5-12.さびしいよ
フィリップは身柄を拘束され、みずからの城の貴人牢に閉じこめられた。
王太子ジョスランが捜査の指揮を執った。城は彼とジェイデンの兵士たちに占拠され、フィリップの騎士と兵は待機を命じられている。
ジェイデンは城のすぐ外までスーリを送って行った。もともと、午前中に城を
跳ね橋を降りたところでふたりは立ちどまった。
「フィリップ伯はどうなるの? オスカーは?」
スーリが尋ねた。
「このあとは、事件の聴取と申し開きのために、王都へと連行されることになる」
ジェイデンが答えた。「極刑は逃れられないと思う。オスカーは……なんとか家を取りつぶさずにすめばいいが」
彼もまた、迷いを浮かべながらスーリに尋ねた。
「魔法が関与している可能性はないか? 伯がだれかに操られていたということは……」
「あるかもしれない」
スーリはうなずいた。「前に城で感じた悪意は、いまにして思えば『目』の気配だった。フィリップ伯からも、かすかに感じたわ。伯と目があうと身動きできなくなったというのは、魔法を使ったのかも」
「……魔女は生まれながらのものではないんだね」
ジェイデンが確認した。「悪魔が力を与えている」
スーリはまたうなずいた。「悪魔に勧誘され、契約することで人は魔女になる。契約者が若いほど、願いが大きいほど、より高位の悪魔が魅了されてやってくる。魔女は契約名で呼ばれる」
「じゃあ、フィリップは……」
言いよどむジェイデンを、スーリはさえぎった。
「でも、どれほど熟練の魔女でも、心をずっと操るということはできないの。魔法は、心に入りこみやすくするだけ」
過去の自分を思いかえしながら、彼女は目を閉じた。「やってしまったことは、自分の責任でしかない。そしてフィリップ伯の心には、すでに芽があった」
ふたりはしばらく、黙ったまま立ちつくしていた。スーリは彼を見つめ、ジェイデンはスーリの肩のあたりに目をさまよわせている。ジェイデンがフィリップのことを考えているのが、彼女にはよくわかった。
「あなたを愛しているように見えたのに。ずっと、あなたを殺す機会をうかがっていたのね」
狩りでの事故に見せかけて。ワインに混ぜた毒で。あるいは、魔女の術をよそおって……。フィリップは周到に、ジェイデンの死を準備していた。計画が失敗したのは、幸運が重なっただけだろう。
「だが、おれを殺す機会はいつでもあった。実行しようとしたのは、今日のことなんだ。最後のきっかけが、そうさせた」
ジェイデンが口をひらくと、白い息があがっては消えた。寒さのために彼の鼻も耳も赤らんでいた。そして、目も。
「フィリップがおれに最初の木剣をもたせたときのことを、まだおぼえている。手加減なんて一度もしてくれなかった。柱を打たせて、後ろでずっと見ているんだ。張りのあるあの声で『右! 左! 中央! 遅い!』と、ずっと、何時間でもね……。きみに聞かせてやりたかったよ、スーリ。ほんとうに怖かった」
ジェイデンのほほえみはさみしげでうつろで、スーリは思わず彼に近づかずにはいられなかった。手をのばし、泣きだす寸前のような彼の顔を両手でつつむ。その顔に浮かぶ苦悩を、いったいなんと表現すればいいだろう。
――彼に木剣を持たせて剣を教えたのが、つい昨日のことのようだ。やんちゃ坊主の負けず嫌いでね、上達も早かった。
腕をたたく親しげな手や、おなじ高さになったことを喜ぶような温かな目線をスーリは思い浮かべる。ジェイデンにはそれ以上の思い出があるだろう。心のやわらかい部分に大切にしまわれていたいくつもの思い出が。
「おれに剣を教え、食事をともにし、笑いかけ……そのあいだずっと、憎しみだけを
声は自分に言い聞かせるかのように、小さく悲痛だった。
あまりにもたよりなく思えて、スーリは彼を抱きしめずにはいられなかった。ジェイデンは彼女にすがるように、支えを求めるように強く強く抱擁した。ふれあう肩は細かくふるえていて、彼が泣きだすのではないかと思った。くぐもった声が、ようやくつぶやいた。
「おれとおなじ愛情を、あの目に見いだしたこともあったんだ。おれは、愛していたよ」
スーリがおぼえている、イドニ城で再会したばかりのフィリップの声……。
――狩りにも出ないでなにをしているかと思ったら。まったく……しようのないやつだな。ジェイデン。
声のなかにたしかに残る愛情に涙をこぼしたのは、スーリのほうだった。
ジェイデンが静かに抱擁をとき、ふたりはまた顔をむかいあわせた。ほとほとと玉のような涙を流すスーリの顔を、今度はジェイデンがつつんだ。大きな手でほほをはさみ、上向かせて親指で涙をぬぐう。
ためらうような間をおいてから、彼は言った。
「……きみもそうなんだね。愛する人に傷つけられた。もう二度とだれも愛さないと思うほどひどい方法で」
スーリはうなずいた。まばたきをした動きで、また、涙がこぼれおちた。
「わたしは王の兵器で、奴隷だった。死者から無限に兵を生み出せる魔女を、王がどうあつかうかわかる? ……地獄のような日々だった。
何年も耐えて、死ぬ思いでそこから逃げ出してきたわ。ダンスタンといっしょに」
まなじりに熱いものがふれ、ジェイデンが口づけたのがわかった。涙をぬぐいとるような優しい口づけ。それから目があって、また唇が近づいた。温かいものがふれる寸前に、スーリは続けた。
「そのとき、王に約束したの。……サロワの兵器でなくなるかわりに、他国の兵器にもならない。他国の王族と結婚しないと」
ジェイデンはぴくりと動きを止めたものの、口づけをやめなかった。だが、たがいに目をひらいたままの、苦い口づけだった。
顔が離れると、彼は「愛にとっては、今日は敗北の日だな」と言って、ほのかに笑った。
ふたりはまた静かに抱きあった。先ほどの強い抱擁とはちがう、別れの前のしぐさだった。
「さびしいよ」
彼は小声で言った。「胸のなかに、きみのための場所を取ってあったんだ。だが椅子を置く前に、その場所は霧みたいになくなってしまった。そういう気分だ」
スーリになにが言えただろうか? 自由と引き換えに、けして王族と結婚しないと誓った彼女に?
彼女もまた、胸のなかにジェイデンのための場所ができつつあるのを感じていた。なくなってしまった場所の前で、椅子を持って立ちつくしている自分の姿が想像できて、スーリは悲しかった。あとほんの少しだけ、このぬくもりを味わうことを自分に許そうと思った。ひとりきりの冬を温めてくれる思い出にするために。
「孤独とやすらぎ以外のものが欲しくなったら、おれのことを思いだすと言ってくれないか?」
青年は小さな声でささやいた。「そのときは、おれを呼んでくれると」
「あなたのもとを訪ねるわ、ジェイデン。約束する」
彼のぬくもりを目を閉じて味わいながら、スーリは答えた。
「白いメンフクロウの姿で、あなたの城の窓を叩くわ……」
それが、この秋にふたりが交わした最後の会話だった。上空からは、それぞれの道を進みはじめるふたりが黒い点となって見えていた。ひとつは山へ、もうひとつは城の厩舎へと伸びる道の上で、黒い点がしだいに離れていく。そのあいまを縫うように、今年最初の雪が静かに舞い降りはじめていた。
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