5ー3.そりゃあ、おまえ、重症だなあ
♢♦♢ ――ジェイデン――
――おまえに重要な話がある。すぐに王都に戻ってくるように。
早馬でしらせられた手紙を前に、ジェイデンはもの思いに沈んでいた。父王からの命令である。申しつかっていた調査はきちんと報告していたのに、いったいなぜ? 兄が急にここにやってきたことと関係があるのだろうか? それとも……彼女のことか?
スーリのことを考えるとわけがわからない気持ちになるので、ジェイデンは当面のあいだ、彼女のことにはふたをしていた。
手紙を盗み見たのがばれて、彼女の魔法で屋敷から追い出されたあと。
ジェイデンにとってスーリは、放置した虫歯のような存在になっていた。なにかに熱中しているとき……たとえば兵たちの訓練に交じっているときは、多少忘れられる。だがそれ以外のときには、意識しないようにしてもすぐに彼女のことを考えてしまう。舌がふれるたびに痛みをおぼえる虫歯のように。
そんなときに、帰還の命令とは……。
こんな中途半端にくるおしい思いのまま、ここを脱出するなど考えられない。用件のない帰還命令はジェイデンを混乱させていた。こんなことで時間を浪費していられないのに。父が何を考えているのか……なにか手がかりがほしい。
イドニ城、王が
「入っていいか?」
広い続き間の中央あたりに、薄着で床に這いつくばるジョスランの姿が見えて驚く。「なにやってるの、兄さん?」
「筋トレだよ」
どうやら、腕立て伏せをしているらしい。輝く金髪を結って背にながし、細い腕で全身を上下させていた。そういえば、最近の兄の趣味は筋トレだったなと思いだす。
しばらくそのまま見守っていると、既定の回数が終わったのか、立ち上がって息をついた。音もなく侍従がやってきて汗をふき、杯をわたす。兄はごくごくと水を飲みほした。
「ふう。おまえもやるかい?」
「朝やったよ、巡察隊の連中と」
「そいつはいいな。明日から私も参加させてもらおう」
「兄さんは騎士たちの訓練のほうがいいんじゃないかな。あいつらは手荒いし、言葉遣いもひどいもんだよ」
「ふーむ」
実際のところ、兄の体力であの訓練はこなせない。そのへんの事情をよくわかっている騎士たちとのほうがいいだろうという、おせっかいな弟心ではあった。
「体調はいいの?」
「ああ。ずいぶんね」
兄は腕をまくり、筋肉を盛りあげて見せてくれた。「やはり、健康には筋トレが一番だよ。この半年でずいぶん成果があったはずだ」
「それはいいことだ」
ジェイデンは兄の腕の筋肉をさわり、あいかわらずの白さと細さに驚いた。だがたしかに、筋肉の固さが感じとれる。
「キリアンみたいにとまでは言わないが、せめておまえくらい、運動したぶんだけ筋肉がつけばいいのになあ。人生は不平等だ」
「続ければもっと効果があるよ、きっと」
「だといいが」
兄の美貌は輝くばかりだが、身長は三兄弟でいちばん低く、身体つきはきゃしゃで女性的だった。子どものころに病気がちだったせいだと言われている。「冠の重さにお首が耐えられそうにない」と嘲笑されていたこともあるのをジェイデンは知っている。
「もう狩猟シーズンも終わるのに、こんな時期に来るなんて、どういうつもり?」
尋ねてみたが、兄はすぐには答えなかった。そしらぬふりで、侍従が服のボタンを留めるのにまかせている。兄は昔からこうで、なにごとにも自分のペースを崩さないタイプだ。
「今日はどこに行ってたんだ? 朝から姿が見えなかったけど」
さらに尋ねると、兄はにんまりと笑った。
「おまえの彼女のところ」
「スーリか。ほんとうに?」
まさかそんな答えが返ってくるとは思わず、ジェイデンは驚いた。「彼女によけいなことを言ってないだろうな?」
「もちろん、言ってきたとも」
くっくっと笑いながら言い、彼女との会話の詳細を語って聞かせた。
「なんてことを吹きこむんだ、まったく……」
ジェイデンはあきれた。「おれとフィリップ伯が結託して、王位を狙ってるって? スーリが信じたら、どうしてくれるんだ」
スーリは本人が思っているよりも純朴で信じやすい。そんな話を聞いて、彼女が動揺していないといいのだが……いや、すこしくらいは動揺してほしくもあるけど。
「いいじゃないか。いまごろ彼女もおまえを心配して、涙で
「そうは思えないけど」
ため息をつく。「それでスーリがおれを気にしてくれるかもって? ……兄さんは
「それが病弱な長男の処世術なんだ」ジョスランは笑った。
「だいたい、フィリップ伯はべつにおれの支持者じゃないよ」
ジェイデンは拳を腰にあてた。「息子同然にあつかってはくれるけど、王権には保守派だ。順当に兄さんが継ぐべきだと言ってる」
「言葉ではどうとでも言えるさ。まあその件はいいよ、こっちでなんとかするから。そんなことより」
兄は急に目を輝かせた。
「じっさい、どうなんだ? 彼女に
弟がフラれたというのに、この世にこれほど楽しいことはない、という顔つきである。まあ、男兄弟なんてしょせんそんなものだ。ジェイデンはまたため息をつく。
「ひどい気分だ。大声で叫びながら近所を走りまわりたい。肋骨をつかんで胸郭を左右に広げて、おれがどんなに傷ついてるか彼女に見せてやりたい。あんなふうに家から追い出して、入れないようにするなんて最悪だ」
「そりゃあ、おまえ、重症だなあ」兄はみごとな青い目をぱちぱちと見開かせた。
「会いたいんだ。顔が見たい。こっちを向いてくれなくてもいいから」
よほど哀れをもよおす姿だったのか、兄はそれ以上からかうことはせず、ぽんぽんと弟の肩をたたいてやった。
「しゃきっとしろ。まだゲームセットってわけじゃない。彼女、おまえの話をするときは靴のなかに小石が入ったみたいな顔になってたぞ。あれは、まだおまえのことが気になってるって顔だ」
「……そうかな?」
「そうだよ。おまえの眼球と指を見てショックを受けてたし」
「眼球と指? おれの……なに?」
「それは関係ない話だった」
「……そうか? ほんとうに?」
「ああ。それに彼女、こういっちゃなんだが、押しに弱そうだし。……元気だせ、おまえの無限のコミュ力の見せどころだろう?」
そうだといいが。
「はあ」ジェイデンは息をととのえ、手近なナプキンで鼻をかんだ。
「ここに来た目的を忘れてた。父上がおれを呼び戻したがってるらしいんだけど、理由を知らないか? そもそも兄さんもなんでこんな時期に?」
「ああ、それはな」
ジョスランはぱちんと指をはじいた。「私もその話をしなきゃと思っていた。フィリップ伯にも同席してもらったほうがいいかと思うんだが――」
「ジェイデン王子。……王太子殿下」
うわさをすれば、というところだろうか。入口から、そのフィリップが入ってきた。「失礼してよろしいか?」
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