5-2.髪と目と指
――きみのところに足しげく通っている男の兄。
過去形にしてほしいものだわ、とスーリは思った。ジェイデンはもうこの家に来ることはない。スーリみずから、そう仕向けたのだ。
男はジョスランと名乗り、後ろの男ふたりはそれぞれ、護衛騎士のイグナスと教師のパトリオだと紹介した。肩書どおり、筋骨隆々の騎士とひょろりと細い気弱そうな男である。
「ジェイデンの兄。ではなおさら、こんなところに気軽に来るものじゃないわ」
スーリは冷たく言った。「お引きとりを、王太子殿下」
「私はお引きとりをうながされる立場ではない」
ジョスランは高圧的なセリフを、ごくやわらかな調子で告げた。まるで道ばたに咲く草花がきれいだと口にしているような調子で。
「話が済むまでは、ここを離れる気はないよ、スーリ先生」
必要ならば、この男の命令でなにができるか……背後の騎士が意味ありげな目線を送ってよこす。
(やっぱりめんどうごとだったじゃないの。こんな男、招き入れるんじゃなかった)
スーリは怒りをこめてダンスタンをにらみつけた。ガチョウはわざとらしく目をそらした。
「……だが話を長くして、未来の義妹に嫌われたくもない。本題に入ろうか」
「ちょっと」
さすがに聞き捨てならない単語が出てきて、スーリは背筋が寒くなった。「いまの、わたしのことじゃないでしょうね……?」
「もちろん、あなたのことだとも。……ジェイデンはそんなにあなたに嫌われているのに
「……」
「そのジェイデンは最近、幽鬼みたいに落ちこんでるけど、きみにフラれでもしたのかな」
「……」
べつに、毛虫のごとく嫌っているわけではない。それどころか、好意を持ってさえいる。だからこそこんなに傷心しているのだ。……だが、そのことをあの男の兄に告げる気はもちろんなかった。
「さて、おたがいのために手短に行こう。私も忙しい身でね」
なにを口にするのかと、スーリが王太子に視線を向ける。美貌の王子は背後に立つ騎士に目で合図をした。騎士はうやうやしく、肩に下げていた袋からふたつの箱を取り出した。宝飾品でも入っていそうな、凝った
「うーん、どっちにしまったかな」
王太子はつぶやきながら、箱のふたをひらき、無造作に中身をばらまいた。小さく、さほどの重さもないなにかが、コトコトと机に落ちる。
「……っ!?」
ギッと木が床をこする音がして、スーリは思わず、椅子のまま自分が後ずさってしまったことに気がついた。テーブルに落ちたものは、房に結ばれた金髪、指、眼球のように見えるもの。
「ああ、こっちがフィリップ伯だね」
王太子は眼球を指でつついた。「虹彩が金茶だ」
背中を冷たい汗がつたう。……これがフィリップ伯? どういう意味? これは……彼の指と眼球なの? ……じゃあ、伯はもう……
「なにを……」
かすれた声で問うスーリを、ジョスランはじっと観察していた。
「そうするとこっちが、私のかわいい弟かな」
そう言って、もうひとつの箱をひらく。優雅な容姿に似合わない粗雑なしぐさで、また、中身を落とす。
テーブルの上にこぼれた髪は、黒いリボンで結ばれたダークブロンド。眼球の色は温かみのある茶色。そして、いくども彼女にふれた指……。
「ふむ」
「……!!」
思わず、口もとを手でおさえる。そうでもしないと、叫びだしそうだった。いったい、なにが起こっているの?
「これは……ジェイデンは……」
震える声でつぶやく。彼にいったいなにをしたのかと、目の前の男に問おうとして、その必要はないことを思いだす。その必要はない。自分は、彼を呼びもどすことができる……。
「ゴワワッ!!」
ダンスタンの鋭い警告も、スーリには聞こえない。おそろしいほどに集中していて、外界のすべてが遠のきつつあった。彼に最後に会ったのはたった数日前……まだ、そんなに遠くにはいないはず……わたしにはできる……
パーン!
