5-11.騎士を招集しろ

「それは……」

 フィリップは顔をそむけ、オスカーは目を見開いて父を見つめている。


「母とあなたが恋仲だったのは結婚前なのだから、三人のだれかが不義の子なら、それは私だろうと思っていた。かなり昔から、そう疑っていたよ」

 王太子は過去をふり返るように続けた。「『どうしてフィリップ伯は、僕にだけ冷たいんだろう? なぜ、領地に遊びに来させてくれないのだろう? なぜ母上も、あなたに会うなと言うのだろう? どうして僕だけが、だれにも愛されないのだろう』」


 かわいらしい小さな金髪の王子が、ひとりぼっちで虚空に問いかけている。そんな姿を思い浮かべて胸が痛くなったと、スーリはのちにジェイデンに語った。

 ジェイデンには小さなころの兄の記憶があまりない。病弱で部屋にこもりがちで、たしかに妖精の王子さまのような少年だった。幼いころのジェイデンの遊び相手は、ひとつ年上のキリアンばかりだったのだ。兄にそんな鬱屈うっくつがあったとは、想像したこともなかった。

 そういえば、めずらしく家族で食卓についたとき。兄が決死の形相ぎょうそうで食事を口に運んでいたのを思いだす。当時から健康を求めて血道を上げていたのかと記憶に残っていたのだが、あれはもしかしたら――……。


「『――どうして僕だけが? 僕のからだが弱いからなの? 僕もっとがんばるよ。食事もぜったいに残さない。がんばって病気をなおすから。だから母上、父上……』」

――僕を捨てないで。


 それはジョスランが子どものころの思いだったのだろう。声は淡々としていたが、それを聞いたフィリップの顔に苦悶くもんが浮かんだ。


「ジェイデンをそばに置いてかわいがったのも、彼が息子だといううわさを流したのも、目的はおなじだね? 私の存在から、世間の目をそらすため。……皮肉にもそれが、弟の評判を高めてもいたわけだけれど」


「兄さん……」


 ジェイデンはなにかを言いかけたが、ジョスランは話をつづけた。

「スーリ殿とのうわさが王都にたどり着いて、例の縁談が持ち上がると、これはまずいと思ったよ。ジェイデンがコラールの姫君と縁づいたら、私の王位を盤石ばんじゃくにしたい者たちはおおいに危機感をいだくだろう。その筆頭は、あなたかもしれない」


「それが、ここにやってきた理由?」

 ジェイデンが尋ねた。「フィリップの真意を知るため……」


「父がおまえを寄こした目的もね。スーリ先生のことは、ついでだよ」

 ジョスランはあっさりと言った。

「おまえは伯を信頼していたけれど、私は自身の出自を疑っていたから、伯を全面的に信じることはできなかった。国王もおなじだろう。彼の息がかかった教師パトリオを泳がせていたが、どうにもあやしかったしね。……伯を直接問い詰めて、おまえに害をなすことがないか確認したかった」


「あなたは不義の子などではない。私の息子ではない」フィリップは部屋のどこにも焦点をあてることなく、かたくなにつぶやいた。


「やれやれ。まだ否定するのか。それ以外に、おまえがジェイデンをしいする理由などないだろうに」

 ジョスランがため息をつく。

「おまえと母の密会を見ていた宮女でも連れてくるべきだったかな? 残念ながら、私は母親似だし」


「指よ」

 フィリップをじっと見たまま、スーリは告げた。

「指?」ジェイデンは腕のなかの彼女を見た。


 スーリは説明した。

「両手の第五指が、第四指の第二関節よりも短い。……フィリップ伯とジョスラン王太子の共通点」


「指か。考えたこともなかった。どうだろう?」

 ジョスランはフィリップのそばまで歩いて行った。革の手袋を取って、手が並ぶようにしてみせる。顔はほとんど似ていないのに、たしかに手の形だけがよく似ていた。小指がやや短いために、女性的で優美に見える手だ。


「あ、俺もだ」オスカーが言う。「ジェイデン、おまえは違うのか?」

 ふたりも指をくらべあったが、ジェイデンの小指はふつうの長さだった。


 フィリップは……奇妙な表情をしていた。まるで自分自身でも、ジョスランがわが子だとは信じきっていなかったように見えた。うりふたつの、だが片方が年老いた手が並べられているのを見て、安堵あんどと悲しみが入り混じった表情を浮かべた。その複雑な心境は、この場のだれにも理解できないものだっただろう。


