1-3.周到なるプロポーズ、そして

 王子がしめす先には、いつもの食卓テーブル。その上にはたくさんのみやげらしい品や、甘い匂いをただよわせる菓子たち。


 自然に目が吸い寄せられる立派なタルトを、ジェイデンは食卓の端から中央あたりまで引き寄せた。


「これが、おれときみが幸せに暮らす家」

 タルトを指してとつぜん、そんなことを言う。「この冬みたいに、ずっといっしょに過ごしたいんだ。きみと」


 そして、その手前に小さなケーキや色とりどりの焼き菓子を、ひとつずつ置いていきながら説明した。まるでミニチュアを使って戦術の説明をする指揮官のように、菓子を使って仮定の話をしているらしい。


「おれがここで暮らすには、臣籍しんせきにくだって、このあたりに領地を持たなければならない」


 スミレの砂糖づけが飾られた小さなタルトを、スーリはじっと眺めた。


「だからフィリップの一件をきちんと片付けて、王の許しも得ないとね」


 タルトの手前にアーモンドの香りのする焼き菓子が置かれた。


「それから、もしかしたら……サロワ王にも話をしないといけないかもしれない。きみを永遠に隠しておくことはできないだろうから」

 ひし形に切り分けられたヌガーが、急にまがまがしく見えた。スーリは息をのむ。


 サロワはここアムセンの隣にある、スーリの出身国である。その国は、わずか半年前に騎士団長がクーデタを起こし、王が替わった。クーデタには、スーリ自身も深くかかわっている。思いだしたくない過去だ。


「心配しないで。おれがついてる」

 ジェイデンはそう言って、ヌガーを軽く放って自分の口で受けとめた。「こういうふうに、ひとつずつ片付けていかないとね」

 ヌガーのように、あの王のことも簡単に片付いてしまえばいいのに……。スーリの思いがわかるのか、ジェイデンははげますようにほほえんでみせた。

 そして、焼き菓子を軽くつつく。「いまのところ、いちばん最初に片付ける目標はこれ。知りあいの伯爵にたのんで、書類上、きみを養女にしてもらう」


「なぜ?」


 ジェイデンはすぐには答えず、焼き菓子の手前にさらに別の小菓子を積んだ。今度のものは薔薇の花びらのようなデコレーションで、格別美しかった。


 彼はそれをスーリの口もとに運んだ。

「きみと結婚したいから」

 その言葉は、甘い菓子とともに彼女にそそぎこまれた。


 スーリは……もちろん、すぐには答えられなかった。まず、口のなかに菓子が入っていたし。


「きみが変化を嫌うことは知ってるけど、おれとずっといっしょに暮らすためにだいじなことだから、考えてほしい」


 もぐもぐ……。スーリは口のなかを忙しくしながら、ジェイデンの言葉を文字どおりじっくりと噛みしめていた。


「結婚しても、きみは自由だし、生活の半分はここで過ごそう。残りの半分は、イドニ城で……」



「ええと……」

 スーリはもじもじと恥じらった。「説明はよくわかったけど、結婚というのは、まだ早いんじゃないかしら。出会ってから半年も経っていないのよ。それに……わたしたち、ほら、まだもあるじゃない?」


「うまくいってないこと? ……ああ」

 ジェイデンは合点がいった顔になった。「ベッドのなかでのことだね」


「きみに弱点があるのは知らなかった。すごくかわいいよ」

 恥じらいなどというものとは無縁の男なので、甘い声のまま続けた。「心配しないで。進むのは、結婚してからでいいんだから」


「そうかしら? ……」


「それとも、いまから試してみる? 夜まで待たずに……」

「そ、そんな、いけないわ。こんな昼から……」

 赤くなったかわいらしい耳に、ジェイデンはキスを落とした。


「ベッドにも砂糖漬けを持っていって、が我慢できたらごほうびにひとつずつ口に入れてあげるよ」

 固い親指が、彼女の口もとの砂糖をぬぐった。その親密なしぐさにも、スーリはすっかり慣れてしまっている。男は続けた。「それはそれとして、プロポーズの返事がほしい」


「そ、それは……」

 ジェイデンは彼女の二の腕をそっとささえ、真剣な目でじっと見降ろしていた。陽光の下では明るい琥珀色に見える目。

 恥ずかしさにうつむいていたスーリが、ようやく顔をあげた。「わたしは――」


 ふたりの視線が交錯し、唇が言葉をつむぎだそうとした、そのとき。


 ズウゥンという重い衝撃が、足もとからつたわってきた。同時に、薄氷はくひょうを踏むようなパリパリッという破壊音も。


「地割れかっ?!」

 ジェイデンはとっさにスーリをかばい、さっと周囲に目を走らせた。鉢植えの葉の動きから、揺れたのはたしかだった。遠い雪崩なだれに似た音と衝撃だったが、すぐにおさまったし、敵襲のようでもない。――そういえばいま一瞬、夜のように暗くならなかったか?


「雷でも落ちたのか?」


 警戒しながら周囲をうかがう。……と、居間のほうからぱちぱちと軽い破裂音が聞こえた。スーリを抱いたままふり返ったジェイデンの目に映ったのは、洗濯物の山――いや、違うな。たっぷりとかさのある衣服だ、たとえばローブのような。そしてその衣服から頭らしきものが持ちあげられた。ゆらりと立ち上がる頭髪は白。


 とめようとする間もなく、彼の腕のなかからスーリがひょこっと首を出した。


「スーリ! 危ないから……」

「ルルー!」



「……姉さん」


 それが、居間にいきなり出現した男の第一声だった。

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