まばたきも忘れて、目の前の小道具を食い入るように見つめるスーリを、とつぜんの破裂音がおそった。
「はい、そこまで」
目の前を、色とりどりの破片が散る。その軽い破裂音と紙片から、王太子は紙風船を割ったらしかった。
「ずいぶん集中していたね。私が風船をふくらませるのも、気づかなかったかい?」
「……風船……?」
はらはらと舞う紙片のなか、スーリはぼんやりと机の上を見ていた。王太子の子どもじみた手つきと、悪夢のような光景との差異をどう考えてよいのかわからず、そして急に中断された魔法のせいで息が切れていた。
「イグナス。剣をしまいなさい」
そう命じる王太子の言葉ではじめて、自分の首すじに剣があてられていることに気がついた。重く冷たい死の感覚。だが、恐怖を感じる余裕もなかった。
「殿下! ご婦人に、なんということをなさるのです!!」教師が叫んでいるのも、ようやく聞こえる。
「あなたのまわりにもやみたいなのが漂ってたけど、あれが魔法かな? ……まあ、それを無理につきとめるつもりはないから、安心するといい」
スーリはのろのろと顔をあげ、王太子を見つめた。なにが言いたいのか、もちろんわかっているのだろう。
「ああ、もちろんこれは、偽物だよ」
笑顔で眼球をつつく。「どうして私をにらむんだい、パトリオ? 考えうるかぎり一番穏当な尋問方法だと思うけどねえ」
「偽物……」
乾いた声でぼうぜんとつぶやく。ようやく感情が戻りつつあったが、怒りよりも恐怖がまさった。「どうして、こんなことを」
「私はね、言葉というものを信じていないんだよ、スーリ先生。だからこういう方法を使う」
ジョスランはおだやかに言った。「だけど、その必要はなかったかもしれないね。あなたは嘘をつくには善良すぎるようだ。ジェイデンが執着するのも、わかる気がするよ」
騎士がテーブルの上の小道具をていねいに集め、袋のなかに片付けた。ゴミのような紙片まで、いちいちつまんでは袋に戻している。教師は信じられないという顔で首を横に振っている。
「あなたがフィリップ伯と結託していないという確信が欲しかった。弟については、まあ、ついでだね」
――フィリップ伯と結託? この男は、なにを言っているの?
「あなたは、ジェイデンの敵なの?」
その問いに、ジョスランの笑みが深まった。
「ジェイデンがフィリップ伯の息子かもしれない、といううわさは、聞いたことがあるだろう? 彼らが意を一つにして、私の王位をおびやかすかもしれないと思ってねえ」
王太子は快活に言った。「王都には、ジェイデンに王位を継がせたいという一派がいるんだよ。知ってるかな?」
「いいえ」スーリは嘘をついたが、ジョスランには見抜かれている気がしてならなかった。
「なにしろ病弱だしね、これでも自分なりに身体を鍛えたり努力はしてるんだけど、なかなか思うようにいかない。風邪をひくだけでも死にかけてしまうことがあるくらいだ。……そして、ここが重要な部分だが、子どもは望みにくいと侍医に言われている」
ジョスランは顔を近づけて声を低め、秘密の打ちあけ話をするかのように楽しげだった。背後の男たちは仮面のような表情になっている。
「それに比べるとジェイデンは健康で丈夫だし、なにしろあのコミュ力だろう? 人脈も広くてね、貴族たちのなかには、ジェイデンを王にという声も根強くある。……そんな将来有望な弟がなかなか王都に帰ってこない。心配で、いてもたってもいられなくなって、こんな田舎までやってきたというわけだよ」
長く優美な指で、こつこつとテーブルをたたきながら続けた。「私が城でなにを見たと思う? フィリップ伯と貴族たちの秘密の会合。結託を暗示する手紙の束。王に報告されていない私兵……」
「嘘だわ」
スーリはつぶやいた。「あなたは嘘をついている」
ジョスランは声を立てて笑った。
部屋のなかをぐるりと見まわすと、興味が失せたように立ちあがった。実際、彼はあの寸劇へのスーリの反応で、知りたい情報をすべて手に入れたのだろう。
「ジェイデンに裏切られたと思っているのだろう? ふたりのたくらみを阻止したくなってきたかい?」
椅子にかけたままのスーリの肩に、王太子は優しく手を置いた。「もしそうなら、私はイドニ城に滞在している。いつでも歓迎するからね」
そう言うと、ふたりの従者をつれ、スーリの返事も聞かずに出て行った。
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