう。見習い魔導士の貧相なローブ。半泣きになりながら魔法の制御をしている、昔のルラシュクの姿だ。


「なるほど、過去の映像か」

 青年の口はしに笑みが浮かんだ。「こうなると、可能性はしぼられてくるな」


 考えているあいだにも、鏡はルラシュクの過去の姿をぽつぽつと映しだしていた。誰かと話しているものもあるが、自分ひとりの部屋にいる映像もある。言いかえれば、幻術で捏造ねつぞうすることはできない記憶だ。


「もしそうなら……これ自体が魔法の鏡っていうことになるのかな? 文献では見たことあるけど、実物を見るのははじめてかも」


 そう思うと、退屈な魔法が急に興味深く感じられてきた。マジックアイテムに関する論文は数が少ない。来月の塔大会にはまにあわないだろうけど、来年の発表テーマにいいかも。


「よし、腰をすえてもうちょっと詳しく見てみるか。姉さんにも意見を聞いてみようかな」


 ルラシュクがうきうきと階段をのぼっていくのを、魔法の鏡は静かに見送った。彼は知らないことだったが、鏡はまだ映像を映し続けていた――



 鏡が最後に映したのは、どこかの集落が燃えている様子。火と灰と煙のなかで身を寄せあう、おさない男女の双子の姿だった。

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