1-2.ジェイデンのだいじな話

「うん」

 ジェイデンは彼女を抱擁ほうようし、にっこりした。「急いで帰ってきたからね」


「急いでって……」

 スーリはすこしばかり困惑した。「王都からここまで、馬でも五日かかるんじゃないの? まだ一週間もっていないのに、往復して帰ってこられるの? それに……いろいろ用事もあったのでは?」


「そう」

 王子はなにごともないようにうなずく。「フィリップ伯を王都まで護送して、王に例の事件についての報告をして、ほかにもいろいろね。でも早くすませたかったし、急がないと帰れなくなりそうだったから」


「帰れなくなりそう……?」なにか、不穏な言葉だ。

「それは、またあとで話すよ」

 ジェイデンは優しく熱っぽく告げた。「言いたいのは、早くきみのもとに帰って来たかったってこと」


「嬉しいわ」

 照れ隠しにそっぽを向きながら、スーリは小声でつぶやいた。「あなたがいなくて、その……つまらなかったし……」


 厳密にいえば最初の一日目はけっこう解放感があり、ひとりきりの家で思うさまだらだらしたのだが、それは言わずにおいた。彼女とちがい、ジェイデンは「ひとりの時間」というものを未確認生物のようにあつかうので。


「『さみしかった』のほうがうれしいな」

 男はスーリの照れ隠しを見抜いたように、ふくみ笑いで訂正した。「そうだ、家賃は払っておいたよ」


 スーリは彼の胸のなかからぱっと顔をあげた。「家賃は払っておいたよ」。なんて甘美なひびき。


「まあ! ほんとうに?」

「うん。支払いに困っているのなら、言ってくれればよかったのに」

「言うのを忘れていたわ。……でも、どうしてわかったの?」

「……というか、いま、ここの管理はオスカーに任されているからね。やつから聞いたんだ」


 その名前を聞いて、スーリは顔をくもらせた。彼の父はいま王都で、自身の罪を裁かれようとしている。文字通り、明日をも知れぬ運命なのだ。

 フィリップについては、彼女もまだ心の整理がつかない部分がある。彼を慕っていたジェイデンにしてもそうだろう。まして、息子のオスカーは……。


「オスカーは……無事? 落ちこんでいないかしら」

「元のようにとはいかないけど、元気だよ。後で寄ってもらうことにしてある」


 元気ならよかった。ほっとしたついでに、部屋のなかを見わたした。

 家のなかも、庭に負けずに花でいっぱいだった。それも、あきらかにスーリの庭にはないような、丹精たんせいされたみごとな花ばかり。ところせましと並べられたバケツが小さな池のよう、そして家がまるごと春の庭園になったかのようだった。


「その……この花は? あなたが?」

「うん」

 まだ彼女を抱擁したまま、ジェイデンがうなずいた。「気に入った?」


 もちろんすてきな光景だったが、スーリは彼の意図が読めず、あいまいな顔で周囲を見まわした。

「ダンスタンは? いないの?」

「温室のほうにいるよ。しばらく席をはずしてもらうよう頼んだんだ」

「なぜ?」

「だいじな話があるから」


「だいじな話? ……」


「さきに、こっちにおいで」

 ジェイデンはすぐには答えず、彼女を食堂兼応接間のほうへまねいた。


 冬にはうす暗かった食堂も、いまは春の光に満たされていた。作業台には革張りの本やきれいな布類、しゃれたタルトや焼き菓子が山と積まれていた。そして、ここにも花、花、花。きまぐれに春の絵具を落としてまわったかのようないろどり。


「これは……」

 王都のみやげだろうか。でも、このたくさんの花は? 尋ねようとふり向いたスーリの目に、片膝をついたジェイデンの姿が入った。


「どうしたの、ジェイデン? 騎士のようにあらたまって……」


 ジェイデンはうっすらとほほえみを浮かべていたが、目は真剣だった。彼女の手をとって、まじめな声で問う。

「秋の狩りできみの前にころげ落ちたのは、疑われずにきみに近づくための方便だった。おれの最初の目的はきみの身辺調査だった……。許してくれる?」


 なんのことかと思ったら……。

 急な告白に驚きつつも、スーリはほほえんだ。ふたりは去年の秋、ご禁制の森で出会ったのだった。落馬したジェイデンを見かねて手当したところ、ひとめぼれされてしまい、毎日のように家に押しかけられて今にいたる。


「あなたは……そうだったわね。それに、わたしもおなじ」

 彼女にも、王子にも、秘密があった。ふたりがはじめて口づけを交わした夜にも、もっとも重要なことはたがいに秘められていた。でも、おたがいにそうする必要があったのだといまは思えるようになった。


「……ええ。許すわ」


 ふたりはこの冬、長い時間をともに過ごした。そして今、彼の思いに打算がないことはスーリにはわかっていた。


「よかった」

 ジェイデンは立ち上がった。「じゃあ、に移ろう」




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