「第五指の短指症は、しごくありふれた奇形よ」

 スーリが言った。「耳の形なんかとおなじで、遺伝の影響を受けやすい。決定打になるほどめずらしいわけじゃないけど……」

 ジェイデンがフィリップの息子だという例の噂を聞いてから、スーリは無意識にふたりの共通点を探していた。城での会話、慰労会の夜。そこではなにも見つからなかったが、ジョスランを診察していたときに、ふとそのことに気づいたのだった。


「これは、大きな証拠になるだろうね。すくなくとも宮女の証言よりは」

 自分の指をしみじみと眺めながら、ジョスランが言った。

 

「<軍団レギオン>の魔女」

 フィリップがスーリをそう呼んだ。もはやジョスランのほうは見ておらず、捕縛に抵抗もしていなかった。運命を受け入れたようにも見える。投げやりな声だった。

「<カニス>が戻ってこない。おまえのしわざか?」


「それが、あの男の契約名なの? ……ええ」

 スーリはうなずいた。「洗濯場に閉じこめてあるわ」


は、そうやすやすとは倒せぬはずだが。……やはり噂は本当なのか。ジェイデンに取り入り、わが国を瓦解がかいさせるつもりだったのだろう?」

「兵器になりたくなかったから、国を出たのよ」

 スーリは城主をしっかりと見つめて告げた。「それがわかっていて、亡命を引き受けてくれたのだと思っていたわ。……でも、ちがったのね」


「だれが魔女のざれごとを信じる?」

 フィリップは吐き捨てた。「もちろん警戒していたとも。利用価値があるから、領地に引き取っただけだ。あの<カニス>とおなじように」


「ジェイデンを殺したあと、その罪をあなたになすりつけるつもりだったんだと思うよ」

 ジョスランが言った。「だから、ことさらに魔女と弟の仲を擁護ようごし、吹聴ふいちょうしてまわった」


 その指摘に、ジェイデンは思わずスーリをかばうように抱きしめた。それを見たフィリップは、さらに口汚く魔女をののしった。

「その女はな、ジェイデン、<軍団レギオン>と呼ばれる災厄さいやくの魔女なのだぞ。サロワの騎士団長をそそのかしてクーデターを起こさせ、奴隷女から王の寵姫ちょうきにのしあがった。死者をよみがえらせ、石の兵士に宿やどらせて無限の軍団を作った。この国のとうとい兵士が、何人、この女の兵士に殺されたことか。うす気味悪い、けがれた、いまわしい魔女めが!」


 ジェイデンは、信じられないようなものを見る目でフィリップを見ていた――スーリの正体よりも、フィリップの変貌のほうがはるかに彼に衝撃をあたえていた。あのフィリップが、女性をあしざまにののしるなんて信じられなかった。


――弱きもの。女性や子ども、老人たち。彼らを保護し、いたわりをもって扱うことが、領主の第一の義務なのだぞ。覚えておくんだ、ジェイデン。おまえにもいつか……。


 ジェイデンは思わず、フィリップのかつての言葉をくり返さずにはいられなかった。

「あなたは、あなたこそ、おれにそう教育してきたはずなのに。なぜなんだ、フィリップ……」



「人が斬られたときに、剣を罰する領主がいるか? 剣をふるった男ではなく?

 ……<軍団レギオン>の魔女がいかに恐ろしかろうと、私はそれを利用するサロワの王や、おまえのほうが恐ろしいよ、フィリップ」

 ジョスランは、実の父をそう断罪した。

「私を王位につけたあとはどうするつもりだった? 実父であると明かして国王を殺し、王妃と玉座を奪うつもりだったか?」


「違う!」

 がたりと音がして、フィリップが縄のまま立ち上がったのがわかった。オスカーがあわてて取り押さえにかかる。だが、フィリップはもはや解放を求めているのではなかった。彼がもとめているのは理解だった。

「奪うわけではない! 最初から、私のものだったのだ! それをリグヴァルトが奪った。……わかってくれ、ジョスラン」

 がっくりと膝をつき、ただジョスランひとりにむかって嘆願した。

「あの女性ひとを奪われ、剣になり盾になって国を守れと命じられた。それでも、国を守ることがあのひとのためと思い、ここまで尽くしてきたのだ。ならばせめて、あのひとと私の息子が王にならなければ、私はむくわれないではないか」


 だが、息子――ジョスランのまなざしは冷たかった。もしかしたら、王妃そのひとのように。

「……すべては、おまえのひとり相撲だよ、フィリップ。そしてそれも、ここで終わる。……騎士を招集しろ、オスカー。私はそろそろ疲れた」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る