Ch.3 弟閣下はひきこもりの姉の結婚話がおもしろくない

3-1.スーリ、家から離れてしおしおになる

 商業都市ロサヴェレ、とある豪商の邸宅の一角。光さしこむ窓が付属した豪華な一室に、スーリの姿があった。


 ひさびさに会う弟ルルー(ルラシュク)から、なかば拉致らちされるように連れてこられた翌日の昼。森のすてきなわが家から離されたスーリは、頭からすっぽり毛布をかぶり、巣から落ちたヒナのように弱りきっていた。


「姉さん、起きてる? そろそろ食事の時間だよ」

 その弟が部屋に入ってきて声をかけた。


 ルラシュクが姉スーリを連れて滞在するなら、ドーミアへの旅程りょていでなじみがあるここロサヴェレではという、ジェイデンの読みは当たっていた。自宅から二度ほど転移した先に馬車を待たせてあって、そこから街道沿いを半日ほど走ってここに着いた流れだ。


 部屋のもう片方の隅では、小さなメンフクロウが、これもスーリ同様に身をちぢこまらせていた。

「このフクロウ、ジェイデン王子が飼ってるの? いっしょに転移させちゃったけど」

 青年はフクロウに近づいていき、指の背で頭を撫でてやった。「動物に嫌われるの、治ってないんだね。……まあ、魔法の影響だからしようがないけど」


 スーリとフクロウは、たがいに距離をたもちながら、それぞれの部屋の隅でしおれていた。その姿はかわいそうではあったが、彼女が頼れるものが弟の自分ひとりだということには満足感もおぼえた。ここのところ姉のことでずっとイライラしてきて、食後の胃薬も手放せなかったので、かわいそかわいい姉の様子はルルーの溜飲りゅういんをおおいに下げた。


(そうはいっても、だ)


 去年の夏……。

 決死の覚悟で故郷を出奔しゅっぽんした姉を、ルルーは陰ながら最大限に支援してきた。これ以上のもとにいては姉の身がもたないと判断したからこそ、そうしたのだ。

 

(それを、姉さんときたら。こんなにすぐに別のアホ男に捕まったら、僕の努力が水の泡じゃないか)

 時期はずれのミノムシと化している姉を見下ろしながら、ルルーはふつふつと不満をたぎらせた。

(サロワ王のもとからようやく逃げだしたと思ったら、今度はアムセンの第三王子が求婚だって? しかも、ほかにも男の出入りがあったみたいだし。まったく、ビールにむらがるコバエみたいなやつらだな)

 ルルーは美貌の王と女性に大人気の王子をふくめ、姉に近づいてくる男を思うさまこきおろした。アーンソールは甲冑のなかが蒸れてカメムシみたいな匂いがするし、ジェイデンは遠征地ごとに現地妻がいるにちがいない。粉屋のノブは将来ハゲそうだし、近所のメルとかいう小僧は目つきが気に入らない。


 だがなんといっても、いま一番危険な男はジェイデンだ。

 なんなんだ? あの、俳優みたいに甘ったるいプロポーズは。(もちろん、部屋にある術具で盗聴していた) 屋敷いっぱいの花にお菓子を「あーん」しながらのプロポーズなんて、女ウケを研究しつくした男以外からは出てこない発想だろう。ああいう遊びなれしていそうな男が、本気で求婚しにやってくるなどとは予想外だった。もっときちんと、具体的には十五歳以上の男はいっさい屋敷内に立ち入れないように、防衛魔法を張っておくべきだった。


(それもこれも、まあ、姉さんが美人すぎるからいけないんだけど)


 これだけの内容を、まったくの無表情のまま脳内で独言している。お察しのとおり、ルルーもたいがい危ない男なのである。


「この部屋は夫妻の好意で借りてるから、昼食をいっしょに食べないと。姉さんもおいでよ」


「……」


 ルルーの声かけに、毛布のかたまりはうぞうぞと動いた。無視をしているわけではないとわかったので、青年は安心して続けた。


「ここの料理人は町一番の腕前らしいよ。デザートに、ロサヴェレ風のゼリーも出してくれるってさ」


「……」


「ほら、姉さん、毛布とって」

 ルルーは容赦なく毛布をひっぺがして、「うわっ」と驚きの声をあげた。綿花色の髪は転がる枯草タンブルウィードみたいにもしゃもしゃになっているし、それに……。


「なにこれ、ひどい顔」

 弟の言うとおり、肌は寝不足で土気色になっており、顔はぱんぱんにふくらんでいた。


「こんなにむくんで。昨日は寝なかったの?」

「眠れないわ。いつもの寝巻じゃないと」

 スーリは毛布に身をくるみ、すんすんと鼻を鳴らしながら訴えた。「昨日の食事もちょっと辛すぎたし……。水をたくさん飲んだら、顔がむくんでしまったわ」


「ロサヴェレ流だよ、香辛料が効いてるんだ」

 ルルーは困ったように頭をかいた。「寝巻たって……。ちゃんと新しいのを用意しただろ?」


「あのくたびれた寝巻じゃないとダメなの」

 スーリは弱々しい声で言う。「寝る前にホットミルクを飲んで、いい匂いのするお香をいて、ジェイデンに枕をはたいてもらわないと眠れない」


「ええー……」

 ルルーは引いた顔になった。「姉さん、王子にそんなことしてもらってたの? っていうか……それって、ほんとに恋人なの? 保護者じゃない?」

 自分の保護者ぶりを棚にあげてそんなことを言う。


「ううっ……おうちに帰りたい……」


「そんなことで、王子と結婚なんてできるの?」

 弟はあきれている。「お城のなかで、王族たちや使用人たちに囲まれて生活するんだよ?」


「…………ムリかも……」スーリは消え入りそうな声である。


 姉が結婚をあきらめそうな雰囲気を察して、ルルーの機嫌は上昇した。


「しかたない。ダルクール風の料理がいいんだね? あとで部屋に届けさせるから。ホットミルクとお香も。寝巻は僕の昔のやつがどっかにあるから、それを転送する。枕ぽんぽんについては、……まあ善処ぜんしょしよう」


 そしてうきうきと続ける。

「ロサヴェレにも観光スポットはいろいろあるんだよ。体調が戻ったら連れていってあげるから。古ドーミアの水道橋とか、姉さんそういう遺跡好きだろ? 花畑もあって夕景がロマンチックらしいよ」


「……」


「じゃ、またあとでね」ルルーは上機嫌のまま部屋を出て行った。


 ♢♦♢


 その次に部屋に入ってきたのは、小姓の少年である。


「失礼しまーす」

 声変わりが済んでいないような高く明るい声が響いた。

「僕、従者のマルクです。お姉さんにお食事を届けるように言われたので」


「そう……」

 スーリは毛布から白い頭だけを出して答えた。「ありがとう。そこに置いておいて」


「ハァ」

 美人だけど、閣下とはずいぶん雰囲気がちがうなぁ。弱々しいというか、主体性がないというか。少年、マルクはそう思った。


――姉さんは大陸一の魔女なんだよ。僕の魔法なんかおよびもつかない。


 ルラシュクはそう語っていたが、やはり、身内の買いかぶりじゃないだろうか。首をひねりながら部屋を出て行こうとすると、スーリのものげなつぶやきが聞こえてきた。


「ルルーは……なぜこんなことを……」


 おやおや、あんなに仲良しなのにコミュニケーション不足らしい。マルクは肩をすくめ、そのまま扉をしめた。

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