⑩しばしお別れ 

 翌朝、スーリが目ざめて居間にむかうと、男たちはすでに起床して身じたくも整えていた。


 ジェイデンが近づいてきて額にキスをし、「朝ごはんができてるから、顔を洗っておいで」と言った。

 スーリはまだ眠いので口のなかでもごもごと返答し、水場のほうへ向かった。浴布タオルを忘れて顔をびしゃびしゃにしながら戻ってきて、散歩の後の犬のようにジェイデンに顔を拭かれるところまでが毎朝のひとセットだ。


 オーツ麦の粥に干した果物の簡素な朝食をすませるあいだ、食卓でしゃべっているのはほとんどジェイデン一人だった。スーリはまだ目が覚めきっていなかったし、ザカリーは伝書鳩のものらしい紙片を手に難しい顔をしている。足もとではダンスタンが勢いよくキャベツをつつき、スーリ(フクロウのほう)は止まり木でうつらうつらしていた。

「朝が苦手なところが、きみに似てるね」

 ジェイデンはそう言って笑いかけ、スーリはほとんどなにも考えずにうなずいた。隣でザカリーが砂糖を吐いた顔をしている。



「今日は午後から城のほうに行く予定だけど、きみはどうする?」

 ジェイデンがザカリーにむかって尋ねた。

「こいつも行くのか?」

「ああ。……ね、スーリ?」

 呼びかけられたスーリはくしゃくしゃの髪のままうなずいた。魂がはいったばかりの使役しえきのようにぼんやりしている。いまなら、結婚を申しこんでもうなずきそうだ。あぶない……。


「来客用に椅子がもう一脚いるし、果物も補充しないとな。それに、城のほうに彼女の部屋を作りたいんだ」

 あいかわらずもりもりと外堀を埋めている様子のジェイデンだ。


 食事がすみ、スーリが温室の手入れをしているあいだに、ザカリーは荷物をまとめて出ていく準備をはじめていた。


「ついてこないのか」

 フクロウに生餌をやっていたジェイデンは、意外そうな顔をした。「城に行きたがるかと思ったのに」


「そのつもりだったけど、べつの指令が来た」

 ザカリーはブーツの紐を結びなおしてから、ひらひらと紙片をふった。「弟閣下の私用より重要なやつがな」


「ふうん。忙しいんだな」

 

 つぶやくジェイデンのそばを通り過ぎ、ザカリーは家の四隅をめぐって魔法をかけなおした。存在を秘匿し、探知の魔法から守ってくれる。

「この家にも、レギオン自身にも、目立ちにくくする魔法がかけてある。かなり強力なものだ」

 ザカリーは言った。「それからあんたにも。術具をわたしておくから、身につけてくれ」

「おれにも?」

「このままだと、あんたがこいつの居場所を探すうえでのビーコンになりかねないんだよ」

「……わかった」

 ジェイデンは謎めいた術具を受け取った。「協力してくれてありがとう。おれにできるかぎりスーリを守るよ」


「どうせこいつは、あんたの手には負えねえよ」

 馬鹿にするでもなく淡々と、ザカリーは言った。

「あんたらの関係がどうなろうとどうでもいい。うまくいく目算のほうが少ないだろ。……かりにうまくいっても、あんたがアーンソールの次の怪物になるだけかもしれない」

 荷物の入った袋をしばって肩にかけ、扉口へと歩いて行く。ジェイデンも見送りのためについていった。

「まあ、そうなったときには、閣下が念入りに殺してくれるけどな」

 ザカリーは皮肉げに笑い、ジェイデンは片方の眉をあげてそれに答えた。

「もうちょっと明るい見通しを残してくれないものかな」

「それが僕たちの世界なんだよ」



 家の外に出たところで、スーリが待っていた。


「<軍団レギオン>」

 ザカリーは昔どおりの呼び名で声をかけてきた。「もう行くからな」


「ええ」

 スーリは準備していた袋を彼に手渡した。野営用の常備薬や金銭の代わりになるサフランなど。

「そうぞうしい生活だな。世話焼きの男に、つっつき癖のあるガチョウ、粉屋に子ども、メンフクロウまで」

 ザカリーはそう言った。「こんなのが、ほんとにあんたの望んだ暮らしなのか? 閣下を置いて国を出てまで」


「まだわからない」

 スーリはすなおにそう答えた。「わたしの生活は、あなたや弟から見たらままごとのようなものなんでしょう。でも、今はそれを楽しんでいるわ」


「永遠には続けられないんだぞ、<軍団レギオン>。僕たちはふつうには生きられない。いつかは誰かに捕まる、僕たちの力を利用しようとするやつらに」


「そうだとしても、今のしあわせがなかったことにはならない」

 スーリは言った。「いろいろありがとう、<ノクス>」


 ザカリーはまだなにかを言いたそうにしていたが、結局はつきなみに「じゃあな」と告げて去っていった。ここにいるあいだ憎まれ口ばかりだったくせに、後ろ手にひらひらと手を振ってくれたので、スーリはなんとなくおかしく、うれしかった。



【間章「冬の我が家」 終わり】

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